「ごめん、寝坊しちゃった」
ひかるは九時から十分遅れて駅まで来た。
「遅いわよ!」
「クララちゃん、来てくれた!」
「なんで自分で時間言っといて遅れるのよ」
怒っても聞かずに、ひかるはわたしの腕に手を回す。
「ひっつかないで」
「クララちゃん、かわいいねー」
ひかるはにこにこする。
「すごく似合ってるよ。お人形さんみたいでクララちゃんにぴったり!」
そんなこと初めて言われた。黒を基調として、長いスカートをはいて……好きだからこんな服ばかり着ているが、いつも陰気なネクララとばかり呼ばれていじめられるのだ。
ひかるは明るい色の身軽そうなパンツルックにスニーカーを履いていた。ボーイッシュな感じで、元気なひかるによく似合っている。
「あなたこそ」
「え? わたし?」
期待に満ちた目でわたしを見る。
「いや、なんでもない」
わたしは目を逸らした。その目を見ていると、圧に負けそうになるからだ。
「……今日はどこに行くのよ」
「これに行きたい!」
ひかるは、嬉々としてチラシを何枚か見せてきた。全て、星空が映し出されている。
「プラネタリウムね……このうちのどれにいくの?」
「全部!」
「あなた、正気なの?」
わたしは耳を疑った。ひかるは首をかしげた。
「あれ? クララちゃん、好きだよね。いろんなところがあるんだよ。生の演奏があったり、アロマが漂ったり。前から行ってみたかったんだ」
「いろんな種類があるからといって、一日にいくつも行くようなものではないでしょう。それに、好きじゃ……ない。宇宙なんて、大嫌いだから」
そうしたら、ひかるは微笑んだ。
「なら、クララちゃんが、宇宙を好きになれるといいなあ」
優しい声だった。また、それだ。ひかるは、何回もその言葉を言うのだ。
「じゃあ、れっつごー!」
ひかるに連れられて、プラネタリウムめぐりの旅に出発する。
まずは、電車を乗り継ぎ池袋に向かう。複雑な駅とたくさんの人に戸惑いながら地上に出る。アイザックハウスには入り浸っているが、他の所に行くのは初めてだった。たどりついた先のプラネタリウムで、座席を見て絶句した。二人用の、ふかふかしたピンク色のベッドのようだ。
「カップルシートだよ。二人で寝っ転がってみるんだ」
「あなた……」
「えいっ」
「きゃあ」
背中を押され、わたしは座席に突っ込んだ。横に、ぼふっとひかるも倒れ込んでくる。
「上見て!」
天井を指さすひかるにつられて仰向けに寝転ぶと、視界に映し出された夜空が広がる。
「よく見えるわね」
「きれいだね」
ひかるが手を握ってくる。当たり前のように。手がすごく熱い。上映が始まって、音楽と映像が流れ始めた。カップルシート……わたしは、平常心でいられなかった。というか、誘いがきたときからずっと考えてしまって、昨日は夜も眠れなかった。
デートのつもりで誘ったのだろうか。ひかるは最初の戦いのあと、わたしを好きだと、一目ぼれしたと言ってきた。
――女の子が好きな子なら、そういうこともあるでしょうね。
ひかるはわたしにそういう気持ちを持っているのだろうか。だとしたら、はっきり聞いたほうがいいのだろうか。あなたはわたしのことが恋愛的な意味で好きなの? どんなタイミングで? 恋愛どころか対人経験自体が少ないからよくわからない。
何より、わたしはそれにどう答えればいいのだろう。
――クララ自身が、女の子が好きって意味……?
わたし自身はどうなのか。ひかるは、ただの友達? いや、友達のつもりもないけど……。ならなんなのだろう。仲間? 希望? だめだ、こんなことを考えても答えが出るはずはない。今はプラネタリウムのことを考えよう。目と耳を星空に集中させる。でも、握られた手だけは、どうしようもなく熱かった。
「あー、楽しかったねー。きれいだったし、音楽も迫力がすごかったねー」
明るくなってから、ひかるが言う。顔が近い。もしかしてキスでもしようと思っているのだろうか。
「あれ、どうだった?」
「そ、そうね」
わたしは慌てて誤魔化した。
「天の川銀河の中心にも大きなブラックホールがあると言われている、と話していたけど、あれは少し情報が古いわね。一昨年、二〇二二年に実際にブラックホールの存在が証明されたから、もう予測ではないのよ。どんどん情報が更新されていくし、これは以前からやってるプログラムだから無理もないかもしれないけど」
「えー?」
ひかるは首をかしげた。
「えー、じゃなくてブラックホールの話、してたじゃない」
「してたっけ?」
「してたわよ! 寝てたわね、ちゃんと聞きなさいよ、説明」
「あはは、ばれた」
ひかるは、ぱっと笑顔を輝かせた。
「一生懸命聞いてたんだね、クララちゃん! 楽しんでくれてよかった!」
「う、それは」
「やっぱりプラネタリウム好きなんだね。嫌かなと思ったけど、誘ってよかったー」
「好きなんかじゃないわよ」
手をつないで、意識させておいて、自分は寝ているなんて、調子のいい子だ。
「まあまあ、怒らないで。次いこう!」
「次って何?」
「新宿。これから三十分後だから急がなきゃ!」
ひかるは走り出した。
「ちょっと、無計画すぎるでしょ」
しかも、駅に着いてから、別方向の電車に乗ろうとしたので、なおさら焦った。
「ひかる、逆よ。外回りに乗らなきゃ」
「あれー? 内回りじゃなかったっけ」
「違うわよ」
ひかるは遊び慣れてそうと思ったのだが、計画も土地勘もかなり適当なようだ。
そうして、その日は四つのプラネタリウムを回った。無計画なひかるのせいで、時間間隔も順番もめちゃくちゃだった。二つ目は、新宿に行き、オーケストラの生演奏を聴きながら見る星空。ひかるはとても気持ちよさそうに寝ており、一体何のために来たんだと言いたくなった。三つめは、解説員による生の説明を聞けるところだった。最新情報をもとにして話しているため、科学的に間違いがなく、わたしとしては一番興味深かった。だいたい、知っている話だったけれど。四つ目は、浅草に行き、声だけじゃなくて香りや煙などの演出もでてくるプラネタリウムだった。これは、ひかるが一番喜んでいるようだった。
終わったころには、もう夕方だった。わたしは、引き回されて息も絶え絶えだ。
「は、はあはあ。疲れたわね」
「でもクララちゃん、楽しそうだったね」
ひかるは満足そうだ。
「う、そんなでもないわよ……あなたは楽しかったの? 途中寝ていたけど」
「わたし? わたしはね、クララちゃんが楽しそうにしてたから、楽しかった」
「何それ」
そして、ひかるはまた電車に乗った。扉が閉まって、走り出す。
「あれ? これ、帰る方向とは逆よ」
「うん。最後に、もう一つ行きたいところがあるんだ」
電車は、どんどん都心から遠ざかっていく。外の光景は、ビル街から住宅街になり、だんだん田畑が広がってきた。
「どこに向かってるのよ」
「まあまあ、ちょっと待って」
バスに乗り換えて降りると、もう夜になっていた。湖のほとりだった。湖面が月明りに照らされて、鈍く光っている。空を見ると、星が夜を埋め尽くしていた。プラネタリウムで見たような星空だ。
「これは……」
「仕上げに、本物の星空も見ておきたいと思って!」
ひかるが湖の前に駆け出して、自慢げに両手を大きく振る。星空を見せつけるようだ。確かにこれは、都会では見られない。わたしは、つい笑ってしまった。
「何が、仕上げよ。おかしいわね。さんざん星空を見たのに」
「でも、今までのは全部映像の星空だったから。本物も、きれいでしょ?」
「まあ、プラネタリウムは、実際の空では見えにくい星も投影できるから、逆に本物の星空のほうが少なく見えるということのほうが多いけど……」
「きれいでしょ?」
「わかった、わかったわよ。きれいよ」
圧を感じたので、同意しておいた。二人で、本当の星空を見上げる。今まではプラネタリウムだったり、別宇宙の星空だったりしたから、この宇宙の星空を二人で見るのは、これが初めてだ。
「ねえ、クララちゃん」
「何よ」
「いろんな星空をいっぱい見て……宇宙、好きになった?」
ひかるは、わたしの手をまたしてもナチュラルに握り、肩を寄せてきた。今日、プラネタリウムを朝から夕方まで四か所も回った。そして、本物の星空まで見せられた。今までアイザックハウスで見ていたプラネタリウムのほかにも、色々な空がある。
ひかるはきっと、そのことをわたしに伝えたかったのだ。
それは確かに、よくわかった。でも――。
「やっぱり、嫌いよ」
わたしはひかるに最後の希望として求められ、能力に目覚め、アナザーバースと戦うことに決めた。そうすることで、何かが変わると思ったからだ。
確かに、変化はあった。お父さんとお母さんはわたしの敵ではなかったし、小春は何かわたしに語りかけようとしているように見える。
「どこの空を見ても、星がいっぱいあるように見えるわ。でも、その隙間はダークマターだらけよ。そして、ダークエネルギーがそれ以上にある。九十五パーセントもね。宇宙には、見えない暗黒が満ちているの。それは変わらない」
でも、小春はわたしの友達だった頃には帰らない。そして、お母さんとお父さんも、わたしに弁当を作っていた頃には戻らない。
「小春は、友達だった頃は優しかった。ひとりぼっちだったわたしに、いつも話しかけてくれた。でも、今は助けてくれない。もう、あのころのようには小春を好きになれない」
「うん」
それに、お母さんとお父さんにも、助けは求められない。だって、学校が変わってしまったら、また、ひかると離れ離れになってしまうからだ。
「小学校のときのことは、あんまり覚えてないけれど……あのころはよかったな、とか。昔に戻れればいいのに、と思ってしまう。そこからやり直せたら、何か変わるのかなって。過去には戻れっこないのに。そう思ってしまう、自分が嫌いよ。あなたに、自分は嫌わないでと言われたのにね」
「そっか」
ひかるは星空を見ながら言う。
「でも、残りの五パーセントは?」
「五パーセント?」
ひかるが見つめてくる。彼女がインタラクションを使ったときの、ディラック率も同じ割合だった。
「わたしは、クララちゃんの残りの五パーセントになれてるかな?」
ひかるの目はまっすぐこちらを見てくる。あなたが最後の希望になるなら、宇宙を守るとわたしは言った。
わたしはひかるの希望になる。ひかるはわたしの希望になる。そういう条件だった。
学校で酷い目にあっていても、ひかるの弁当を食べていれば、そんなことは忘れてしまう。ついさっきも、好きだとかそんなことばかり考えていた。
少なくとも今、わたしは生きようと思っている。でも、文句もいっぱいある。
「言ったでしょう。あなたなんか嫌いって」
「ほんとうに?」
「ほんとうよ。宇宙を救うために、自分を真っ先に犠牲にして無茶な戦いばかりするし。わたしにやたらとかまって、自分も一緒にいじめられるし。さっきのプラネタリウムも、わたしを喜ばせようとしていただけでしょう」
「あ、やっぱり楽しかったんだ」
「最後まで話を聞きなさいよ。あなたは、人のためばかりを考えているじゃない。自分を後回しにして。人を助けることしかないみたいに。まるで、自分に価値がないみたいに」
ひとりぼっちで献身的に戦っていたひかるを見守っていた星海博士は、ひかるにはそれしかないみたいだと言っていた。
「大変なのに、人には助けを求めない。だから嫌いなのよ……わたしみたいで」
ひかるの目を見つめる。両手をとって握りしめる。そうだ、わたしも同じなのだ。人に素直に助けを求めることができない。本当は、必要としてるのに。苦しくて、助けて欲しいはずなのに。わたしも本当は、宇宙のことが――。
「もっと自分のことを考えなさいよ。自分のやりたいことを言いなさいよ。自分のほしいもの、してほしいことを言いなさいよ。わたしの助けなんか、信じて待ってないで。求めなさいよ」
「わたしの、やりたいこと。ほしいもの」
ひかるは、わたしを見つめ返した。
「求めていいのかな……そんなこと、していいのかな」
「だから、そうしなさいって言ってるでしょ」
ひかるは、両親を失った後、たった一人のインタラクターとしてユニバースを守ってきている。だから、人を頼るということを知らないのだろう。どこか、遠ざけているようにも見える。無理やりにでも、言ってやらないといけない。
「じゃあ、わたしは」
ひかるは、わたしの肩に頭を預けてきた。
「こうしてたいな」
「え……」
「クララちゃんと一緒に登校して、一緒に授業受けて、ご飯食べて、アイザックハウスに行って、戦って……そうやってたいな」
「あなた」
ずっと一人で戦ってきたひかる。ずっと仲間を探してきたひかる。最後にわたしを見つけたひかる。
「たくさん食べてほしい。たくさん話して欲しい」
そしてひかるは、わたしの耳にささやくように語りかけた。
「キスしてほしい」
耳に吐息がかかって、顔が近くて、ほのかな熱が伝わってきた。髪が触れ合って、くすぐったい。
「キスして、ほしいな……」
彼女はわたしの目の前で目を瞑った。顔が目の前にある。ひかるがわたしを好きなのは、友達としてなのか。恋愛としてなのか。どこでそれが区切れるのか、わたしにはわからなかった。ただここでひかるが隣にいるのは、わたしだけに本音を話しているのは、心地が良かった。
離れてほしくない。もっと近づきたい。
この間、ひかるは私に好きだと言った。それへの返事はしていない。
――そのままの意味。
そうだ。意味なんて最初から分かってたんだ。わたしは、ひかるの顔に、両手を当てた。そして、星空の下で、顔を近づける。そのときだった。
星空を引き裂いて、青空が現れた。いきなり空から降ってくる太陽の光に、わたしは目が眩んで顔を覆った。真夜中だったものがいきなり昼になったのだ。