ユーリエの言葉にオリヴィア女王さまから、ぐわっ、と熱風のようなオーラが放たれた。
「なんということを……あれは禁術中の禁術よ。どこで知ってしまったの?」
「父の書斎です。父はあらゆる魔法の研究をしていました。家人も立ち入り禁止だったのですが、魔法を学びたかった私が手にした書に記されていたのが、偶然にもアルヴァダーグだったのです」
「オルデンの馬鹿が!」
女王さまは額に手を当てて嘆く。
「でも、アルヴァダーグがどういうものかは理解しています。決して使いません」
「そういう問題ではない。いいかユーリエ、これは警告じゃない。命令だ。あれを絶対に使ってはいけない。我が国の魔法院が総力をあげて調べさせてはいるが、あれは奇妙すぎる」
「奇妙?」
ユーリエが関心を示す。
それにしても、なんの魔法だろう?
「一言で表すならば、あれは魔法ですらない。アレンシアには存在してはならないものだ。おそらく……魔王の術だろう」
「魔王!?」
まずい。
話が全くわからない。
僕はつんつん、と、ユーリエの脇腹を肘で小突く。
「わひゃっ!」
びくん、と身体を震わせたユーリエが、
しまった、女王さまとの話の腰を折ってしまった。
「そうか。この話、カナクは知らないのだな?」
「はい。言うつもりはありませんのでご安心を」
「そうしてくれ。だが、三界の存在までは許す」
「ははっ」
もうなにがなんだかわからない!
「話を本題に戻そう。君ら石碑巡りを聖神殿ではなくここに呼んだのには理由がある。まずはユーリエ。あなたを見込んで頼みがあるの。しかし、この話は誰にも聴かれたくない。カナク、あなたは一度ここから退廷し、外で待っていなさい」
「は、ははっ!」
僕は女王さまに辞儀をして立ち上がり、一瞬だけユーリエに目を向けて、
いつの間にか、グウェイル大司教さまはどこにも見当たらなかった。
僕は廊下の窓から、外を眺めた。
ここからだとカリーンの王都の全てが見渡せる。
高い城壁と、その各所に立てられた望楼。
これらが既に一つの要塞となっているのに、さらに三重になっている。オリヴィア女王さまが自ら設計したという、フェーン地方の小国だったコルセアをその覇国にまでのし上げた中心地。
「すごいなあ……」
それしか言葉が出ない。
コルセアの烈翔紅帝オリヴィア女王さま。
アレンシア北東よりふらりとフェーン地方にやってきて、戦で滅びかけたコルセア王国を救い、瞬く間に列国を参加に加えた女性。なぜ、それほどの力を持っているのか。それにマール法皇ということは、ただの王ではない。僕らマール信徒らの頂点に立つお方であり、ここコルセア王都カリーンの聖神殿がアレンシア各国の中心になっているということだ。
確かに、オリヴィア女王さまならマール法皇に
マールと魔法の知識。小競り合いが絶えなかった地域を平定した王。
そして、石碑の存在。
人、場所、知識。全てが
そして、そんなオリヴィア女王さまから一目置かれたユーリエはやっぱり
オルデン・セレンディア公爵。この名がレニウスの実父、ユーリエの養父であり、近いうちに建国し、アレンシア南西部を治める国となる。オリヴィア女王さまは、会話の流れでそんなセレンディア公を呼び捨てたのだから、旧知の仲なのは間違いない。セレンディア軍が他の二国を制圧し、屈服させた時はここコルセアからの援軍があったという。
「ユーリエ」
ユーリエは養女とはいえ、一国の王女様になる人なんだ。今は友達として一緒にいるけれど、いずれはこんな
「ユーリエ」
きっとユーリエは僕が“他に好きな異性がいるマール信徒”だから、自分は絶対に安全だろうと思っているに違いない。
“他に好きな人がいるものを、
マール信徒の戒律。
違うんだ。僕が好きなのは、ユーリエなんだ。
だからユーリエは今、安全な城の中ではなく、ドラゴンの巣にいる。
「ユーリエ」
口に出すほど、
この時、僕は眼下に広がる景色に気を取られ、油断していた。
「なぁに?」
「え、あっ!?」
振り返ると、そこにはにんまりとした笑顔のユーリエが立っていた!
「う、その、いつから?」
「一回目の“ユーリエ”から」
うわ……ほぼ全部じゃないか。
「ふふ~ん、後でカナクに聞きたいことがあるけど、今はやめとく。次はカナクにお話があるんだって。どうぞ」
「ああ、そうだね、うん、行ってくる!」
「あ、カナク」
「なに?」
「そんなに呼ばれると、照れるよ」
「行ってくる!」
僕は急いで謁見の間に入った。
ああ、大不覚。大失敗。
でも今は、オリヴィア女王さまの話を伺おう。
僕は気を引き締めて女王さまの前まで歩き、片膝をついて頭を垂れた。
「陛下、お話とは?」
「立って」
「は?」
声が近い。顔を上げると目の前に……女王さまがいた!
なんの音もしなかった!
いつの間に!?
「立ちなさい、カナク」
「あ、は、はい!」
慌てて、足に力を入れて立ち上がる。
こうやって対面すると、女王さまの身長は僕より低かった。目を覆った鉄仮面は、視界を確保するために細かい穴が開けられていたけれど、外からは素顔が見えないようになっている。
それにしても。
僕は女王さまから妙な力を感じた。
これは……。
「さすがね。私が普通の人間ではないことに気づいた?」
「え、いや、その……」
「いいのよカナク。少しだけ、ごめん」
次の瞬間。なにが起きたのか理解できなかった。
僕は、女王さまに抱きしめられていた。
腰に腕を回されて、頭を
そんな。
えっと。
僕にはユーリエという――。
「そのまま聞きなさい」
女王さまの声が、低くなった。
「ここは一国の王城だ。どこで誰が、どんな魔法でこの会話を耳目にしているかわからない。当然、私には通じないけれど、万が一のこと考え、こうして伝えておく」
「は、はい」
触れらるだけでも恐れ多いのに、よもや抱き締められるとは。
女王さまは、僕になにを伝えたいのだろう?
「カナク、ユーリエが好きか?」
「え!?」
予想外の質問だった。
少し動揺したけれど、僕は唇を引き締めた後、力強く告げた。
「愛してます」
「はは、そうきたか」
紅の
「カナク。私が普通の人間ではないのと同様に、あなたもそうではないことは知っている。その力で彼女を守りなさい。全ての石碑を見終わったら、必ず、また会いにくるのよ」
「!……は、はい!」
どうして!?
女王さまも、僕が銀獣人であることを見抜いたのか。ソーン音楽団の団長にしてフェルゴート五英雄の一人、ルイ・ソーンさんに続いて二度目だ。石碑巡りの旅に出て、僕が人間ではないことを知ってしまったのは、音楽団のヤヒロちゃん含めて三人になる。
ユーリエと一緒にいることで、力を制御しきれていないのかも知れない。
もっと自戒しないと。
やがて女王さまが僕から離れると、背中を向けて言った。
「さあ、もう行きなさい。そとでグウェイルが待っている。石碑をみて、マールのおもいに、ふれると、いい」
うん?
少し声が震えているような……?
「ご配慮、ありがとうございます。僕は必ずユーリエを守ります。そして、ここに戻ってきます!」
「うむ」
女王さまにマール信徒の礼をして、振り返る。
扉の向こうには、大好きな人が待っている。
絶対、守り切る。
僕は心新たにして、扉を開いた。