「ごめんなさい、まだ加減がわからなくて。まあ私の貞操の危機だったし、これでおあいこにしてあげてもいいわよ」
私の言葉に、ナイフの男の子が反応した。
ぎろりと睨めつけ、その額には痛みからくる脂汗が滲んでいた。
「なにが、おあいこだ! こっちは、て、手を砕かれてんだぞ!? それにイーヴァって言ったか、お前。ってことは村長のとこだな? 絶対に、仕返ししてやるからな!」
雀が涙目で鳴いている。
私は大きくため息をついて、男の子に言った。
「やれやれ、仕方ないわね。じゃあ、こうしましょう。その手、治してあげる」
「……は?」
「エセル、ちょっと下がってて。そこの男の子、邪魔!」
「え?」「な?」
不思議そうな顔をしていたけれど、エセルともう一人の男の子は、私の言うとおりにしてくれた。
「なにを、する気、なんだよ!」
ナイフの男の子が怯える。
「さあ……わからない」
「わからないことをするのかよ!」
「ええ。だってその手だけじゃ、つり合わないのよ。男の子三人で寄ってたかって私を強姦しようとしたんだからさ。怪我をそのままにしておいてもいいんだけど、ま、ここは実験台になってもらう方が有益だわ」
「う、ぐ……」
「あなた名前は?」
「ローマンだ」
「そう、全然興味ない」
「お前から訊いておいて……!」
私はローマンがなにか言っているのを無視し、木の棒の先に集めたマナに集中した。
できる、はず。
意識を失ってしまうかもしれないけれど、ここにはエセルがいてくれる。
私は集中し、身体が感じるまま、踊るように、宙に円を描く。
マナはそのまま空間に刻み込まれ、青い陣が刻まれていった。やがて完成したのは輝く二重の円陣に、古語で描かれた祝詞だった。
「……彼のものの傷を……癒やせ……」
『治癒の法術!』
無意識の私がそうしたように、枝を円陣の中心に刺す。
すると青い陣から白い靄がかった光が出て、ローマンの傷ついた手を包み込んだ。
「わ、わわ、なんだ、なんだよこれ!」
手を割られた時よりも、混乱しているローマン。
やがてパリン、と音がして陣が割れて、ローマンの手を包んでいた光も消えた。
「あ……ああ……?」
その場にいたエセルも、もう一人の男の子も、そしてローマンも驚愕していた。
ローマンの手がなにごともなかったかのように、綺麗に治っていたからだ。
「ふう、まずまずかな」
ゆらり、と身体を泳がせる私を、エセルが抱き留めてくれた。
「イーヴァ、今のは!?」
「うん、本当に私もわからないの。今はね」
「今は?」
「記憶喪失なの」
「き、え?」
エセルが目を丸くする。
私はエセルに微笑むと、身体を離して、棒を持ったままローマンに近づき、彼が握っていたナイフを拾い上げた。
ローマンの手はすっかり元通りになっていた。
いつの間にかもう一人の男の子に抱きとめられながら、自分の身になにが起きたのかわからない、といった感じで、弱々しく両足を開いて座ったまま呆けていた。
「私は昨日、この村はとても美しいと思った。でも勘違いだったみたい。あなたのように平気で女の子を強姦しようとする、魔物と変わらないような人間が住んでいるようなら、ここは筆舌に尽くしがたいほど、醜い村だわ」
私はナイフの刃の部分を持ち、怒りを込めて、ナイフを投げる。
ナイフは赤いマナを纏いながら、ローマンの股間の前に突き刺さった!
「ひぃっ!」
ローマンが悲鳴をあげる。
「もしこれが私じゃなくてなんの力もない女の子だったら、あなたの手なんかどうでもいいくらいの傷を負わされていたのよ。次にあなたが同じようなことをしていると耳にしたら、それが本当であろうが嘘であろうが、必ずあなたたちの前に現れて……根元からもぎとってやる。
覚悟しておきなさい!」
「は、はいっ!」
私が睨みつけながらそう叫ぶと、ローマンは情けない声で返事をした。
そしてローマンたちはゆっくりと立ち上がり、奥にいた三人の女の子に向かっていく。もう一人の男の子は、エセルに蹴られて気絶していた子の両足を抱え、引きずりながらローマンの後を追った。
「ごめんなさいエセル。折角のデートのお誘いだったのに」
「い、いや、そんなことはないよ。早くこなかった僕が悪いんだ。まさかこの時間にあいつらがいるとは思わなかったんだ」
私は地面に突き立てたナイフをもう一度抜いて、エセルに尋ねた。
「あの、清々しいほど堂々とした外道はなんなの?」
「ああ、ローマンたちはこの村で厄介扱いされてる問題児なんだ。いつもあの六人で連んでてさ。あいつらがやってることは、もう悪戯の領域を超えている」
「ふーん」
彼らに目を向けると、女の子たちは下品に笑って男の子たちを罵り、男の子たちはすっかり肩を落としていた。
「少し、こらしめないとダメかもね。私、犯罪者は嫌いだけど、もーっと、大っ嫌いなのは、ああいう自分は安全なところにいて手を汚さず、悪事を企む連中なのよね」
そう言うと、エセルは慌てて私の前に出た。
「イーヴァ、なにをする気なんだ。さっきも行ったけど、あいつらはこのマールの村の異端児なんだ。みんながみんな、あんな奴らばっかりじゃない。それに、あいつらに目をつけられたら、君の身になにがあってもおかしくないんだ!」
「その時は、私を護ってくれる?」
「僕がいる時は勿論だけど、僕がいない時が心配なんだよ!」
「それなら心配ご無用。私は強いから」
左手に木のナイフを、右手に枝を持ったまま、私は笑顔であの六人組に歩いていく。
男の子たちはこらしめたからこれ以上は必要ないけれど、あの男の子たちが女の子たちの言いなりなんだったら、しっかり彼女らにも落とし前をつけてもらわなきゃ。
六人が私の存在に気付くまで近づくと、右手の枝を三人の女の子に向けて、マナを集めた。この地はマナで溢れている。だからこの力を使えるんだと思うけれど、何度も使っていたら私の体力が持たない。
だから、今日はこれで最後。
木の枝に集まったマナは、水色の輝きを湛えていた。
これは空気と空と、風のマナだ。私はこのマナを使って頭の中にある引き出しから、とある法術の術式を抜き出す。
そしてゆっくりと、宙に円を描いていった。
さっきよりも自信はある。
きっと、上手くマナを操れる。
私は水色の円陣を書き上げると、左手に棒を、そして右手にはナイフを持ち替えて、構えた。
「ちょ、ちょっとイーヴァ!」
エセルの声を聞き流し、最後の一文を唱えた。
「……我が意のままに、飛べ……」
『分裂の法術!』
宙に描かれた円陣の真ん中に棒を突き刺して法術を発動させる。円陣が輝くのと同時に、木のナイフを思いきり円陣に投げ込んだ。
円陣を突き抜けた一本のナイフは、滑空しながら無数に増え、横殴りの雨のように、女の子たちに向かって飛んでいった。
「え、うそ、なにあれ、びぎゃああああああああああ!」
下品な悲鳴と共に女の子らが慌てたが、もう遅い。
分裂したナイフは、手を前にして目を瞑る女の子らの股や脇、耳や太ももの側を通り抜ける。
そして女の子の奥にあった岩壁を深く抉った。
「あらら。この術って、こんなに破壊力があったんだ」
すべてのナイフが岩壁を穿つと、崩れた岩のかけらが湖に落ちる。
でも、法術を上手く操れたので、恐怖でへたり込む女の子らには、傷ひとつなかった。
……と思う。きっと。
「イ、イーヴァ、きみは一体? それにさっきも棒で、なにもないところになにか書いてたけれど、あれは?」
「うーん、説明できるほど、まだ完全に思い出せていないの。記憶が戻ったら、そのときにね。ところでエセルはあの子らと知り合い?」
「あ、まあ、こんな狭い村の同年代だからね。でも、断じてあいつらの仲間なんかじゃない!」
エセルが真剣な瞳を向ける。
そこには邪心を示す黄色いマナは浮かんでいなかった。
やっぱりエセルは、信頼できる。
「うん、そうだね。じゃあ、あの外道グループに伝えておいて。私は村長さんの家に住まわせて頂いている記憶喪失の女、イーヴァ・ケイン。返り討ちに遭う覚悟があるなら、いつでもきなさいって」
「ははは、怖いなイーヴァは」
「あら、強い女はお嫌い?」
「むしろ好みだよ」
不意を突かれた。
まるで告白されたみたいで、顔が熱くなる。
やだな、もう。
「き、今日はもう疲れちゃったし、いろいろあって興醒めしちゃったから、釣りはまた今度でいい?」
「ああ、そうだね。あんな目に遭って、釣りなんて、できないよね」
「そうだ、ひとつ訊きたいんだけど」
「うん?」
エセルに顔を近づける。
「あの子たちも言っていたけど“イーヴァ”って名前になにかあるの? あのローマンって男の子は、名乗っただけですぐに“村長のとこ”って言ったわ。無関係とは思えないんだけど」
「ああ、そのことか」
エセルは私の目を真っ直ぐ見て、告げた。
「村長さんには一人娘がいたんだよ。僕より年上で綺麗な人だったんだけど、幻惑の森に入ってから、帰ってこなかった。その人の名前が、イーヴァなんだ」
「そう、なんだ」
薄々は気づいてた。
お父さまもお母さまも、見ず知らずの私に対して手厚すぎるし、女の子向けの服をすぐに用意してくれたのだから。
やっぱり、娘さんがいたんだ。
「ありがとうエセル。こんな私だけど、また魚釣りに誘ってくれる?」
「それは勿論さ!」
エセルは即答して、満面の笑みをくれた。
それから私は、すぐ家に帰らなかった。
日は傾いていたけれど、まだ暗くなるには時間がある。
だから、一箇所だけ確認しておきたい場所があった。
幻惑の森だ。
私は村の人たちに聞き込みをして、方角的には村の南西に位置する森だという情報を得て、早速行ってみた。
「ここは……」
一目で私は、ここがただの森ではないことを見抜いた。
森の入り口から先は怪しい霧が立ちこめ、暗闇になっており、辺りには黒いマナの光源が漂っていて、明確な悪意を感じた。
これじゃあ、マナが見えない人たちが通れるはずはない。
納得した。
そんなことを考えつつ、集中して森を睨み付けると、風も吹いていないのに、ざわざわと木々や草が揺れ始める。
どうも森は、私を歓迎していないらしい。
「ふふっ。でも、あなたたちを退ける方法はわかったわ。またくるから、その時を楽しみにしててね」
ざわわわわわ、と、森が音を立てて私を威嚇してきたが、その音を無視して振り返り、家路についた。