「マールって、ずっと一人でアレンシアを旅してたんじゃなかったっけ?」
ユーリエの言葉に僕は、首を振る。
「正確には違うよ。マールには一人だけ、短い時間だけど、旅を一緒にした男性がいた。セレニウス・ノートリアスっていって、彼がマールの偉業を手記に収めてくれたお陰で、マール経典ができたんだ。でも、マールにかけられた呪いのせいで結局、離れなければならなくなった」
「そんな……こんなに強く想っていたのに。可愛そう」
「その辺は学校の魔法史で習ったよね?」
「まあ習ったけど、私はどちらかというと魔法という技術の方に興味があったから」
「え、でも、ユーリエって魔法史でも学年トップだったよね?」
「あれは勉強のための勉強をしただけ。だからテストが終わったらすぐ頭の中から消してたよ」
「そんな器用な……」
「だって興味なかったし」
「君は石碑巡りだよね!?」
マールに興味がない石碑巡りって。
野菜に興味がないのに畑に種を
「でも、少し興味がわいた。天涯孤独だと思っていたマールにも、好きな人がいたんだね」
「僕は……驚いてるし、動揺してる」
「やきもち?」
「バカなのかな?」
次の瞬間。
ユーリエは僕の後ろに回って飛び跳ねると、背中に乗っかってきて、足と腕で首と銅を絞めてきた!
たいして苦しくはないけれど……色々、柔らかいところがあたってる!
「ちょっとユーリエ、やめてよ!」
「誰がバカよ。と~り~け~せ~!」
「て、訂正します。ユーリエは頭が良くて、可愛くて、いい匂いがして、色っぽくて、
「!?……」
ふっ、と、ユーリエから力が抜ける。
足を離し、腕も解いてすとん、と床に降り立つと、すたすたと僕の前にきた。
「今、カナクが言ったこと、もし冗談や
「一部ってどこ!?」
「そんな恥ずかしいことを女の子の口から言わせる気!?」
「恥ずかしい部分なんだ!」
「まあ、個人の趣向に口を出すのは良くないわね」
「いやいや、なんで僕が哀れまれてるのかな?」
「もう少し真面目に考察してよ!」
「僕が怒られるの!?」
レニウスから聞いていた話や、学校で流れてくる
学力についてはその通りなんだろうけれど、
それでも一緒にいたくなるのは、なんでだろう。
やっぱり好きだからかな。
「……うん?」
その時。
ユーリエは石碑が出した魔法陣を目にして表情を変えた。
眉を
その瞳は大きく見開き、集中している。
真剣そのものだ
「どうしたの、ユーリ――」
「ごめん、ちょっと静かに!」
ユーリエは僕に
「あの構文がこうなって、ここに
凄い分析力だ。僕にはなにがなんだかわからなかったけれど、驚くことにユーリエは魔法の始祖マールが書き記した魔法の詠唱を読み解いていた。
「これ、は……まさか……嘘、でしょ?」
どこまで天才なんだ、ユーリエは。
「カナク!」
「わ!」
突然大声で呼ばれて、びっくりした。
「私、
「えっ、最初からそのつもりだったんじゃ?」
「そうだけど、もっともっと、もーっと! マールを知りたくなった!」
「そっか。さすがの天才ユーリエでも、石にマナを込めて魔法を発動させるなんて、できないもんね」
「まぁね。でもこの石碑も普通じゃないのよ。多分、ドワーフの鉱山からごく
「マール石?」
「昔は“黒石”って呼ばれていたらしいわ。本来はもっと小さいんだけど、マナを込めると巨大化する不思議な石よ」
「え!? じゃ、じゃあこの大きさって、マールは一体どれだけのマナを――」
「言葉にできないくらいの量と、膨大な時間と、命を削って作られたのよ」
「そう、なんだ……」
きっとそれは、僕なんかの想像を絶する苦行だったに違いない。
しかしマールはなんで、こんな日記のような文章を残すためだけに、そこまでしたんだろう。
いや、しかしこの内容なら、ひょっとしたらこれは、マールなりのノートリアスへの
しかしこの文章、一点だけマール経典との矛盾がある。
それは「偶然、彼と再会した」という部分だ。
確かにマールはノートリアスに二度会っている。
しかし、一度目は
これが最初の石碑というのが気になったけれど、きっとマールは誰かに恋をした。
最有力なのはノートリアスだけど、その秘めた想いを、膨大なマナと、時間と、命を使って石碑に込めたのではないか。
そう考えれば、まあ
僕は再びマールが残した言葉に目を向けて、顔を
アレンシアは広い。それをたった一人で、何ヶ月、何年も旅をするなんて、あまりにも辛すぎる。
そんなマールにも想い人がいたということ。
それが
自然と僕は右手を左の二の腕に当て、目を閉じてマールに祈りを
僕とユーリエはその後、石碑の間を後にして、
するとそこは、あの大自然豊かな坂道ではなく、セレンディア・マール聖神殿の通路で、エナ聖神官が笑顔のまま、立っていた。
「え、え、え?」
困惑に次ぐ、混乱。
僕とユーリエは、思わず顔を見合わせる。
なにが起きたのかを整理するのに、少し時を要した。
「おかえりなさいカナク、ユーリエさん。ちゃんと石碑を見られたようね」
エナ聖神官が、目を細めてにっこりと笑う。
「はい。なんて言えばいいのか……不思議な体験をさせて頂きました。それに……ん? あれ?」
マールの石碑は、四つ全て見なければ記憶に残らない。
事前に知っていたとはいえ、今見てきたばかりの文章の内容が全く思い出せないというのは、なんだか気持ちが悪いというか、凄い違和感だった。
隣に立つユーリエは、なにやら沈思黙考しており、話しかけづらい雰囲気を出していた。
「さあ、ここは暗いから。ホールに戻りましょう」
「はい」
エナ聖神官は、ランタンを掲げて道を戻る。
僕は、左手を口に当てて黙り込んでいるユーリエの右手を引っ張りながら、その様子が気になって仕方がなかった。普段はあれだけ
ただ、その
こうして大ホールに再び入った僕らは、そこにいたフランツ司教さまとニルス聖神官の前に戻ってきた。
「おおカナク、ユーリエ嬢。無事に石碑は見られたかね」
司教さまが
僕は大きく
暗闇を抜けて青いポータルに入ると、自然豊かな場所に出たこと。そこで感じた風や、草木の
祠のこと。石碑と、今は覚えていないマールの言葉のこと。
それらを報告している間も、ユーリエは僕の少し後ろで考え込んでいる。
一体、どうしたんだろう。
「そうか。そこまで行けたのなら、かつてカナクが勝手に石碑の間に入ろうとした時、私が厳しく叱った理由がわかっただろう?」
「はい、今なら理解できます。確かにあの空間は幻術でしたが、実際はただの幻術ではありませんでした。最初に入った暗闇も、ポータルを見つけられなければ永遠に
「うむ、そういうことだ。つまり
「へぇ~、カナクってそういう子だったんですね!」
「ぅわぁああ!」
突然ユーリエの声がして、僕は驚きのあまり、変な声を出した。