「え?」
一瞬、黒い雲かと思った。しかしそれは違った。真昼の空にぽっかりと穴が空いたかのように、夜空が広がる。空が暗闇に覆われていく。さっきまで真昼だったのに、一瞬にして夜になってしまった。
「何が起こって」
「きたね」
ひかるは険しい顔つきになった。壁のガラスが一斉に割れたのだ。パリインという音ともに、破片が地面に落ちる。さらに、わたしのスマホが激しく震え、通知音がする。画面に文字が出ていた。
「カラダヲヨコセ」
「体をよこせ?」
その文字は、壁にあったディスプレイにも映し出されている。
画面からも、スマホからも、無機質な電子音がする。わたしは不気味さに震えた。
「クララちゃん、下がって」
ひかるがわたしに言った。前を見ると、不可思議な物体、いや光の塊が目の前に現れた。二メートルくらいの人型をしており、手と足が細長い。体全体が光っており、顔はない。人型の足元には、スタッフが転がっていた。血まみれだ。状況はわからないが、きっとあの化け物にやられたのだ。
「カラダヲヨコセ」
また音がした。それと同時に、床にあった手すりが膨張、破裂した。破片が飛んでくる。
「インタラクション!」
ひかるの声。破片に向かって光線が飛ぶ。しかし、ひかるはその破片をまともに受けた。
「うわっ!」
彼女は倒れる。額からは痛々しく血が出ていた。
「星海!」
「苗字じゃなくて……名前で呼んでほしいな」
ひかるはなんとか立ち上がったが、ふらついていた。何が起こっているのかわからないが、化け物に立ち向かうつもりらしい。わたしも破片を食らった。腕からかなり出血があるのに、痛みはない。体の状態が普段とは違っている。
「カラダヲヨコセ!」
音ともに壁が大きく膨らむ。より大きな攻撃が来ると感じた。
ひかるはふらつきながらも光線を飛ばすが、敵の体に吸い込まれていった。
「効いてない……!?」
頑張っているようだが、勝てるようには見えない。わたしは思った。あの爆発に巻き込まれれば、わたしは死ぬだろう。そうすれば、全てが終わる。それはわたしには好ましいことに思えた。学校にも、家にも、わたしの味方なんていない。そして、アイザックハウスに逃げ込んでも、もっと状況が悪くなるだけだ。そして、自分に嫌気がさすようになる。どこにいっても、暗闇だらけ。宇宙に希望なんてない。
わたしは、壁の前に出た。それは膨張し、今にも、破裂しようとする。わたしは両手を広げた。これで、大嫌いな宇宙とお別れだ。
「クララちゃん、危ない!」
ひかるだった。またわたしの前に出たのだ。光を発生させる。壁が破裂する。破片を光線が迎え撃とうとする。でも全ては防ぎきれなかった。彼女は破片を受け、倒れた。
「星海……!」
彼女は、血まみれになりながら、わたしに寄りかかる。
「なんでわたしを助けるのよ」
彼女がよろよろと手を挙げた。
次の瞬間、頬に痛みが走った。ひかるがわたしを引っ叩いたのだ。
「えっ……」
「ダメだよ」
彼女はボロボロになりながら、初めて厳しい顔をわたしに向けていた。
「宇宙を嫌ってもいい。滅びてしまえばいいのにって思ってもいい」
ひかるはじんじん痛むわたしの頬を、血のついた両手で挟んだ。
「でも、自分を嫌わないで。自分だけは大切にして」
わたしを見つめる。少し笑っていた。
「クララちゃんは、わたしの最後の希望なんだから」
彼女は力を失いわたしに寄りかかる。
「ひかる……!」
わたしはなんとか支える。息も絶え絶えに言った。
「ひかるって、呼んでくれたね……」
「それどころじゃないでしょ」
「クララちゃん。手を前に出して、インタラクション、だよ」
ひかるは、手に年間パスポートを持っていた。それを、わたしにまた差し出す。
「え……」
「生き……て」
彼女は気を失った。目の前に光の塊がやってくる。
「カラダヲヨコセ」
化け物はのろのろと、迫ってくる。やつらは光の塊で実態がない。わたしたちの体が欲しいのだろうか。わたしは気を失ったひかるを抱えながら震えた。
このままではやられる。それは、わたしの望んだことだったはずだ。この宇宙と別れる、一番手っ取り早い方法。でも、頬の痛みがじんじんと響いていた。自分を嫌わないで。ひかるは言った。
――クララちゃんは最後の希望だから。
――少しでも光があるなら、大切にしたいって思うんだ。
わたしは、宇宙のことが大嫌いだ。でも二年前、確かにわたしは宇宙に救われた。本当はどうしたいか。そんなこと、わかっていた。ひかるに問われるまでもなく、最初から。
――宇宙のこと、好きになれるといいね。
ひかるの言葉が頭に響く。このまま終わるなんて、嫌だ。わたしは年間パスポートをつかんだ。そして、手を前に出した。ひかるの見様見真似で、叫ぶ。
「インタラクション!」
手の前に、暗闇が現れた。真っ黒い塊だ。それがわたしの体を取り囲む。そして、湧き出てくるかのように、一気に広がった。目の前の敵も、周りの空間も埋め尽くす。
目の前にいた光の塊がなくなった。砕け散ったガラスも、プラネタリウムも、嘘のように元に戻った。空の星と暗闇は消え、真昼の青空が残った。腕の中で眠るひかるも、血まみれではなかった。
死のうとしたわたしを助け、引っ叩いたひかる。もしかして、この宇宙に光は、あるのだろうか。そう考えていると、気が遠くなって私は倒れた。
目を開けると、ひかるの顔があった。ぱっと晴れやかな表情になる。
「あ、クララちゃん起きた!」
体を起こすと、ひかるはわたしに抱き着いてくる。
「よかった、なんともなくて!」
「ひかる、やめなさい」
「わあ、ひかるって呼んでくれるんだね」
スキンシップの激しさにわたしはじたばた抵抗したが、かなり強く抱きしめてきたので引き離せなかった。わたしは抵抗をやめた。体温が伝わってきて、少し心地よいとさえ思った。やはり、ひかるは無傷だった。さっきまで血まみれだったのに。
「わたしは、夢を見ていたの?」
突然広がった星空。光の姿をした化け物。飛んできた破片に、ひかるの発した光線。
破裂からわたしを守ったひかる。そして、わたしの体から出てきた黒い塊。
「ううん、夢じゃないよ」
ひかるは首を横に振った。
「あの戦いは、全部本当にあったこと。何より……」
ひかるの体の温かさが伝わってくる。
「クララちゃんがわたしを助けてくれた。ありがとう」
すごく感謝されている。どうやら、わたしから出てきた黒いもののおかげで、ひかるは助かったらしい。
「さっきの戦いって……一体何が起こっていたの?」
落ち着くと、疑問が湧き出てきた。
「なぜいきなり夜になったの? あの光人間は何? なんで破裂したの? 光を操ったのって何? わたしから出てきた黒い塊は何? なんでひかるは無傷なの?」
「えーと、それはね。宇宙がばーんってなって、わーってなってどかーん!」
「え?」
「クララちゃんの力がぐってなって、きゅいーんってなってばーん……ってなったんだ」
「いや、全然わからないけど」
ひかるは身振り手振りで一生懸命説明しているが、何も伝わってこない。どうやら彼女に説明は期待できないようだ。呆れていると、男性の渋い声が響いた。
「君は、別宇宙からの侵略者を撃退したんだ」
白衣を着て、白髭を蓄えた、白髪の壮年男性がいた。
「あ、博士!」
説明に窮していたひかるは、助かったとばかりに振り返った。
「あなたは?」
「私は、星海大空(たいくう)。アイザックハウスの館長で、宇宙理論の研究をしている。いつも来てくれて嬉しいよ」
アイザックハウス通いは館長にも知られていたらしい。気恥ずかしかったが、もっと気になることがあった。苗字が星海。
「お父さん?」
「親代わりといったところかな」
「親代わり……」
「うん。一緒に暮らしてるんだけど、博士はとっても優しいお父さんなんだ!」
ひかるは自慢げに言った。複雑な事情がありそうだ。深入りするのはやめておこう。
「まあいいわ。それより、別宇宙からの侵略者って?」
博士は顎に手を当てて考える。
「君はマルチバースについては知っているかな?」
わたしはうなずいた。
「ええ。この宇宙とは異なる法則を持った、別の宇宙ね。SF映画でもよく聞くけれど」
「君が見た敵は、マルチバースからの侵略者だ」
それから、博士は説明してくれた。
別の宇宙、アナザーバースからの侵略者がやってくること。シュレディンガー領域という特殊な空間ができ、敵に支配されるとこの宇宙は滅びるということ。インタラクターという能力者が、戦える唯一の存在であること。ひかるとわたしが、インタラクターであるということ。そしてわたしは、暗黒物質と暗黒エネルギーを操る力を持っているらしいということ。
「じゃあ、わたしの手から出てきたのは、暗黒物質?」
「そうだ。本来ならば光に干渉しないから透明になるはずだが、シュレディンガー領域内の光景はインタラクターの認識で決まる。暗黒物質の正体が人類にとって不明なため、黒く見えたのだろう」
わたしは手を見た。信じられない。あの黒い物質を操る力が、わたしにあるなんて。
「暗黒物質と、暗黒エネルギー……つまり、君は最大でこの宇宙の九十五パーセントを操れるということになる」
「九十五パーセントを……」
「そうだ。ひかる君の光を操る力がどんなに多くても宇宙の五パーセント未満であることを考えると、驚異的な数字だ」
自分の手を見た。この中に、宇宙を操る力がある。想像を超えた話だ。
「つまりそれって、どういうこと?」
ひかるが星海博士に聞いてきた。
「クララ君の力は、すごいということだ」
「すごいんだ! それはすごいね」
彼女は心の底から感心しているようだ。その理解でいいのか。
「やっぱりクララちゃんは最後の希望だね。クララちゃんがいれば、何とかなる気がする」
「うむ。君の力があれば、より激化するアナザーバースの侵略からも、ユニバースを守ることができるだろう」
星海博士は言った。ひかるは意を決したのか、わたし相手に手を伸ばしてきた。
「お願いクララちゃん! 一緒に、宇宙を守ってください!」
目がキラキラ光っている。わたしは、差し出された手を見た。
話が壮大すぎて実感も何もないが、彼らの話は要するにこういうことだ。
ひかるは宇宙を守ろうとしているが、力が足りない。でもわたしの持つ力があれば、宇宙を守れるそうだ。だったら、わたしは……。
「嫌よ」
即答した。星海博士とひかるは目を見合わせた。
「あなたたちの話が受け入れられたわけじゃないけど……全部本当だとしても、わたしは、別にこの宇宙を守りたくなんかない。むしろ、滅びてしまえばいいと思ってる。わざわざ嫌いな宇宙のために、苦労する気なんかないわ」
学校にも家にもわたしの味方はいない。どこにも希望などない。そんな宇宙がピンチと聞かされても、やる気が出てくるわけがない。むしろ、願ったり叶ったりだ。放っておくだけで、滅びてくれるのだから。例え巻き込まれて、自分の人生が終わったとしても。
「最後の希望なんて言われて、勝手に期待されても困る。誰もがみんな宇宙を守りたいと思ってるわけじゃないのよ」
「そうだよね」
ひかるは寂しそうに笑った。
「やっぱり戦いたくないのが、普通だよね。ごめんね。無理に誘ったりして」
「え……」
「わたし、クララちゃんのこと考えず、自分勝手に期待してた。巻き込んでごめんね」
わたしは意外に思った。もっとしつこく勧誘されると思っていたのに、ひかるが簡単に諦めたからだ。
「でも、さっきは助けてくれて、ありがとう。おかげで、わたしはまだ戦える。守ってくれたおかげだよ」
淀みのない瞳と声を、わたしに向けてくる。
「それは、別に守ったわけじゃない……」
わたしは目を逸らした。ひかるの目をまっすぐ見ることができない。
「生きたいと、思っただけよ」
わたしはアナザーバースの攻撃に身を晒し、死のうとしていた。しかし、ひかるにかばわれた。ひかるは、自分を嫌わないで、生きて、とわたしに言った。わたしは、ひかるの言うままに手を出してインタラクションと叫んだ。初めて、生きたいと思ったのだ。
「なら、よかった」
ひかるは笑った。
「クララちゃんのいる宇宙を守るために、わたしがんばるね!」
「ひかる」
わたしのために? そのとき、また空が闇に包まれた。窓から真っ暗な夜の空が見える。
「シュレディンガー領域発生! アナザーバース侵食率三十パーセント! 敵性インタラクター、学校に出現!」