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第05話 猛省

第一の石碑 セレンディア




 広い道の両側には高い煉瓦造れんがづくりの建物が並んでいる。その右手の奥に、白い尖塔せんとうが見えてきた。

 その塔のてっぺんには鐘があり、外壁には長い髪をなびかせる女性の横顔を描いたシンボルが、四方に埋め込まれていた。


 セレンディア・マール聖神殿。

 僕が十年間、お世話になっている場所だ。


「はああ、あれがカナクが育った場所なのね」


 何故なぜか瞳を潤ませるユーリエ。


「カナクの部屋をあさっていい?」


「絶対ダメに決まってる!」


 出し抜けになにを言いすんだか!


「え~。男の子の部屋、入ったことがないから気になってたんだけどなあ」


「レニウスがいるじゃないか」


「レニウスは兄妹みたいなものだもん。全然違うよ」


「でもだめなものは、だめなので」


「けち」


「けちで結構だよ」


 僕の部屋といっても、司教さまから借りた聖神殿の一部なのだから、男友達ですら入れたことはない。決して見せられない部屋というわけではないけれど、男女二人きりで一つの部屋なんて……証拠さえ隠滅できれば……っていやいや、なにを考えてるんだ!


 自戒を込めて頭をぶんぶんと振る。

 邪念を飛ばし、頭を冷やす。


「なにやってるの?」


 ユーリエが僕に顔を近づける。

 なんでこうユーリエって、いい匂いがするんだろう。


「なんでもないよ。さあもう目の前だ。聖神殿に行こうか」


 蠱惑的こわくてきな香りを振り払うように走り出す。


「わ、待ってよ~!」


 後ろから、ユーリエが慌ててついてきた。


 敬虔けいけんなるマール信徒が訪れる場所、マール聖神殿。

 ここセレンディアにある聖神殿はアレンシアに数多くある聖神殿の中でも大きい部類に入るらしい。


 そしてマールの石碑は、必ず聖神殿の中にある。

 かつてはほこらが野ざらしにされていたという話だけれど、マール信徒が増えるに従って、その祠を傷つけないよう、祠を包み込むような形で聖神殿を建てた。それを管理しているのがマール聖協会で、各地のマール聖神殿の代表を定め、布教の中心地としている。

 僕とユーリエは、正面から聖神殿の門を開いて中に入った。


「ふわー、きれい!」


 ユーリエが感嘆の声を漏らす。

 石畳の道がまっすぐ聖神殿の玄関につながっていて、左右には丹念に手入れされた芝生が青々として美しく、緑色のマナが青色のマナと遊ぶように漂っていた。


「ここで暮らし、修行しゆぎようしている修道士はだいたい一二〇名。聖神官さまが十名、大神官さまが五名、司祭さまが二名、そして僕をここに連れてきてくれた司教さまがトップなんだ」


すごいね。うちの庭より綺麗きれいかも」


 ん?

 うちの庭……?

 ああそっか、ユーリエはここの領主の娘だ。

 この広大な庭を所有してるんだっけ。

 だったらここより凄いのは、セレンディア公爵家の屋敷しかない。


「畑はここの裏手にあって、基本的には自給自足だから家畜もいるし、食料庫もあるよ」


「へえ……ここからなら学校も近いのに、なんでカナクは学生寮だったの?」


 僕とユーリエは、聖神殿までの道を歩きながら言葉を交わす。


「それ、僕も不思議に思ってたんだ。学生寮に入ったらお金がかかるからね。僕はここから通いたいって言ったんだけど、司教さまからお金の心配はしなくていいから、存分に魔法学校でマールの偉大さを学んでこいって言われてさ」


「そんな風に言われたら、断れないね」


「でしょ。さあ、中に入ろう。この時間なら、たぶん司教様も一緒にお祈りをされていると思うから」


「う、うん!」


 少し緊張気味なユーリエも可愛かわいいなあと思いつつ、扉を開く。

 荘厳そうごんな空気が神殿から流れ出た。ここはマールが最初に石碑を建てた場所であり、聖神殿の中でも最も歴史がある。それだけに、他の聖神殿はともかくセレンディア・マール聖神殿にだけは足を運ぶ、という信徒が現れるほどだった。


「さあこっちだよユーリエ」


「わわ、待って」


 ユーリエはこの雰囲気に飲まれて、声をあげず静かに通路を歩いた。

 コツン、コツンというユーリエのブーツの音が、打楽器のように響く。


 僕の部屋は隣に建てられている木造の宿舎にあるので、僕自身もここにはそんなに足を踏み入れてはいない。でも時々帰ってくると、司教さまらから掃除をしていけ、と、この床を磨いたりしていた。


 そこを……ユーリエと歩くなんて、全く予想もしていなかった。

 やがて大ホールの扉に着くと、僕は静かに開いて中を見た。やはり、二人の男性と一人の女性がマール像に向かってひざまずき、祈りをささげている。今日はマールの教えを説く日ではないので、大ホールは他に誰もいなかった。


「司教さま」


 僕が声をかけると、三人は祈りをやめて立ち上がり、こちらに顔を向けた。

 司教さまと、二人の聖神官さまだった。


「ようこそ、セレンディア・マール聖神殿へ……と、なんだカナクか」


 なんだ、って。ひどいや。


「あらカナク。お隣のご令嬢は、セレンディア公の?」


 司教さまの右隣にいた、フォレストエルフの女性聖神官が目を見開く。

 するとユーリエは右手を左の二の腕に添え、辞儀をした。

 これはマール教徒の間での、正式な挨拶だ。どこで覚えたんだろう?


「セレンディア公爵が養女、ユーリエ・セレンディアと申します。お目にかかれて光栄です、エナールティア聖神官さま、ニルス聖神官さま、そしてフランツ司教さま。本日はロエ司祭さまはおられないのでしょうか?」


 おお、と声が出るお三方と、僕。なんで聖神殿にきたことがないユーリエが、司教さまたちの名前を知っているんだろう?


「さすがは敬虔けいけんなマール信徒であられるセレンディア公のご令嬢だ。事前に調べてきなさったな?」


「司教さまこそ。見抜かれてしまいましたね」


 ははは、と笑い合う司教さまとユーリエ。

 頭がいいと、そういう根回しも怠らないんだ。

 凄いなあ、ユーリエは。


「時にカナクよ、その荷物……本当に石碑巡りの旅に出るのだな」


 司教さまは僕に慈愛の視線を向けてくれた。


「はい。僕は隣にいるユーリエ・セレンディアと二人で石碑巡りをします。司教さまもご存じの通り、これは僕の長年の夢であり、あかつきの賢者マールの偉業をたたえ、そのおもいを余すことなく知ることで、聖神官を目指したいと思っております」


「うむ。その気持ちに変わりがないこと、私はうれしく思うぞ、カナク」


「ははっ!」


 僕は深く、司教さまに頭を下げた。


「司教さまにおかれましては五歳の頃よりここまでにして頂き、感佩かんぱいの念しかございません。願わくば石碑巡りを終えた後、司教さまのお役に立てるよう、精進する所存です」


「まこと殊勝な心構えだ。私もお前がそうなってくれることを願おう」


「ありがとうございます」


 僕と司教さまのやりとりを、ユーリエはじっと眺めていた。


「よかろう、二人で石碑を見るがいい。エナ、二人を石碑の間へ案内してくれ」


「承知いたしました。ではカナク、ユーリエ、こちらへ」


 エナ聖神官が左手を横に向け、その先の扉へと僕らを促しつつ先頭を歩く。


「ありがとうございます! 行こう、ユーリエ」


「え、あ、うん……」


 僕は嬉しくて、思わずユーリエの手を取って、エナ聖神官の後についていった。


 いよいよ、念願のマールの石碑をこの目で見ることができるんだ。

 胸の高まりが抑えきれない。自然とほおが緩む。

 なにせ長い間、禁じられていたことだから。

 積年の思いが今、解放される時がきた。


 一〇〇〇年前、たった一人でアレンシアの地を旅して回り、陽種族ロウレイス闇種族エヴイレイスもわけ隔てなく魔法を教えていった暁の賢者、マール。


 彼女は一体どんな想いを胸に、旅をしていたんだろうか。

 エナ聖神官は大ホールを出ると、細い廊下を奥に進んでいった。

 僕とユーリエも、彼女の後ろを歩く。


「ちょっ、カナク」


 ユーリエの声がする。


「うん?」


「その……手が、少し痛い」


「え?」


 僕はそこで初めて、ユーリエと手をつないでいたことに気がついた。


「あ、わああああああ!」


 慌てて手を離す。

 ああ、なんてことを!

 マールの石碑に夢中になりすぎて、ユーリエと手を繋いでしまうとは。


「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。とにかく早く石碑を見たくて、つい……」


 しどろもどろのいいわけだ。

 嫌がられたかな?


「大丈夫。でもカナクって、マールのことになると凄いね」


「まあ、聖神殿で育ってるからね。司教さまを父とするなら、マールは母であり、尊敬すべき人生の師だと思ってる」


「ふぅん」


 会話はそこで断ち切られた。

 やっぱり、手を繋いでしまったのは失敗だったかな。好きでもない人に手を握られると頭にかかとを落としたくなるって、リリルが言っていた。


 今後のためにも……猛省しよう。


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