気を引き締めて前を向くと、エナ聖神官が壁に掛けられていたランタンを手にして、明かりをともす。
フォレストエルフは人間よりも小柄な種族だ。ユーリエもそれほど背が高い方ではないけれど、エナ聖神官はさらに十セルメルは低い。薄茶色の髪に、やや長めの
「さあ、この奥が石碑の間よ。カナクは昔、何度か行ったことがあるわよね」
「ええ、どうしても石碑が見たくて。でも石碑の間にたどり着く前に見つかって、がっつり叱られました」
「ふふふ、そんなこともあったわねぇ」
瞳が消えてしまうほど目を細めるエナ聖神官。
そこまで笑わなくても。
「エナ聖神官は、カナクの子供の頃をご存じなのですか?」
え。
ユーリエから、僕を当惑させる質問が飛ぶ。
「ええ知っていますよ。カナクが五歳でここにきたとき、それはもう食べちゃいたいくらい
「や、やめてくださいエナ聖神官!」
は、恥ずかしい……。
「え~、いいじゃない。本当のことなんだから」
「本当のことと言っていいことは違います!」
僕が必死になってエナ聖神官を制止していると、ローブの袖が引っ張られた。
ユーリエだった。
「なに?」
「えへへ。私はカナクのことを聞けて
「やめようね!」
僕は今でこそ大人しくて真面目で寡黙なマール信徒だけれど、子供の頃はやんちゃで向こう見ずでいたずら好きなマール信徒だった。
これはユーリエに知られたくない。
「さあさあ、もうすぐ石碑の間ですよ」
やや下り坂になっている通路を奥に進むたびに、様相が変わってきた。
どんどん暗くなって、様々な色のマナが
子供の頃は感知できなかったけれど、今ならわかる。
これは尋常じゃない。司教さまが怒るのも無理はない。
「ねえカナク、気づいた?」
「うん。ここにはあらゆる色のマナが密集してる。もしこれがマールの石碑の影響だとしたら、とんでもないことだね」
「!?――」
問いに素直に答えただけだけれど、ユーリエは目を見開いて驚倒していた。
「さあ、つきましたよ。ここが石碑の部屋に通じる扉です」
はっとして、エナ聖神官が促す扉に目を向ける。
辺りはすでに真っ暗で、エナ聖神官が持つランタンだけが
「荷物はここに置いて下さいね。私はここで待っているので、ゆっくり時間をかけて、マールの言葉を
「ありがとうございます」
ユーリエに顔を向ける。
うん、と力強く
僕らは背負っていた荷物を床に置くと、二人で
「じゃあ、行ってきます」
「はい、いってらっしゃい。カナクと、可愛らしいお友達さん」
笑顔のエナ聖神官に告げて、僕らはいよいよマールが残した石碑の、一つ目が安置されている扉に、手をかけた。
足を踏み入れて扉を閉めると、完全なる闇が僕とユーリエを抱いた。
「うわぁ……これじゃ、なにもわからないな」
上下左右、どこを見ても不安になるほどの、漆黒。
まるで夜の闇に身体が浮いているかのようだった。
その時。
僕の左腕に柔らかな
「ね、ねえカナク、ちょっとの間だけ、こうしてていいかな?」
「こう、って?」
「腕貸して」
う、う、腕を組んでいると!
じゃあこの温もりは……。
考えちゃだめだ!
「い、いいよ」
「ありがと。やっぱり私、こういう暗いの、苦手みたい」
「そうなんだ、意外だなあ」
「む~……」
「ユーリエの弱いところ、もっと知りたいな」
「え、え、ええっ!?」
セレンディア魔法学校の教室から
……うーん、僕は小さいなあ。
なんだか情けなくなってきた。
「そ、そのうち、教えてあげられる、かもね」
「大丈夫。僕が探り当てるから」
「ところで! このまっくらから、ど、どこに行けばいいのよ?」
「ふむ」
僕は目を
静かに気配を探ると、左奥にマナの気配を捉えた。
「こっちだね、行こう」
僕がマナに向かって歩き出すと、ぐいい、と左腕だけ置いていかれた。
「わわわわわああ、急に動かないでよカナク!」
「あはは、ごめんごめん」
「か、からかってるでしょ!」
「うん」
「う~、いじわるぅううう!」
ユーリエの姿は見えないけれど。
めちゃくちゃ可愛いのはわかる。
これからも石碑を見るときは
「もう、ちゃんと歩幅をあわせてよね! えろかなく!」
「えろ……もしかして教室での、あれ?」
「汚されたわ」
「自分から見せてきて、しかも存分に見ろって言っといて……」
「そんなことは言ってない。私はそんな、はしたないことを言わない」
「うわぁ……」
気持ちいいほどの開き直り。
これがユーリエの本性なのか。
「とにかく、早く石碑を見たいから行くよ。左前方に青い光が見えるでしょ?」
「左前方? ……ああ、あれね」
「あそこに向かって行けばいい。ゆっくり歩くよ」
「うん、よろしく」
僕はユーリエと離れないように、暗闇の中を歩く。
それは本当に不思議な感覚だった。
泳いでいるような、飛んでいるような。
歩きながら左腕に感じる、男心をくすぐる、魔力を秘めた柔らかさに意識を持っていかれないように、この空間について考えを巡らせた。
この暗闇が、マールの魔法なのは間違いないだろう。
問題は「どうしてこんな魔法が必要だったのか」だ。
思い返してみれば、いくら四つの石碑を巡らなければ記憶に残らないとはいえ、石碑巡りを完遂し、その記憶に
それを知らなかった若き日の僕は、だからこそ好奇心を刺激されて、しつこく石碑の話を聞きたがったので、とても嫌がられた。
しかし少なくとも、僕とユーリエは石碑の場所がわかっている。
青い星のような輝きに向かって歩いていくと、やがてその光はどんどん強くなり、大きくなる。
そして青い光が僕くらいの大きさになると、その中に誘われているような気がした。
「これは、ポータル? ここからマールの石碑に通じているのかな?」
ユーリエの姿が、光に照らされて浮かび上がる。
やはり、ぴったりと僕の腕に胸をくっつけていた。しかしユーリエは青く輝くポータルに目を奪われていて、腕に胸が当たっていることには全く関心を持っていなかった。
「このポータルの奥から、強い魔法の力を感じる。間違いない。これが一〇〇〇年前にマールが残した石碑へと通じる道だ!」
「は、入る?」
「ここまできて、引き返す選択肢はないでしょ」
「だよね」
僕の意識はユーリエの胸から、不可思議に浮かぶ青いポータルへと向けられた。
「じゃあ、一緒に入ろうか」
そう言うと、ユーリエは心底、
「うん!」
僕はゆっくりと左足をあげる。
ユーリエは僕の足にあわせて、右足を伸ばす。
「「せーの!」」
こうして僕らは同時に、青いポータルに身を投げた。