泙成31年4月5日。神藤が事務室に入府して初めての週末である。プレミアムフライデーと言う言葉も聞かれて久しいだろう。
そんな中、神藤は出勤してすぐに富士見たちが作った報告書を読み進めていた。
「相変わらず報告書読んでるねぇ。楽しくないでしょ?」
富士見が後ろから覗き込んでくる。
「……まぁ、楽しくはないですね。いまだに何が書いてあるんだか分からないですし」
「そうだよねー。でも心配する必要はないよ。最初は皆未経験なんだから」
そういって富士見はソファに座り、家庭用ゲーム機を起動する。
「神藤君も暇ならスマホ使ったりゲームしたりしてもいいんだよ?」
「……ありがとうございます。今は大丈夫です」
そういって神藤は報告書に視線を落とす。
(こんな勤務時間に堂々とスマホ触るわけにはいかないだろ……)
そんなことを心の中で呟く。至極全うな意見だ。
しかし神藤の思考を真っ向から否定するように、富士見は対戦ゲームに興じていた。
その時、事務室唯一の固定電話が鳴る。上島が受話器を上げた。
「はい、事務室です。はい、はい。分かりました。すぐに向かいます」
そういって上島は電話を切る。
「室長、神社本庁分室から連絡がありました。岡田八代神社で例の目撃情報です」
「おっ、ついにお出ましか。それじゃあ行くか。神藤君、出かけるよー」
「あ、はいっ」
そういって一行は丸の内線に乗り、そこからから副都心線に乗り換えて移動する。ここは豊島区高田にある神社で、住宅街に囲まれた場所に存在する。都内に存在する神社は大抵そうだが。
30分もすれば現場に到着する。そこでは宮司が待っていた。
「こんにちは、事務室の者です」
富士見が挨拶を交わす。
「わざわざ来ていただき、ありがとうございます。そちらの方は……?」
「うちの新人の神藤君です」
富士見に紹介され、神藤は頭を下げる。
「そうでしたか」
「では早速ですが調査させてもらいます」
上島が強制的に会話を中断し、本題に入らせる。宮司の案内により、本殿の隣に位置する小さな道祖神社に連れてこられる。
「あとは皆さんにお任せします……」
そういって宮司は社務所に戻っていった。
「さて、仕事の時間だよ。準備をしようか」
富士見はいつものように陰の世界に行くための準備をする。
その時、神藤は小さく手を上げた。
「ごめんなさい……、ちょっと体調が悪くなってきたんですけど……」
「どんな風に体調が悪い?」
「えっと……。耐えられる程度の軽い腹痛と頭痛、ですね」
「じゃ、大丈夫」
ケロッと富士見は言う。
「こ、これ大丈夫なんですか……!? 万全の体調じゃないと霊魂に負けたりしません……!?」
「大丈夫大丈夫。その体調不良の原因は、今から相手する霊魂のせいだから」
「え……?」
そんなことを言っている間に、準備は整った。
「それじゃあ、実際に陰の世界に行って確かめてみよう」
そういって呪文を唱えると、すぐに陰の世界へと移動する。すると道祖神社のある祠の後ろに、赤い霊魂が見えるだろう。
「あ、赤い霊魂……!?」
「これが神藤君の体調不良の原因、生存型異能怪異。分かりやすい言葉で言うと、生霊の類いだね」
「生霊……」
「そう。そしてこれには明確な原因がある」
富士見は改めて神藤に向き直る。
「神藤君はこの間新しい元号が発表されたのは知っているよね?」
「はい」
「これはつまり、今度の5月に改元することを意味している。それじゃあどうして改元が起きるか知っているかな?」
「それは、天皇陛下が退位なされて、皇太子殿下が即位なされるから……?」
「半分正解だね。実際は、先代天皇から今上天皇へと皇位が継承された時に即日改元すると明治維新の際に決まった。これは『一世一元の
神藤は10秒ほど考え、自分で理解できるように解釈し直す。
「……つまり、改元が原因じゃなくて、天皇の代替わりによって出現しやすくなっているってことですか?」
「その通り! 理解が早くて助かるよ」
富士見は軽く拍手をする。
「ということで、これからの仕事は霊的力場の変動に伴うことを理解しておいてね」
そういって富士見は、道祖神社の裏にいる赤い霊魂の様子を見に行く。
「これは……、高齢女性による生への執着だね。寿命が近いけど、まだまだ生きていたから生霊として陰の世界に来てしまったらしい」
富士見は持っていたスマホでスキャンする。
「うーん……、これじゃあ更生は無理だね。寿命も近いし……。上島君、成仏させちゃって」
「承知しました」
上島は十字架だけを持って、富士見の隣に行く。
「父の元へ去り給え」
パンとまるで拳銃のような軽快な音がする。霊魂は赤い煙となって霧散していった。
富士見と上島が戻ってくる。
「残念ながら、彼女はもう長くない。そこで、僕たちの手で寿命を終わらせてあげたんだ」
「終わらせたって……。それって殺したってことですか?」
「結果としてはそうなる」
神藤の中で、また不信感が募る。
「国家公務員として、国民を見殺しにするなんて……! 自分には出来ません……!」
「まぁ、その話は陽の世界に戻ってから続けよう」
そうして三人は陽の世界に戻る。そのまま三人はすぐ横にある社務所へと入った。
「宮司さーん、終わりましたよー」
「あぁ、お疲れ様でした。これ、缶コーヒーで申し訳ないですけど、飲んでいってください」
「ありがとうございます。それじゃあ、いただきます」
神藤は冷たい缶コーヒーを受け取る。
すると富士見が話を切り出す。
「それで、宮司さん。例の現象が起きた時って、何がありました?」
「それがですね、参拝客の皆さんが頭痛がするとか、腹痛がするって言ってたんですよ。うちのアルバイトの巫女さんも体調不良を起こして、二度くらい救急車を呼びましたね」
「あぁ、それは大変でしたね」
「でも、今日お祓いしてくれたようなので、今後は大丈夫でしょう」
「そうですね。今後は安心してもらって大丈夫です」
そういって富士見は空いた缶を宮司に渡す。
「あ、神藤君。コーヒーはここで飲んでいってね。じゃないと買収されたとか収賄したとか言われるから」
「えっ、あっ、はい」
神藤は慌ててコーヒーを飲み干す。
「ま、このくらいのコーヒーなら大丈夫なはずだけど」
コーヒーを飲み干したあとに、富士見が笑いながら言う。神藤は彼を半目で見るのだった。
「それじゃあ、お邪魔しました」
富士見が挨拶して、三人は岡田八代神社を後にする。
神社から少し歩いたところで、富士見が口を開く。
「神藤君、確かに僕たちは冷酷かもしれない。間接的にでも人を殺すのは、倫理観として間違っている。でも一人が犠牲になることで、圧倒的多数である他の国民を生かせることが出来るなら、僕たちはそういう選択をする。それがこの仕事だ」
そのように富士見から解説されるものの、神藤はある種の不信感を持っていた。
そんな神藤に、富士見は言葉を続ける。
「去年くらいだったかな。足立区にあるアパートが倒壊する事故があっただろう?」
「……ありましたね」
「あの時、僕は現場にいた。数年に一度ほど出現する怪異だった。怪異は陰の世界でそのアパートを攻撃し、やがて倒壊させた。その現場では最善を尽くしたんだが、数人の小学生を助けることができなかったんだ」
そういう富士見の手は、きつく握られていた。
「さっきの宮司さんの話でもあったけど、陰の世界であったことは陽の世界にも影響を及ぼす。神藤君はそのことをよく理解したはずだよ」
「理解した……?」
「さっきまでの体調不良、今はどう?」
そう言われた時、神藤はハッとする。
「治ってる……」
「どう? これでも一緒に仕事は出来ない?」
富士見は立ち止まり、神藤のほうを見た。その目は優しく、純粋だった。
神藤は呼吸を整え、頭を下げる。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくね」
神藤は少し、富士見のことを見直した。