朝が来た。
鳴澄村の空に、はっきりと“鳥の声”が響いていた。
誰かが戸を開け、風の音が部屋を抜けていく。木々が揺れ、地面が鳴る。すべての自然の営みが“音”を取り戻していた。
美緒は縁側に座っていた。
「……ほんとに、聞こえるね」
その声に、大智が静かに頷いた。
「記録、できるようになった。音も、映像も、名前も」
彼はICレコーダーを再生してみせた。
“陽向、おい、起きろよ”
——それは、陽大の声だった。
そこに確かに存在した“人の名”が、もう一度、世界に戻ってきていた。
「でも……」
育美がぽつりと言った。
「陽向は、“もう帰ってこない”んだよね」
誰も、返事をしなかった。
***
蔵の中で、最後まで残っていた“音の根”の箱は、粉々に砕けていた。
そこに立っていたのは颯一、ただひとり。
彩加が何度も呼びかけたが、彼は動かなかった。
「……音をすべて受けたんだよ。彼は“最も音を抱えた者”になった」
老婆が言った。
「笑い声、泣き声、叫び、囁き、祈り、怨み……全部、受け入れた。“音の器”じゃなく、“音の記憶”になったんじゃ」
「じゃあ、戻れる?」
「戻れるさ。ただし、“喋らなければ”」
「え?」
「彼が音を出せば、また“音の器”が開く。だから、生きるには、“黙って生きる”しかない」
彩加は静かに頷いた。
「……じゃあ、私が“代わりに喋る”。彼のことを。みんなのことを。忘れないために、語り継ぐ。
“鳴かぬ村”を、“語れる村”に変えるんだ」
***
数日後、教授とともに救助隊が到着した。
彼らは驚いた顔で村を見回した。
「……なんだこれは。すっかり人がいなくなってるじゃないか」
「ええ、でも……確かにここには、“暮らしていた痕跡”があったんです」
「本当に、こんなところに“七人”で来ていたのか?」
その問いに、彩加は静かに答えた。
「いいえ、私たち“六人”で来て、三人が帰りました」
「……三人?」
「はい。一人は笑って、一人は泣いて、一人は——喋らずに、残ったんです」
***
その後、鳴澄村は正式に“消失集落”として行政記録から削除された。
だが、彩加は村の外れに小さな石碑を立てた。
「ここに、“音を抱えた者”が眠る。
誰かの声を、誰かの記憶を、永遠に語らぬ形で。
けれど私たちは語る。忘れぬように。もう誰も、泣かせぬように」
その横で、颯一は静かに立っていた。
一言も発せず、ただその言葉を聞いていた。
そして、ふと——微かに、笑った。
【完】