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第06話 石碑の部屋

 気を引き締めて前を向くと、エナ聖神官が壁に掛けられていたランタンを手にして、明かりをともす。


 フォレストエルフは人間よりも小柄な種族だ。ユーリエもそれほど背が高い方ではないけれど、エナ聖神官はさらに十セルメルは低い。薄茶色の髪に、やや長めのとがった耳、そして美形ぞろいで魔法が得意というのが主な特徴で、人間、ドワーフ、ハーフエルフと並ぶ陽種族ロウレイスだ。


「さあ、この奥が石碑の間よ。カナクは昔、何度か行ったことがあるわよね」


「ええ、どうしても石碑が見たくて。でも石碑の間にたどり着く前に見つかって、がっつり叱られました」


「ふふふ、そんなこともあったわねぇ」


 瞳が消えてしまうほど目を細めるエナ聖神官。

 そこまで笑わなくても。


「エナ聖神官は、カナクの子供の頃をご存じなのですか?」


 え。

 ユーリエから、僕を当惑させる質問が飛ぶ。


「ええ知っていますよ。カナクが五歳でここにきたとき、それはもう食べちゃいたいくらい可愛かわいくて。珍しい銀色の髪に、サファイアのような大きな瞳。中性的で、笑顔が素敵で、食いしん坊で、なのにいたずら好きでしてね。それはもう女性修道士たちからとても可愛がられ――」


「や、やめてくださいエナ聖神官!」


 は、恥ずかしい……。


「え~、いいじゃない。本当のことなんだから」


「本当のことと言っていいことは違います!」


 僕が必死になってエナ聖神官を制止していると、ローブの袖が引っ張られた。

 ユーリエだった。


「なに?」


「えへへ。私はカナクのことを聞けてうれしいけど?」


「やめようね!」


 僕は今でこそ大人しくて真面目で寡黙なマール信徒だけれど、子供の頃はやんちゃで向こう見ずでいたずら好きなマール信徒だった。

 これはユーリエに知られたくない。


「さあさあ、もうすぐ石碑の間ですよ」


 やや下り坂になっている通路を奥に進むたびに、様相が変わってきた。

 どんどん暗くなって、様々な色のマナがかえるように濃くなっていく。


 子供の頃は感知できなかったけれど、今ならわかる。

 これは尋常じゃない。司教さまが怒るのも無理はない。


「ねえカナク、気づいた?」


「うん。ここにはあらゆる色のマナが密集してる。もしこれがマールの石碑の影響だとしたら、とんでもないことだね」


「!?――」


 問いに素直に答えただけだけれど、ユーリエは目を見開いて驚倒していた。


「さあ、つきましたよ。ここが石碑の部屋に通じる扉です」


 はっとして、エナ聖神官が促す扉に目を向ける。

 辺りはすでに真っ暗で、エナ聖神官が持つランタンだけがほのかに闇を照らしている。でも石碑に通じているという扉だけは、光源にこそならない弱さだったけれど、確かに青く光っていた。


「荷物はここに置いて下さいね。私はここで待っているので、ゆっくり時間をかけて、マールの言葉をみしめてきてね。とはいえ、この部屋を出ると忘れちゃうんですけれど」


「ありがとうございます」


 ユーリエに顔を向ける。

 うん、と力強くうなずいてくれた。

 僕らは背負っていた荷物を床に置くと、二人でそろって、エナ聖神官に身体を向ける。


「じゃあ、行ってきます」


「はい、いってらっしゃい。カナクと、可愛らしいお友達さん」


 笑顔のエナ聖神官に告げて、僕らはいよいよマールが残した石碑の、一つ目が安置されている扉に、手をかけた。


 足を踏み入れて扉を閉めると、完全なる闇が僕とユーリエを抱いた。


「うわぁ……これじゃ、なにもわからないな」


 上下左右、どこを見ても不安になるほどの、漆黒。

 まるで夜の闇に身体が浮いているかのようだった。


 その時。

 僕の左腕に柔らかなぬくもりがぴとっ、とくっついた。


「ね、ねえカナク、ちょっとの間だけ、こうしてていいかな?」


「こう、って?」


「腕貸して」


 う、う、腕を組んでいると!

 じゃあこの温もりは……。

 考えちゃだめだ!


「い、いいよ」


「ありがと。やっぱり私、こういう暗いの、苦手みたい」


「そうなんだ、意外だなあ」


「む~……」


「ユーリエの弱いところ、もっと知りたいな」


「え、え、ええっ!?」


 セレンディア魔法学校の教室から無理矢理むりやりに連れ出されてから、ついに、初めて、一矢報いたっ!

 ……うーん、僕は小さいなあ。

 なんだか情けなくなってきた。


「そ、そのうち、教えてあげられる、かもね」


「大丈夫。僕が探り当てるから」


「ところで! このまっくらから、ど、どこに行けばいいのよ?」


「ふむ」


 僕は目をつむり、辺りのマナの動きを感知する。普段のユーリエなら僕と同じことを容易にできると思うけれど、今は僕の方が適任みたいだ。

 静かに気配を探ると、左奥にマナの気配を捉えた。


「こっちだね、行こう」


 僕がマナに向かって歩き出すと、ぐいい、と左腕だけ置いていかれた。


「わわわわわああ、急に動かないでよカナク!」


「あはは、ごめんごめん」


「か、からかってるでしょ!」


「うん」


「う~、いじわるぅううう!」


 ユーリエの姿は見えないけれど。

 めちゃくちゃ可愛いのはわかる。

 これからも石碑を見るときはいじろう。


「もう、ちゃんと歩幅をあわせてよね! えろかなく!」


「えろ……もしかして教室での、あれ?」


「汚されたわ」


「自分から見せてきて、しかも存分に見ろって言っといて……」


「そんなことは言ってない。私はそんな、はしたないことを言わない」


「うわぁ……」


 気持ちいいほどの開き直り。

 これがユーリエの本性なのか。


「とにかく、早く石碑を見たいから行くよ。左前方に青い光が見えるでしょ?」


「左前方? ……ああ、あれね」


「あそこに向かって行けばいい。ゆっくり歩くよ」


「うん、よろしく」


 僕はユーリエと離れないように、暗闇の中を歩く。

 それは本当に不思議な感覚だった。

 泳いでいるような、飛んでいるような。


 歩きながら左腕に感じる、男心をくすぐる、魔力を秘めた柔らかさに意識を持っていかれないように、この空間について考えを巡らせた。


 この暗闇が、マールの魔法なのは間違いないだろう。

 問題は「どうしてこんな魔法が必要だったのか」だ。


 思い返してみれば、いくら四つの石碑を巡らなければ記憶に残らないとはいえ、石碑巡りを完遂し、その記憶にとどめたという聖神官の話はあまり聞かない。外で待ってくれているエナ聖神官も、ニルス聖神官も、そしてロエ司祭ですら、石碑巡りをやっていない。


 それを知らなかった若き日の僕は、だからこそ好奇心を刺激されて、しつこく石碑の話を聞きたがったので、とても嫌がられた。


 しかし少なくとも、僕とユーリエは石碑の場所がわかっている。

 青い星のような輝きに向かって歩いていくと、やがてその光はどんどん強くなり、大きくなる。

 そして青い光が僕くらいの大きさになると、その中に誘われているような気がした。


「これは、ポータル? ここからマールの石碑に通じているのかな?」


 ユーリエの姿が、光に照らされて浮かび上がる。

 やはり、ぴったりと僕の腕に胸をくっつけていた。しかしユーリエは青く輝くポータルに目を奪われていて、腕に胸が当たっていることには全く関心を持っていなかった。


「このポータルの奥から、強い魔法の力を感じる。間違いない。これが一〇〇〇年前にマールが残した石碑へと通じる道だ!」


「は、入る?」


「ここまできて、引き返す選択肢はないでしょ」


「だよね」


 僕の意識はユーリエの胸から、不可思議に浮かぶ青いポータルへと向けられた。


「じゃあ、一緒に入ろうか」


 そう言うと、ユーリエは心底、うれしそうに目を細めた。


「うん!」

 僕はゆっくりと左足をあげる。

 ユーリエは僕の足にあわせて、右足を伸ばす。


「「せーの!」」


 こうして僕らは同時に、青いポータルに身を投げた。


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