第二章 タキオンバース
朝、わたしは眠い目をこすって起きた。昨日はとんでもない目にあった。
科学館でひかるに話しかけられ、突然化け物に襲撃された。命を落としそうになり、不思議な力が目覚めた。それを使って、別宇宙からの侵略者をひかるとともに撃退した。
その体験で疲れているのもあるが、昨日の夜なかなか寝られなかったのが眠気の原因だ。スマホには、大量のメッセージが表示されている。
『ねえねえクララちゃん』
『明日は学校だね! クララちゃんと行くの楽しみ!』
『学校終わったら一緒にアイザックハウス行こうね』
ひかるとのメッセージのやりとりだ。昨日別れたあと、夜寝る前にメッセージがどんどん送られてきて、その相手をしていたらなかなか眠れなかったのだ。
昨日の戦いは宇宙でわたしと、ひかると、星海博士しか知らない。すべてが元通りになったからだ。だからわたしは今日も学校に行かなければならない。わたしは宇宙を救ったらしいが、現実はそのままだ。また、クラスで宇宙人と呼ばれるのか……そう思いながらダイニングに行くと、お母さんとお父さんが真面目な顔をして椅子に座っていた。
「クララ、ちょっと座りなさい」
お父さんが声をかけてくる。珍しい。普段は二人ともわたしには見向きもしないのに。
「どうしたの……?」
わたしが座ると、二人は目を見合わせ、うなずいて話し出した。
「昨日、お父さんとお母さんで話し合ったんだ」
「えーと」
わたしは、どう反応すればいいのかわからなかった。普段お父さんはほとんど話さない。お母さんが怒るのを黙って聞いているだけだ。
「あなたがあんなこと言うから」
お母さんが、目を逸らしつつ言う。
「あんなこと?」
わたしは思い出した。アナザーバースとの戦いの印象が強すぎて自分でも忘れていたが、昨日お母さんと電話で口論したのだ。なんて言ったっけ?
――わたし、いじめられているのよ。
「ごめんなさい、クララ」
お母さんは、決まり悪そうに頭を下げた。
「私もお父さんも、仕事ばかりして、あなたの話を聞いてこなかった。学校でどんなことが起こっているのかも知らずに、責め立ててばかりだった。あなたのことを支えないといけないのに、邪魔しないでなんて言って」
その目には涙が浮かんでいた。
「あなたが生まれたとき、お父さんと、この子が私たちの夢だって話したのを思い出したわ。私たちは、大切なものを忘れていたのね。昨日あなたの大声を聞いて、目が覚めたわ」
「父さんも、全然助けてやれなかった。そのせいで、お前が苦しんでいることにも気づかずに。すまん。本当にすまん」
お父さんも頭を下げた。わたしは開いた口が塞がらなかった。
「どうして急に、そんなこと」
「おとなしいあなたが、初めて大声を出してきたから、私、びっくりして……それで、初めて気づいたのよ。自分のことばかり言って、あなたの声には耳を傾けないできたって。あなたが怒ってくれなかったら、ずっとあのままだった。ごめんなさい」
いきなりすぎて変化を受け止められない。事実に感情がついてこない。
昨日までは、宇宙なんか暗闇ばかりだと思っていた。でも、ひかるに自分を嫌わないで、と言われて、お母さんに口答えをした。そして今、お母さんとお母さんの態度は変わった。
「学校で、いじめられてるのは……本当なの?」
わたしの心臓が速く鳴り始めた。変わり始めている。全てが敵だらけだった宇宙が、滅びたほうがいいと思っていた宇宙が。
「ええ」
わたしは、うなずいた。そして、全て話した。学校で浮いて、宇宙人呼ばわりされていること。友達にも裏切られ、孤立していじめられていること。
「そんなことが……」
お母さんとお父さんは、顔を見合わせた。しばらく考えていたが、お父さんは言った。
「とにかく、まずは先生に相談しよう。警察にも言って、法に訴えよう」
それを聞いて、わたしは首を横に振った。
「まだ、先生や警察に言うのは、やめてほしい」
「え?」
「余計にややこしいことになるわ。張本人の真冬は、先生にも気に入られてるし、親は有力な官僚で、学校や警察への影響力もある。こっちが不利な話になって、もっと目をつけられるかもしれない」
わたしは黙って耐えていたわけではなく、先生に相談したこともある。しかしその話は、いつの間にか揉み消されてしまっていた。真冬の父親が裏で手を回しているのだ。みんな真冬に逆らえないし、先生も見て見ぬふりだ。
「じゃあ、こんな学校やめて、転校よ。フリースクールや通信教育でもいい。今の時代、いろんな手があるのよ」
わたしは考えた。学校を移る……頭にひかるの顔が浮かんだ。能天気な声も思い出す。彼女は、わたしを最後の希望と言った。ずっと一人で宇宙を守ってきて、今はわたしだけを頼りにしている。もし学校を移ったら、また彼女を一人にすることになる。
「それも、待ってほしい……」
「どうして?」
「この学校を離れたくないの。友達が……いるから。味方してくれる人もいるのよ」
――宇宙を好きになってほしいな。
頬の痛みを思い出す。学校は、移れない。
「そんな。じゃあ、どうするのよ」
「もう少し待てば、何か変わるかもしれない」
「本当に?」
「ええ。わたしの味方が増えれば、真冬もいじめを諦めるかもしれないわ」
お母さんとお父さんは、心配そうに顔を見合わせた。
「そんなに、その友達が大切なのか」
「友達というか……」
複雑な気分だ。ひかるはわたしの友達なのだろうか。彼女とは昨日会ったばかりだ。でも、わたしを好きと言ってきた。
――クララちゃんは、わたしの最後の希望だから。
――一目ぼれなんだ。
「大丈夫か? なんでも言うんだぞ。父さんと母さんで助けになることはなんでも」
いじめをやめさせる当てがあるわけではなかった。でも今、お父さんとお母さんは頼れなかった。学校を変えたくない。ひかるを一人にはできないからだ。
「じゃあ……聞きたいことがあるんだけど」
わたしはもう一つ、気になっていたことを思い出した。
「何?」
お母さんは身を乗り出してきた。少し恥ずかしかったが、わたしは聞いた。
「女の子が、女の子に……一目ぼれすることって、あるの?」
わたしは学校までの道を歩きながら、お母さんの言っていたことを思い出した。お母さんはかなり困っていた様子だが、慎重にコメントをひねり出してきた。
「女の子が好きな子なら、あるでしょうね。もし友達がそういう子だったとしても、一人の人間として尊重してあげるのが大事よ。クララも、女の子が好きなの?」
「そういうことじゃなくて」
お母さんの深読みに、わたしは慌てて首を振った。
「私はそれでも構わないわ。クララが幸せになってくれるのなら。ねえ、お父さん」
「ああ」
何か誤解を受けたような気がしたが、登校時間が来たのでわたしは家を出た。歩きながら耳を触った。昨日聞いた、ひかるの声が残る。暖かく、柔らかかった。
『わたしは好きだよ』
『そのままの意味』
ひかるは、女の子が好きな子なのだろうか? そしてその対象は、わたし?
考え事をしながら、学校について、下駄箱を開けた。どさどさと、ゴミが落ちてきた。ほこりや紙くずが床に落ちる。
「あら、みんなの下駄箱を、汚しちゃダメでしょ。宇宙人」
後ろから声をかけられた。振り返ると、学級委員長の寒川真冬がいた。
「あんた……」
クスクスと笑いながら、数人で通り過ぎていく。わたしは床に散らかったゴミを拾うのでやっとだった。そして、上履きを取り出すと、そこには文字がでかでかと書いていった。
宇宙人。わたしはため息をついた。
「やっぱり、こんな宇宙、滅びればいいのに……」
アイザックハウスに駆け込みたかった。でも、お父さんとお母さんに大丈夫と言ってしまった手前、逃げ出すわけにもいかない。悲壮な覚悟をして、落書きされた上履きをつかんだら、声がかけられた。
「クララちゃん!」
能天気な声だ。笑って線みたいに細くなった目。ひかるが上履きを持ってわたしに見せている。そこにも宇宙人と書かれていた。ひかるの下駄箱を見ると、そこにもゴミが詰まっている。
「おそろいだね!」
ひかるは嬉しそうに言った。わたしは驚きを隠せない。
「いや、おかしいでしょう。なんで笑ってるのよ」
自分の状況を理解していないのか。
「今日からクララちゃんと一緒に学校生活と思うと、わくわくしちゃって」
「それどころじゃないでしょ。あなたもいじめられているのよ」
「隣の席だよね。楽しみー」
「聞きなさいよ」
口論しながら一緒に階段を上がり、教室に入った。わたしの机の上にも、ゴミが乗せられていた。それを払うと、やはり宇宙人と落書きがしてある。
「これも、おそろいだね」
隣の机を見ると、ひかるの机も同じだった。ゴミと落書きがしてある。クスクスと笑う声が聞こえる。あざけるような冷たい目線を感じる。真冬と、周りに群がる数名の取り巻きだ。見渡すと、桜井小春と目があった。こちらを眺めていた彼女は、すぐに後ろめたそうな顔つきをして、目を逸らす。
「……ひかる。昨日、わたしについてなんか話した?」
「うん。言ったよ。クララちゃんを宇宙人って言うのはおかしいって。ひどいことはやめてって」
「それであなたも宇宙人扱いなのね」
なんでもないことのように言うひかるに、わたしはため息をついた。
「あはは、宇宙人仲間だね!」
「嬉しくないわよ……」
それからひかるは周りに構わず、わたしに近づいてきた。教科書がないからといって、一時間目から机をくっつけてきた。休み時間もずっと話しかけてきたし、トイレにもついてきた。できるだけ反応しないようにしていたが、歴史の授業の前、ひかるが得意げに出した宿題を見て、思わず突っ込んでしまった。
「そのプリントの答え、全部間違ってるわよ」
「えー?」
「年号が一年ずつ後ろにずれてる。終戦の日は今から七十年前でしょ」
「そうかなー」
とぼけている。昨日受けた残念な感じは、間違っていないようだった。極めつけは昼休みだ。わたしがコンビニのサンドイッチと牛乳を出し、いつものように人のいない場所に逃げようとしていたときだった。
「クララちゃん! 一緒にご飯食べよ!」
ひかるは、そういうと、弁当箱を二つ鞄から取り出してきた。なぜ二つ? そして当たり前のように自分の机と、わたしの机に置く。落書きを消せていない机だ。
「えっ。何これ」
「えへへ、作ってきたんだー」
「そういう問題じゃなくて、なんでわたしの机にもお弁当が置かれるのよ」
「いいから、食べて食べて」
わたしがあっけにとられていると、ひかるは弁当箱を開けた。ハンバーグに、唐揚げに、豚の生姜焼き。おかずが肉ばかりだ。ひかるは端を取り出すと、唐揚げをとって満面の笑みでわたしに差し出した。
「あーん」
「待ちなさい」
「クララちゃん、食べたくない?」
うるうるした目でわたしのことを見かけてくる。まるでわたしが悪人のようだ。ひるんでいたら、押し出される唐揚げをそのまま口の中に入れられてしまった。
もぐもぐと噛みしめると、確かに衣はサクサクしていて中からは肉汁が出てくる。
「おいしい?」
「まあ、おいしい、わね」
「じゃあ次、あーん」
今度は、ハンバーグが差し出される。
「わかった、わかったわよ。食べるから。せめて自分で食べさせて」
わたしはなんとかひかるから箸を奪い取り、サンドイッチを置いて弁当を食べ始めた。
「昨日もクララちゃん、昼サンドイッチだったよね」
「中学に上がってからずっと買ってるわ。お父さんもお母さんも忙しいから」
なんでも言ってちょうだい。お母さんとお父さんがそう言っていたのを思い出した。
わたしは考えた。お弁当、か。クラスでは、ほとんどの子が弁当を持ってきている。
小学校の頃はお父さんもお母さんも優しかったし、お弁当もおいしかった。今はもう、作ってくれなくなったけれど。
「まさか……それで、作ってこようって思ったの?」
「うん。いっぱい食べてほしいなあって」
ひかるは屈託なく笑った。
「そんなにわたしに構うから、一緒にいじめられるのよ」
わたしは、周りを見た。二人で机をくっつけて話すわたしたちを、真冬たちは冷たい目で見ている。こそこそ噂しているが、百パーセント悪口だ。
「そんなことより、わたしはクララちゃんと一緒にいられるのが嬉しいもん」
ひかるはわたしをまっすぐ見つめて言った。
「クララちゃんは、最後の希望だから」
「一緒に戦うとはいったけど、学校であまり密着されると困るわ」
確かに、わたしはひかるとともに戦うことを決めた。でもそれは、アイザックハウスでの、アナザーバースとの戦いに限った話だ。朝から夜まで一緒にいると言った覚えはない。
「昨日のメッセージといい、寝られないくらいじゃない。困るのよ」
「そんなにわたしのことが嫌い?」
「嫌いよ。あなたといると……」
わたしはあたりを見回す。みんな白い目だ。学校では、みんながわたしの敵なのだ。
「自分がどういう状況にいるかも、忘れてしまうじゃない……」
「あの!」
振り向くと小春がいた。二人で食べているところに近づいて、もじもじしている。
「あ、小春ちゃんー」
ひかるが機嫌よさそうに手を振る。小春もいじめる側なのをわかっていないのか。
「クララちゃん、あの」
「わたし?」
緊張感が増した。小春は、小学校の頃は友達だった。あまり覚えがないけれど、彼女は優しかった。中一のころも、最初はそうだった。いじめられて孤立するわたしに、ただ一人話しかけてくれたのだ。
すると真冬がいじめの矛先を小春に変え、わたしは文句を言った。
『小春にまで手を出すのはやめなさいよ』
真冬の返事は簡単なものだった。
『ネクララが、調子に乗るな』
小春へのいじめは終わった。しかし、真冬はもっと卑劣なことを始めた。小春を使い、わたしに嫌がらせをするようになったのだ。小春に落書きをさせたり、ものを隠させたりする。小春は、自分の身を守るには加害者になるしかない。
いつもこちらをおびえた目で、後ろめたそうに見てくる。彼女も被害者だ。もともとは自分に構ったことが原因なのだから。しかし完全に割り切ることはできない。小春への恨みも、当然ある。少なくとも警戒心は隠せない。
「あのね、クララちゃん……」
小春がもじもじしていると、誰かがぶつかった。小春は倒れる。
「いたっ」
「あ、ごめんね小春ー。気づかなかった」
真冬だった。軽く言いつつ、小春を一にらみする。小春はおびえた。
「……なんでも、ない」
そして、そそくさと立ち去る。その後ろ姿を見送る。
「なんなのかしら」
ひかるは弁当を片付けながら言った。
「クララちゃんと仲良くしたいんだよ」
「それはありえないわよ。だって、あの子はわたしを避けてるのよ」
「クララちゃんは、小春ちゃんと仲良くしたくないの?」
「あんな子、嫌いよ」
でも、小春は明らかに真冬に目をつけられて、話すのをやめた。少なくとも彼女にけしかけられたわけではない。もしかして、わたしと話したい? いいや、そんなわけはない。
取返しのつかないことは、たくさんある。小春とも友達に戻れないし、お母さんが弁当を作ってくれることもないのだ。