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第九話 精霊のワンド

 帰宅するころには、もう日がかたむいていた。


「なな、なんじゃと!? あ、あのローマンの馬鹿連中が!?」


 私はすぐ、お父さまとお母さまにローマンとそのほか二人の男の子に輪姦りんかんされそうになったこと、その裏には女の子三人がからんでいることを報告した。


「はい。マールの湖でエセルを待っていたところを、ローマンら三人の男の子におそわれそうになりました」


「そ、そ、それで、無事じゃったのか!?」


 お父さまが心配そうに声をかけてくる。

 お母さまも、目を閉じて嘆息たんそくしていた。


「エセルがきてくれたので無事でしたけど……あの六人はなんなんです?」


「あ、ああ。ローマンの家であるデジールは早くから次期村長と決まっていたから、息子のあいつは自由気ままに育てられたんだろう。これまでも散々、悪戯いたずらではすまされないことをしてきた馬鹿ものらだ!」


「よりによって、うちのイーヴァに手を出すなんて。それに今回の件は悪さじゃすまないことさね! あんたがゆるしても、あたしゃもう絶対に許さないよ!」


 お母さまがいかりのさけびをあげた。


「そうだな、散々さんざんしかってきたのだが、無駄むだどころか、日に日に酷くなっていく。よし、儂は決めたぞ。近いうちに村民会議そんみんかいぎを開き、デジール家の次期村長は白紙とする!」


「え、そこまでしなくても……」


 私があわあわとお父さまをなだめようとしたけれど、お父さまとお母さまの怒りは頂点ちようてんに達していた。


「イーヴァ、すまんかった。あやつらにはわしから更にきつく言っておく。しばらくは家で過ごした方がいいだろう」


 そう言うお父さまの言葉に、私は笑顔えがおで首をった。


「本当に私は大丈夫だいじようぶですから。ただ、お父さまにお願いがあります」


「ほう、なにかな?」


 私は、マールの湖で拾った枝を見せた。


 あれからずっと手放さないで、持って帰ってきたのだ。

 なにせ、ローマンのような手合いがいつまた襲ってくるか、わからなかったから。


「これくらいの長さのワンドで、なにか良いものはありませんか? よろしければ護身用ごしんように持っておきたいのです」


 お父さまとお母さまはたがいに視線をわしてうなずくと、お父さまが部屋のおくへと消えていった。


「イーヴァ、まずはおすわりなさい」


「はい」


 リビングのテーブルに手をつき、椅子いすを引いてすわる。


 木の香りがただよう良いテーブルだった。その証拠しようこに、テーブルから茶色のマナが出てきて、楽しそうにふわふわとかんでいた。


 お母さまはキッチンへ向かっていくと、すぐに冷たいハーブティーを持ってきてくれた。


「かわいそうに……こわかっただろ?」


 私のとなりすわり、かみでてくれるお母さま。


「いえ、特には」


「無理しなくていいんだよ。この村は見ての通りせまいから、若い女は男から乱暴されても寝入ねいりさね。全く、とんでもない話さ」


「あのう、本当になんにもなかったので」


「本当に? だってあのガキども、確かいつも六人くらいいるだろう?」


「ええ。男の子三人、女の子三人でしたね。どちらにも逆にきつ~いお仕置きをしておきました。あ、男の子の一人をばしてくれたのは、エセルですけれど」


「エセルか。あの子はローランと違っていい子だよ。誠実で母親思いで正義感が強くてやさしい。畑仕事も頑張がんばって手伝うからね。それに明るくて友達も多い。あれはいい男になるよ!」


「あ、あはは……」


 お母さまはエセルしなのか。


 でも確かにエセルからは、土と草のいい香りがする。


 これはただのカンだけどエセルみたいな男の子は、いい人な気がす――




【だ……めだ……やめ……】




「う、うわぁあああああああああああああああっ!」


 不意に脳裏のうりをかすめていった声に、私は思わずさけび声をあげ、テーブルにす。


「どうしたの、イーヴァ! 大丈夫だいじようぶかい!?」


「うう、ううう……」


 温かい水がほおを伝い、頭の中が混乱におちいる。


 なにこれ、なにこれ!?


「と、と、とにかくお茶を!」


 私はお母さまからカップを受け取り、ハーブの香りただよう冷たいお茶を一気に飲み干した。


 全身からふき出すあせが止まらない。


 息もあらく、視点が定まらない。


 今の……声は?


 知っている気がするけれど、全く思い出せない。


「う――――! う――――!」


 うなりながらもがく私の背中を、お母さまがさすってくれる。


「イーヴァ。あんたやっぱり、あの小僧こぞうどもに――」


「はあ、あ、そ、それは、違うん、です……」



 ぐだっ、と、テーブルに力なくほおをつける私の前に、木箱を持ったお父さまがやってきた。



「いやあ、すまん。なにせ古いものなんじゃが質は……ど、どうした!?」



 お父さまが長い木の箱を持ってやってきて、それをすぐテーブルに置くと、お母さまのとなりに並んだ。


「なにが起きた?」


 お父さまがお母さまにく。


「それがよくわからないんだよ。急にこんなになって……」


「それは困ったな。よし、あの悪ガキどものことはわしに任せろ。お前はイーヴァを――」


「ほ、本当に、だ、大丈夫だいじようぶ、です、お父さま」


 私は頭をおさえながら、お父さまに作り笑いした顔を向けた。


「それより、な、なにか、ワンドは、ありましたか?」


 痛いわけでもなく、気分が悪いわけでもない。


 なんとも形容しがたい気持ちにおそわれていたけれど、意識はしっかりしている。


 理由はわからないけれど、私は強くワンドを求めていた。


 本当に、何故なぜだろう?


「ああ、ああ。最高の品がある。これをイーヴァにあげよう」


 お父さまは箱に手を伸ばし、それを開ける。


 美しい布に、慎重しんちように包まれたものを箱から取り出すし、丁寧ていねいにそれを開いていくと、一本のワンドが出てきた。


「わあぁ……」


 私はそのワンドの質に、いきが出た。


 マホガニー製でつやがあり、一目で高品質なのがわかる。


 湖のほとりで拾った枝が小石なら、こちらは間違まちがいなく超高額ちようこうがくな宝石。


 そんな逸品いつぴんだった。


 さっきの声は気になるけれど、私にはこのワンドが、絶対に必要だと感じた。


 でもこれは、いくらなんでも高価すぎる。


「お父さま、もっとお安いもので構わないのですが」


「気にいらんのか?」


「とんでもありません。私にはわかるんです。このワンドが普通ふつうのものではないことが」


「ほほぉ……」


 お父さまは感心しながら私の対面の椅子に腰を下ろし、口髭くちひげを指でつかむ。


「イーヴァは目が高いな。これは“精霊せいれいのワンド”と呼ばれているもので、父が仕入れたものの中でも特級品だ。本来ならかなり高く売れただろうに、ここでは貨幣かへいなど役に立たんからなあ。ずっとしまっておいたんだ」


「まさか、こんな素晴すばらしいものを、私に?」


 お父さまはにっこり笑ってワンドを箱に入れ、私に差し出した。


無論むろんだ。これほどのワンドはそう手に入るものじゃない。イーヴァが使ってくれればわしも、いやきっと父も、うれしい」


「あ、あ、ありがとうございます、お父さま」


 深々と頭を下げる。


 確かにこのワンドなら、もっと自在にマナをあやつれるだろう。私がどこでそんな技術を身につけたのかは、まだわからないけれど、確信を持ってそう言えた。


「さあさあ、今日はもうつかれただろ。これを持って部屋に行き、休みなさい。いやなことがあった時は、ねむるに限るってもんだ」


「いえ、特に嫌なことがあったわけでは……あ、でも、そうさせてもらいます」


 私はお父さまの申し出を素直すなおに受けることにした。


 なにせ、考えたいことがたくさんあったから。


「イーヴァにとっては、きつい一日だったな。あれだけの本を写し、午後には酷い目にい……とにかくねむるといい。後始末は全部、わしに任せなさい」


「はい、ありがとうございます」


 私はワンドが入った箱を手にして、お父さまに再び頭を下げる。


「なにもなかったってイーヴァがそう言うなら、それを信じるよ。でも、あたしには必ず、正直に本当のことを言うんだよ!」


「はい、わかっております、お母さま」


 お母さまにも頭を下げた後、私はテーブルの上の箱を手にして、部屋に向かった。


 木のとびらを開けて、中に入る。


 お母さまが私のために用意してくれた部屋は、おく窓際まどぎわに机と椅子いすが、左手の壁に寄り添うようにベッドが、中央には木製の丸いテーブル、右の壁際かべぎわには、なにも入っていない書架しよかと、引き出しが三段あるタンスがあった。


 こんな見ず知らずの、あやしいむすめにここまで良くしてくれて、本当にありがたい。私はお父さまとお母さまに心から感謝し、ワンドが入った箱をテーブルに置くと、ベッドに身を投げて仰向あおむけになった。


 ……あの声、なんだったんだろ。


 すっごくおどろいたけれど、あの声を反芻はんすうすると、胸が燃え上がるように熱くなる。


 きっと私が記憶きおくを失う前に知っていた人の声だろう。


 思い出せないのがとてもくやしい。


 ふと顔を横に向けると、お父さまから頂いた箱が視界に入った。


 私には、特殊とくしゆな技術がある。


 いや、きっとこの技術は私だけのものじゃない。


 マナが見えれば、だれでも使えると思う。


 少しコツがあるけれど、それさえおぼえてしまえば、マナは誰の目にも映る。


 この部屋にも、村中にも、無数にかんでいるマナ。


 これを集中してあやつるには、やっぱりワンドが適切だ。


 私は身体を起こし、ベッドから身体をすべらせて足をゆかにつけると、テーブルの上の木箱に目を落とす。


 ふたを開け、布を開き、妖艶ようえんさすら感じるそのワンドを手にしてみた。


「これだけ上質なワンドがあれば……自分のこと、なにかわかるかな?」


 あかほのおをゆらりとただよわせるこのワンドから、マナの力を感じた。


「これ……マナが、ワンドそのものに?」


 このワンドから発していたのは、その辺に溢れている光の球形ではなく、炎のようにらめく赤いマナだった。


 マールの村や湖では、青、緑、黄、茶、白、黒のマナを見た。


 でも赤は、見たことがない。


 ただひとつ確信できるのは、このワンドにはなにか、ほかのマナとは違う、強い力がめられている。


「もしこれで、赤いマナを使ってじんを組んで、法術を唱えたら……」


 普通の色のマナを集めた木の棒だけで、力では絶対かなわない男の子の手をお菓子かしのように割ってしまった。


 なら、もしこのワンドで叩いたら?


 私はこわくなってぶるっと身をふるわせると、ワンドを箱にもどした。


 とにかく、今日はいろんなことがありすぎた。


 村の人たちにはマナが見えていない様子ようすだったのに、なんで私はマナの使い方を知っているのか。


 転写てんしやの法術。

 治癒ちゆの法術。

 分裂ぶんれつの法術。


 これらの法術をなんで操れるんだろう?

 そして不意によぎったあの声の主はだれなのか?


「あーもう、アタマが破裂はれつしそう……」


 私は頭をかかえ、よろよろと歩き、ぱたりとベッドに倒れた。

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