ああ、とにかく先が思いやられるのは変わらない。
ユーリエは軽く、僕は対照的に重い足取りで雑踏をかきわけるようにして歩き、セレンディア・マール聖神殿へと向かって歩いた。
「そういえばカナクって、聖神殿で暮らしてるんでしょう?」
隣のユーリエが僕の顔をのぞき込みながら、そんなことを
「うん。僕は五歳まで養護施設で育ったんだけど、司教さまが僕を引き取って下さったんだ。それから今に至るまで、ずっとお世話になってる」
「ふーん……」
ユーリエが、意味深な返事をする。
「じゃあさ、ここにはマールの石碑があるんだから、もう見ちゃってるってこと?」
「いや、見てない」
「どうして? 石碑巡りは十五歳からだけど、現地の石碑も見ちゃいけないの?」
「そんなことはないよ。ただ僕が石碑巡りをするときに見たかっただけ。だってその前に見ちゃったら、たぶん司教さまに怒られてでも、石碑巡りの旅に出ると思うから」
「あはは。カナクって見た目よりも案外、強引なんだね」
「うーん、そうかなあ」
「好きなことには
「え、好き?」
「あ……いやその、好みの一部の話ね」
「なるほど」
ああ、びっくりした。
まあ、なにかに
そのくらいで動揺する僕が悪い。反省しないと。
「それよりカナク、セレンディアの石碑を見たら、すぐコルセアに向かうつもりなの?」
「そのつもりだよ。食料とか、調達しなきゃならないものはあるけれど、それが済めばすぐ出立する。ここからコルセア王都カリーンまでは一本道だけど、途中に深い森があるでしょ。そこを通るか、
「ふむ、森を迂回するフェーン街道のほうが遠いわね。こっちを使うと三ヶ月はかかっちゃう。森の街道を突っ切れば二ヶ月で着くけど――」
「うん。まあそこは、まだ考えなくていいんじゃないかな」
「そうだね」
その間、僕一人であればこの大荷物を背負って歩こうと思っていた。ユーリエは女の子だから、さすがにそんな長い間、鞄を背負わすわけにはいかない。
「ねえ、どこかで馬かロバを手に入れようか。そうすればユーリエが、だいぶ楽になるからね」
「なんで?」
「だってユーリエは女の子だし――」
「…………」
ユーリエはむうっと唇をとがらせ、僕に顔を近づけた。
「な、なに?」
「
「!?」
さすがはユーリエ、鋭いところを突く。
「マールは、馬もロバも使えなかったよ。マールにかかった呪いの一つ“五日間以上、行動をともにしたものは命を落とす”これは旅の同行者だけでなく、荷物を運んでくれる動物にまで影響を及ぼした」
「ということは、真の石碑巡りをするなら馬だのロバだのも使っちゃだめじゃない?」
「う……うん、そうだね。でも、それだとユーリエはその荷物を旅の間中、ずっと背負わなきゃならないけれど、大丈夫なの?」
僕がそう心配すると、ユーリエは肩のバンドをするっと抜き、大きな鞄を片手で僕に差し出した。
片手!?
あ!
「ははぁ、なるほど、そういうこと!」
その鞄を手に取ると、重さを感じなかった。
これは上級魔法『
太陽のマナである白と、風のマナである水色を練り合わせ、かけられたものの重量を極限まで軽くすることができる。
「なるほどって、カナクには上級魔法がわかるの!?」
……しまった。
「あ、ああ、いや、本で読んだのさ! それにしてもすごいなーこれ。全然重くない」
少々わざとらしかったかもしれないけれど、ご、
「まあ魔法の存在を知ってるくらいはあるかもね。というわけで、こっちの心配はご無用。でも、カナクが私のことを考えてくれたのは、
目を細め、吸い込まれるような笑顔を向けるユーリエ。
思わずごくっと息を飲む。
「あ、でもカナクの荷物にこの魔法はかけてあげないからね」
「そうなの!?」
「多分さ、マールもこの魔法で荷物を軽くして旅をしたんだと思う。でもさ、マールは女性だもん。男性のカナクは、マールの旅路の一部をしっかりと味わった方がいいでしょ」
……花のような笑顔の裏に、鋭い
「も、もちろんさ。そんな魔法はいらない。なんたって僕は、
「でも、どうしても欲しいっていうなら、その、カナクになら、してあげても、いいかな」
「!?――」
僕は顔を熱くしながら、ユーリエと顔を合わせる。
ユーリエ、言い方を気をつけてよ!
「あ、その、魔法の話だからね!」
ユーリエも自分がなにを言ったのか、気づいたみたいだ。
「う、うん。魔法の話でしょ?」
困った。
可愛すぎるユーリエからの、色っぽい言葉。
胸を貫く
「あの、一つ
「なに?」
「カナクって、養護施設から聖神殿に移ったんだよね?」
「うん」
「聖神殿の司教が自ら養護施設から子供を引き取るなんて、聞いたことがないわ。なんでカナクは司教に見初められたんだろ?」
「それは僕も不思議に思ってたし、司教さまに直接、聞いたことがあるけれど、どうやら僕の母となにかの約束があったらしい」
「お母さまと?」
「うん。司教さまと僕の母が友人だと言ってた。養護施設に預けられたのも、深い事情があったってね」
「お父さまは?」
「教えてもらえなかった」
「え~? なにそれ!」
ユーリエは、
「どんな事情があろうと親が子供を手放す正当な理由なんか存在しないよ。私は軽蔑する!」
静かだけれど、声音から想像するに、ユーリエは怒っていた。
「ありがとう。こっちも
「ああ、うん。先の第二次アレンシア大戦で亡くなったんだって。父はセレンディア公と肩を並べる将で、その縁でセレンディア公爵家に引き取られたわ」
「そっか、戦場で……ごめん」
「いいよ。仕方ないもん」
第二次アレンシア大戦。
それは今から10年前に勃発した、
この戦いはアレンシア中を巻き込み、多くの死者を出した。
そこでの働きが認められたセレンディア公が、この地方の国王になるべきだと各国から推挙され、セレンディア公国建国となる流れになったというのは有名な話だ。
でも、第二次アレンシア大戦で最も名を
セレンディア・マール聖神殿で石碑を無事に見ることができたら、次の石碑はそのコルセア王国の首都カリーンである。もっとも、今では珍しくなった石碑巡りとはいえ、オリヴィア女王陛下と
……たぶん。
「おっと、もう聖神殿だ」
「えっ?」
僕の声に、ユーリエが顔を上げた。