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鳴かぬ村
鳴かぬ村
乾為天女
ホラー怪談
2025年05月20日
公開日
3,968字
完結済
——訪れた者が"誰か一人"を連れて帰る村、鳴澄(なるすみ)。 過疎と高齢化が進んだその村では、「音を立ててはいけない」という古い掟が今も続く。 大学のゼミで民俗学調査に訪れた颯一たちは、やがて"音"が呼び覚ます怪異と、村の誰もが口をつぐむ「赤子と爺婆の入れ替わり伝説」に巻き込まれていく。 ——「赤子が笑えば、誰かが泣く」 ——「泣いたら終わり。笑ったら帰れぬ」 仲間たちの絆、内面の闇、そして土地に染みついた因習が交錯するなか、「音の真意」が明かされたとき、最も恐ろしい"沈黙"が訪れる。

第1章:調査の始まり

 風が止んでいた。

 誰かが話す声すらも、どこかに吸い込まれてしまったように聞こえなかった。

「……すごいね、ここ。音が、ない」

 彩加がぽつりと呟いた。誰も答えなかった。いや、答えられなかった、というべきか。五人乗りのワンボックス車の中で、その静けさがやけに重たく響いた。

 助手席の颯一は、静かにスマホを取り出して時間を確認した。午後三時過ぎ。山道を登ってきたわりにはまだ陽が高いが、どこか薄暗い。木々が道の両側を覆っており、車窓の外は影の濃いトンネルのようだった。

「圏外か……」

 運転席の陽大が肩をすくめる。

「この時代に、だよ? 信じられなくない? たった三十分くらい山を登っただけでこれ?」

「むしろ、そこが“売り”なんだろ。外とのつながりを断つから、昔の文化がそのまま残ってる」

 後部座席でノートPCを膝に置いた大智が、平坦な口調で言った。

「“鳴澄村”。山間の閉鎖集落で、ネットに情報が一切載ってない。口伝と現地調査だけ。調べがいあるね」

「ちょっとワクワクしてきた」

 笑ったのは美緒だった。ポニーテールを揺らして窓の外を眺めている。

「こういう場所、むしろ歓迎って感じ。人の心がまだ残ってる気がするから」

「人がいれば、だけどな」

 育美がぼそっと言った。彼女は陽向の隣で静かに座っていた。目を閉じたままだが、何かを聞こうとしているように耳を澄ませている。

 陽向は何も言わず、フロントシートの背もたれを見つめていた。


 この七人は、大学の同じゼミに所属している。民俗学を専攻し、教授の勧めでこの調査旅行に参加することになった。都市部での実地調査が多い中、「都市伝説の原型」を探るという目的でこの村を選んだのだった。

 鳴澄(なるすみ)村。地図には名前すらない、自治体からも独立扱いの限界集落。かつてあった「音を禁ずる掟」の言い伝えが今も残っており、その奇妙さから、特異研究に興味を持つ者たちの間で語り草になっていた。


 車が集落の入り口に近づくにつれ、空気が変わった。山道は舗装こそされているが、雑草が覆い始めていて、整備が行き届いていないのが一目でわかる。ガードレールの端には、朽ちかけた木の札が打ちつけられていた。

「……“鳴かぬ村”?」

 彩加が声に出した。

 札には、達筆とは言い難い筆で「笑うな 鳴くな 語るな」と書かれていた。風で揺れているのに、音がしない。

 陽大が苦笑いした。

「なんか、いきなり怖いんだけど」

「文字通り“音を禁ずる”村ってわけか」

 颯一は窓を少しだけ開けてみた。虫の音ひとつしない。木々のざわめきすら、まるでどこかで吸収されているようだった。

「無音って、こんなに落ち着かないもんなんだな……」


 ようやく村の中心にたどり着いたとき、彼らはすぐに異変に気づいた。

 人が、いない。

 広場には古びた公民館のような建物があり、脇には小さな商店や民家も並んでいる。だが、どれも窓は閉じられ、カーテンも固く引かれている。

「……出迎えとか、ないの?」

 美緒が不安げに言った。

「事前に教授が村長と連絡取ってるって話だったけど」

「その村長の名前、何だっけ?」

「……ええと」

 大智がスマホのメモを確認しようとして、ふと止まる。

「ない」

「え?」

「履歴が、消えてる。教授からの指示メールも……」

「うそでしょ?」

 彩加が自分のスマホを確認する。

「……ほんとに、ない」

「もしかして、もともとなかったんじゃ?」

 育美が小さく言った。誰も返事をしなかった。


 そのとき、カラリ、と音がした。

 それは、明確な“音”だった。静寂の中に響いたそのわずかな音に、全員がぴたりと動きを止めた。

 音の方へ視線を向けると、道の端の家の扉が、半分ほど開いていた。

「……誰か、いた」

 陽向が初めて口を開いた。

 その声は、何かを告げるように、妙に澄んでいた。






 その扉の奥から、人の気配がした。だが、誰も出てこようとはしなかった。

「行くしかないよね」

 美緒が最初に動いた。彼女の足取りは軽やかに見えて、どこか決意めいた強さがあった。続いて颯一、彩加、そして他のメンバーも後に続いた。

 古民家の扉は古びていたが、油がさされていたのか軋むことなく、音もなく開いた。

 家の中は薄暗かった。床板がきしむのでは、と全員が一瞬足を止めたが、不思議なことに踏み込んでも音はしなかった。自分たちの足音すら、地に吸い込まれていくようだった。

「……こんにちは」

 颯一が声をかけた。

 すると、奥の障子がスッと開き、中から一人の老婆が現れた。

「来たか」

 その声は、乾いた土のようだった。

「ごめんなさい、突然……僕たち、○○大学の——」

「わかっておる」

 老婆は颯一の言葉を遮ると、静かに背を向けた。

「案内する。黙ってついてこい」


 老婆に導かれて進んだ先は、六畳ほどの座敷だった。床の間に立派な掛け軸がかかっており、赤子と老人が並んで笑う奇妙な画が描かれていた。赤子の口は大きく開いているが、音が聞こえない。老人は歯を見せずに笑んでいる。

「なんだこれ……」

 陽大が低く呟く。老婆は彼に目を向けた。

「“鳴き面”じゃ」

「鳴き面?」

「この村では、赤子が“先に笑う”と、何かが始まる。だから、赤子を笑わせてはならん。音は災いを招くのじゃ」

 老婆はそう言って、さらに付け加えた。

「鳴くも、笑うも、語るも、災いの種。“音”は人を狂わせる。だからこの村では、何も“発さない”のが生きる道なのじゃ」


 その異様な話に誰もが言葉を失った。陽向ですら眉をひそめた。

 だが、それがただの古老の迷信ではないことを、皆は次第に理解していくことになる。


 —

 宿舎として用意されたのは、村の中央にある空き家だった。年代物の木造建築だが、清掃はされており、生活には困らない。

「……変な感じだね。普通、誰かひとりくらいは『都会からよく来たねぇ』みたいな対応するよね?」

 彩加が寝具を整えながら呟く。

「全体的に“音を出すな”っていう無言の圧がある」

「無言の圧、ってなんかすごい表現」

「でも、合ってる気がする」

 育美がその言葉に頷いた。

「この村全体が“静けさを維持する”ために、空気ごと圧してくるような感じ……何かが、隠されてる」


 陽大はスマホをいじっていたが、やがて顔を上げた。

「GPSも機能してない。ログが飛んでる。これは……ただの圏外ってレベルじゃないかも」

「それって……機械的な妨害?」

「もしくは、村そのものが……外と“つながっていない”」

「え、それって比喩的な意味で言ってる?」

「……たぶん、どっちも」


 その夜。調査初日の記録をつけていた大智は、不意にペンを止めた。

 耳元で、何かが笑った。

 赤子のような、しかし甲高く乾いた音だった。

 ——けれど、仲間の誰もが「何も聞こえなかった」と言った。

 大智は言葉に出すことをやめた。

 この村では、「語るな」と言われていたのだから。






 翌朝。空は晴れていた。だが、どこかぼんやりとした青で、輪郭が曖昧な雲が空を埋め尽くしていた。

「朝だけど、鳥の声も風の音もしない……」

 美緒が玄関先に出て、耳を澄ませる。けれど、やはり何の音もしなかった。まるで空気自体が“音の発生”を拒んでいるかのようだった。

「やっぱり、この村の“音のなさ”は異常すぎる」

 陽向がぼそっと言った。手に持っていたICレコーダーを見せる。

「一晩中、録音してた。けど、音声ファイルには“無音”しかない。深夜に誰かが立ち上がって水を飲んだのも、何も記録されていない」

「録音できてないってこと?」

「いや、録音されてる。タイムラインも動いてるし、ファイルサイズもある。でも、音が“再生されない”。それだけ」

「……記録はあるのに、内容がない?」

 大智が眉を寄せた。

「これはただの無音じゃない。“消されてる”んだ。何者かに、あるいは“場”に」

「つまり……“音を出したら危険”って、そういうこと……?」

 彩加が震える声で問いかける。だが誰も答えなかった。


 ***


 その日の調査は、村の中心部にある“旧寺”から始まった。

 老婆に教えられた通り、かつてこの村の宗教行事は音を禁じて行われていたという。

「お経も唱えない、太鼓も鳴らさない、鈴も使わない……ただ“無言”で祈る」

 育美が資料をめくりながら呟く。

「まるで、音という存在そのものが“穢れ”であるかのような扱い」

「でもさ、なんで音がダメなの? それだけが今も語られてない」

 颯一が指摘すると、陽大が小さく口を開いた。

「昨日の婆さんが言ってたよね。“赤子が笑えば、何かが始まる”って」

「……つまり、“音”が鍵?」

「うん。もしかして……村の中に“音に反応する何か”があるんじゃないかな」

「妖怪みたいな?」

 美緒が茶化すように言ったが、誰も笑わなかった。

 そのとき、寺の裏手から何かが“走り去る音”がした。

 カツ、カツカツ——

 たしかに音だった。だが、音が響いたその瞬間、空気が一気に冷たくなった。全員が無意識に息を呑んだ。

「誰か……いた?」

 彩加が後ずさる。

「今の……裸足の足音じゃなかった?」

 陽向が静かに言った。

「いや、下駄だ。下駄の音……」

 そう呟いたのは育美だった。彼女の頬が青ざめている。手のひらが震えている。

「私、昨日の夢で見た。子どもが下駄を履いて、笑いながらこっちに来る夢」

「え、まって、それ——」

「で、そのあと、誰かが泣いてた。すっごく……すっごく悲しい声で」


 そのとき、寺の奥で何かが“ポトリ”と落ちた音がした。

 静寂のなか、それはやけに重たく響いた。

 恐る恐る奥へ進んだ先にあったのは、古びた祭壇だった。その上に置かれていたのは、ひび割れた赤子の面。

 ——目が、笑っていた。

 だが、口は裂けるように開いており、そこからなにか黒い液体のようなものが滲んでいた。

 そして、祭壇の下に小さく掘られた穴の中に、紙片が落ちていた。

 颯一が拾い上げると、そこにはこう書かれていた。

「笑った者を、戻すな」

 その文字は、墨ではなく、血のように滲んでいた。


(第1章・終わり/


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