【八月三十一日 午後十一時五十八分】
風が止んだ。
虫の声も、木の葉のそよぎもない。
その夜、町は沈黙の中に満ちていた。
「……なあ、ほんとに来るのか?」
和馬の問いに、真澄が頷いた。
「来る。全部、揃ったから。埋蔵仏、御札、願い石、語り神、なごみ面、くじ、土偶、くびれ石、笑鳥居、井戸花嫁、ぬめり社、さざれ髪、狐々講……十四の“笑い”が、今夜、交差する」
「で、それのラスボスが“笑神”? いやネーミングが雑すぎるだろ!」
「正式には、“主無き笑いの具象存在”です」
「わかりづらっ!!」
七人が集まっていたのは、町の中心、今は誰も使っていない旧市民ホールの屋上。
そこに、謎の円形模様が浮かび上がっていた。
模様は歪な笑顔の集合。土偶、面、紙札、石、すべての意匠が含まれていた。
「……これ、全部つながってたってことか」
修平が呟くと、貴也が補足する。
「うん。“笑い”という感情が“記録され、残され、溜め込まれた結果”、人の意識から独立した“人格”になった。それが“笑神”。」
「人格になったのに、誰も呼ばなかったから拗ねて……怒ってるの?」
「そのとおり。存在してるのに無視されることを、“否認の祟り”って呼ぶらしいよ」
「Twitterの通知無視されたオタクかよ!!」
そのとき――空が割れた。
雷でも、雨でもない。
ただ、空そのものが、「ひとつの大きな口」になったように裂け、笑い声が降ってきた。
「ハハハハハハハハハハッ」
それは陽気でも楽しげでもなく、ただひたすらに「人間の記憶から絞り出された、匿名の笑い」だった。
そして現れた。
笑神。
それは、顔を七つ持っていた。
埋蔵仏の「爆笑面」
狐面の「ゆがみ笑顔」
願い石の「歪な口角」
御札の「張り付いた表情」
仮面の「引きつった営業スマイル」
くびれ女の「頬笑み未満の圧笑」
土偶の「愛嬌という名の虚無」
それらすべてが融合し、人のかたちをした“笑いそのもの”が、七人の前に立ちはだかった。
「笑え」
その声は、地響きだった。
「笑え。笑えば救われる。笑わなければ、記憶を剥ぐ」
「笑ってんじゃん! 全部お前が作ったんじゃん!!」
啓介がツッコミを入れるが、笑神は揺るがない。
「お前たちは、“笑い”を消費した。意味なく、無意識に。それが私を膨らませた」
「違う!」
紗那が前に出る。
「わたしたち、怖かったけど、ちゃんと向き合ったもん! “おかしい”って思いながらも、ちゃんと笑った! 人のこと、ひとつひとつ、怖くても受け止めてきた!」
「“無意識”と“祈り”は違う!」
真澄が叫ぶ。
「笑いは祈りだったはず。あなたはただの“祈りの残りかす”なんかじゃない!」
「だから……」
和馬が息を吸い――
「お前が一番“おもしろくねえ”んだよ!!」
その瞬間、笑神の全顔が止まった。
無数の口が、パキパキと音を立てて閉じられる。
一瞬の静寂。
そして、笑神がぽつりと――
「……つまんなかった?」
言った。
次の瞬間。
七人全員が、爆笑した。
「つまんねぇぇぇぇぇ!!」
「でもめっちゃ気にしてたのかわいいなお前!!」
「急に傷つくタイプ!!」
「なんか思ったより繊細だった!!」
笑いが弾けるたび、笑神の体がひとつ、またひとつと崩れていく。
「あっ……これが……“ほんとうの”……」
「“自分で笑わせて自分で消える”とか、自爆芸人か!!」
崩れながら、笑神は最後に言った。
「……たのしかった、よ。ありがとう……」
そして、七つの顔は空へと還っていった。
***
数日後。
町は元に戻っていた。異変もなく、日常が続いていた。
ただ、ひとつだけ違ったのは――
誰かがふと笑うと、その笑い声が、ほんの少しだけ“やさしく反響する”ようになったことだった。
まるで、どこかで「笑い」を見送った誰かが、そっと答えているかのように。
(第15話『“笑神”来訪と七つの呪笑』:End)