「貴也さんって、狐のお面って似合いそうですよね~♡」
「……その言い方は誉めてるのか、呪いの前フリなのかで受け取り方が真逆になるんだけど」
亜希の上目遣いに、貴也は苦笑いで応じた。
今日は町の資料館で催されていた「民間信仰と仮面展」の最終日。展示室の奥に置かれたガラスケースには、ひときわ異彩を放つ狐面が並んでいた。
その中央――
笑っている狐の面があった。
しかしその笑顔は、一般的な能面や神楽の狐とは違う。あまりにも人間くさく、歯が見え、目尻が下がり、まるで酔っ払った中年男性の顔を模したような、どこか間抜けな笑顔だった。
「……この面、なんでこんな顔なんですか?」
亜希が尋ねると、近くにいた学芸員が説明をくれた。
「これは“狐々講(ここうこう)”の儀式で使われた“送神面”です。旧暦の8月13日、村を去る“神の仮宿り”を笑って送るための面だと言われています」
「笑って送る……」
「ええ。“泣くと帰ってこない。笑えばまた来る”という考えがありまして。村人全員がこの面をかぶって、狐踊りで神様を送り出したそうです」
「面白そう~♡」
「ただしですね……」と学芸員は声を落とす。
「この面、“笑い続けなければ外れない”という伝承がありまして。途中で笑いを止めると、神が“その人に居座ってしまう”と」
「笑い続けなければ……?」
「そう、“狐々講”は“強制笑顔での見送り儀式”だったんです」
貴也はぴたりと動きを止めた。
そして、じっとその笑面を見つめた。
「……これ、貸してもらえる?」
***
夜、町の古い公民館の倉庫。
貴也と亜希は、地元の許可を得て、再現実験として“狐々講”の簡易送神儀式を行うことになっていた。とはいえ、実際の目的は記録と観察だ。
「じゃーん、笑い狐、つけてみました~♡」
「うわ、想像以上に不気味」
亜希は陽気に狐面をかぶっていた。だが、笑顔のままのそれは、静かな場所で見るとどこか空虚な喜劇のようにも見えた。
「じゃあ始めよう。テープ回すよ」
貴也は手元のレコーダーを回しながら、ノートにメモを取る。
・狐々講:仮面をかぶり、無言で笑いながら舞い、神を“送り返す”儀式
・音楽は使用せず、笑いの音だけで構成
・最後に仮面の者が「笑うか、帰るか」と問う。笑えば儀式完了、笑わねば“憑く”
「じゃあ亜希さん、いってみようか」
「笑えばいいんですよね♡」
彼女は笑った。
「アッハッハッハッ……アハハ……あは……は……」
そのとき、空気が一変した。
風もないのに、カーテンが揺れる。
テーブルの端に置いた面が――勝手に動いた。
貴也は記録用の目をしたまま、呟く。
「……始まった。来たな、“神の笑い”」
「え、これって予定通りなんですか!?」
「予想より10分早いけど、まあ許容範囲」
「そういう問題!?」
そのとき、亜希がかぶっていた面が――動かなくなった。
「ん……外れない……あれ、これ、ほんとに……!」
「ちょ、まずい……“笑いが途切れた”……!?」
狐面の中から、低くこもった声が響いた。
「ワラッテ……モウ、スコシ……」
そして、狐面の口がゆっくりと、笑ったまま開いた。
中から、白い煙のようなものが溢れ出る。
「わっ、わわっ、やだっ、貴也さんっ!?」
「目、閉じて! 笑って!! なんでもいいからギャグ言って!!」
「えぇええ!? えっと、えっと――“コンッ”って鳴くとき、コン詰めすぎて気絶する狐!!」
「クソ寒い!!!」
が、それで――笑面はカクンと首を傾けた。
「……オモシロカッタ……アリガトウ……」
白煙がふっと消える。
狐面は、カラリと床に落ちた。
***
翌朝、資料館のケースには、狐々講の面が元通り収められていた。
説明文が新しく貼られていた。
※この面は、“笑っても笑われても、送り出すための道具”です
笑った人が“神様”だったこともあるのかもしれません
貴也はそれを見て、ぽつりと言った。
「……じゃあ、あれも“神様”じゃなくて、“誰かを笑顔で見送りたい誰か”だったのかもね」
亜希はニコッと笑って、
「今度は、わたしが笑わせる番かなぁ♡」
と、カバンの中から大量の狐グッズを取り出していた。
(第14話『狐々講と笑面の送神式』:End)