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第二章④ ~これが、わたしの答え~

「クララちゃん……」

 ひかるも目を開け、まぶしそうにしばたかせた。空には太陽が輝いている。その青空は、どんどん夜空を塗り替えていった。スマホから、アラームとバースちゃんの声がした。

「シュレディンガー領域発生! 範囲は、東京、千葉、神奈川といった南関東全域! 半径約五十キロメートル……過去最大の規模で広がっています!」

 わたしはひかると目を見合わせた。

「すごいタイミングできちゃったね」

「ええ。しかも、過去最大の規模って」

 スマホの画面を見た。マップには関東全域が映し出されているが、その中で半分くらいの領域を囲む赤い線ができている。その中が、シュレディンガー領域だ。今までの襲来では、範囲はせいぜいお台場の周辺だったから、桁違いの規模だ。

「敵性インタラクター、三か所で出現! 東京、千葉、神奈川に分散して、アナザーバース領域を拡大中」

 地図の離れた場所に、複数の点が打たれた。そこから、徐々に赤く塗りつぶされた領域が広がっている。それはアナザーバースに支配された領域を示している。線の中が完全に赤くなったら、敵の侵略を許すことになる。

「アナザーバース侵略率、二十パーセント、三十パーセント! 領域拡大加速中です!」

 もはや一刻の猶予もない。焦りが生じてくる。いまはわたしたちは東京の西端にいる。急いで、敵性インタラクターのいる都心まで戻らなければならない。

「まずいわね、早くしないと……」

「行こう、クララちゃん!」

 ひかるはわたしの手をつかんだ。

「ソニックライト!」

 体が輝き始めた。彼女のインタラクションを応用した、加速の技だ。

「え……それ、本当にやるの?」

「うん。クララちゃん。練習したよね?」

 ひかるは笑った。わたしは不安になる。

「……ソ、ソニックライトって名前おかしいわよ。音速の光って意味じゃない。音速は秒速三百四十メートル、光速は秒速三十万キロメートルで全然桁が違うし、光速はどんなときも一定で……」

「行くよっ!」

 そして、彼女は飛び立つ。

「きゃあああ」

 わたしはそれに巻き込まれ、宙を舞った。


 景色が瞬くように過ぎ去った。インタラクターはシュレディンガー領域だと通常より丈夫になる。光の速さで動いても、体は壊れない。

 すぐに千代田区・国会議事堂前に着いた。真昼の青空が広がり、人も車も動かない。シュレディンガー領域を認知し、その中で動けるのは、インタラクターだけだ。なおインタラクターは、他の人間に知覚を分け与えることもできる。アイザックルームの星海博士と話せるのはそのためだ。

「いた、インタラクター!」

 ひかるが交差点のど真ん中を指さした。分厚い防護服を着た人が、道路の真ん中に立っていた。ガスマスクをして、ライフルを構えている。領域内で動けるのはアナザーバースからの刺客だけだ。彼は銃をこちらに向けた。

「よけて!」

 ひかるがわたしの手をつかむが遅い。わたしは手を前に出し、ダークマターで守ろうとする。しかし、敵の銃弾がわたしたちを襲うことはなかった。

「あれ?」

 手痛い反撃を食らったと思ったわたしたちは、拍子抜けした。不気味なことに、敵は銃を撃って来ない。

「……よくわからないけど、やっちゃえ!」

 ひかるが言った。

「指図するんじゃないわよ」

 ちょっと頭に来たが、ひかるに捕まっていないほうの手を前に出した。

「インタラクション」

 黒い塊が噴き出した。もちろん、気絶しない程度にセーブした分量だ。交差点を埋め尽くす程度の量が飛び散る。防護服を着たインタラクターは跡形もなくなった。

「まず、一か所ね」

「よし、次!」

 わたしが手を出すと、ひかるが握った。風景が通り過ぎる。

 アイザックハウスでの連日の特訓で、星海博士のアイデアをもとに、連携を何度も練習していた。ひかるは機動力があるけれど威力には欠ける。わたしは物量はあるけれど、機動力はない。そこで、ひかるが高速移動でわたしを引き連れ、敵の近くでわたしが暗黒物質を使うことにした。今回のように、複数の戦場がある場合は効果絶大だ。神奈川県の赤レンガ倉庫、千葉県の犬吠埼岬に行く。防護服とマスクのインタラクターが銃を撃ってくるが、弾丸は発射されない。ダークマターで倒す。

「はあ……これで全員を撃退できたわね」

 わたしは、胸をなでおろした。連携はうまくいった。複数の場所に現れる敵は珍しかったが、どうにか切り抜けられた。

「バースちゃん、これで勝ちだね!?」

「いいえ」

 スマホから声がした。

「敵性インタラクター二体、再度出現しています! 東京の議事堂前、神奈川の赤レンガ倉庫前です!」

「うそお!」

 地図には赤い点が現れ、敵の領域が現れた。しかも、さっき倒したはずなのに、範囲は広がっている。

「もうアナザーバース侵食率が八十パーセント、後がないわ!」

 このままではシュレディンガー領域がアナザーバースに完全に占有されてしまう。そんな中、バースちゃんの声が天啓のように響いた。

「敵のインタラクションを、タキオンを使って過去に情報を送る能力と推定。アナザーバースを、タキオンバースと命名しました!」

「たきおん?」

 ひかるは首をかしげている。理解してもらえなさそうだったが、わたしは一応言った。

「超光速で動く架空の粒子よ。因果関係を書き換えられると言われているわね」

「インガ?」

「原因の前に結果があるとか、未来から過去に移動するとか、そういう感じね」

「タイムマシンだ!」

 ひかるは目を輝かせた。

「厳密には違うけど、少し似てるわ。タキオンは過去に向かって動くことができる」

「そうだ。敵は銃からタキオンを発射し、過去に情報を送っている。それを使い、過去から現在を書き換えているのだ」

 星海博士が説明した。

「確かに、わたしたちが戦っているときに、何度も銃を撃っていた。何のことかと思っていたけど、それがインタラクションを使った攻撃だと考えるのが自然ね」

 星海博士が言うと、スマホに侵食率の時間経過のグラフが表示された。どんどん上がっていっている。

「私たちには、敵を倒した記憶がある。でも、過去のデータを見返すと、アナザーバース侵食率は上がり続けている。客観的な記録は書き換わっているが、主観的な記憶はそのままだ。まだアナザーバースに完全には侵食されていないからだろう」

「だから、倒したつもりがまだ生きてるってことになるのね」

 ひかるは手を上げて聞く。

「よくわからないけど、そんなやつをどうやってやっつけるの?」

 タキオンを使い、因果関係を崩壊させる敵。倒した過去を書き換えて、なかったことにされてしまう。そんな敵に、とどめを刺すことはできるのだろうか。

「敵の武器を逆に利用する。銃を奪い、こちらも情報を過去に送ることで、事実をさらに上書きするんだ」

 星海博士が、地図上の東京都多摩湖付近を指さした。

「この時刻と位置に向かって、タキオンを飛ばす。敵の出現時に情報を与え、過去の二人に倒してもらうのだ」

「やっぱり、タイムマシンだ!」

「違うけど、そういうことにしましょう。さらに上書きされるかもしれないけど、過去のわたしたちがまたやり返す。繰り返して、どっちが最後に上書きをするかの我慢比べになるけど……そこは過去のわたしたちを信じるしかないわね」

「過去のわたしたち……」

 星空の下で、二人で話していたひかるとわたし。キスしてほしいと、ひかるは言った。それにわたしはまだ答えられていない。答えるなら、戦いの後だ。

「じゃあ、なんとかなる気がする!」

 ひかるはガッツポーズをした。

「すごい自信ね」

 でもなぜか、わたしはそれを信じることができた。

国会議事堂の前には、銃を持ったインタラクターがいる。あれを奪い、過去に情報を送る。そして、過去のわたしたちが彼らの勝利する未来を塗り替えるのだ。敵はこちらを向く。ひかるが銃を奪う作戦だが、相手も能力を逆手にとられたらまずいことはわかっているはずだ。

「クララちゃん、わたしは突っ込みたいから、その前にもろもろなんとかして!」

「何その雑な指示!」

「えへへ」

 ひかるは、もう一人でなんとかしようとは思っていないようだ。自分の身を捨てて後は任せた、なんていうことはない。だったら、彼女を助けるまでだ。わたし自身のために。

「なんとかするから、わたしを助けなさい!」

「うん!」

 わたしもひかるを頼る。助けを求める。助けられるのを待っていたりなんかしない。自分から、必要だと言っていく。わたしはひかるに応えるし、ひかるはわたしに応えるのだ。

「これで、うまいことやるのよ!」

 暗黒物質が、周りに霧のように広がり、敵のインタラクターにまとわりついた。一瞬、動きが止まる。

「今だ!」

 ひかるが突っ込んだ。一瞬止まった敵の手から、銃を奪い取ることに成功した。西側……わたしたちがいた方向に向かって、銃を撃った。光線や銃弾は見えない。本当に発射されたのだろうか?

 そう思った次の瞬間、頭に衝撃が走った。かき氷にあたったときの感覚を何十倍にも強めたような痛みだ。気が遠くなり、頭にいろんなイメージが浮かんでくる。ひかるとともに、防護服を着たインタラクターに立ち向かうイメージだ。東京で、神奈川で、千葉で、ひかるが敵に突っ込み、わたしは暗黒物質を操り、戦う。ひかると二人で、声を交わし合い、目線を送り合い、ともに敵に向かっていく。敵から銃を奪い、過去に情報を送る。その光景はまた、最初から繰り返される。

 これは、繰り返し行われた戦いの記憶だ。ひかるがタキオンを放ったことにより、過去の自分たちが情報を受け取り、事実を書き換えるべく戦っているのだ。情報を持って再び敵に立ち向かう。また敵に過去を書き換えられる。こちらも過去を書き換え返す。その記憶が、頭の中に蓄積してきているのだ。星海博士の推測通り、過去の書き換えで客観的な記録は変わっても、主観的な記憶は引き継がれるらしい。

 何十回、何百回も戦う。幾度も敵に過去を書き換えられ、くじけそうになりながらも、ひかると手を取り合い、過去を書き換え返す。その記憶がどんどん流れ込んできて、気が狂いそうになる。情報の洪水に、頭も心も耐えられない。

「ひかる!」

 思わずわたしは叫んだ。

「クララちゃん!」

 ひかるも頭を押さえながら、こちらを向いた。ひかるも耐えているのだ。何百回もの戦いの記憶の洪水に。わたしはひかるに駆け寄って、手を取り合った。苦しいが、耐えなければ勝利はない。

「ぐあああ!」

 防護服を着たインタラクターが、苦しんで倒れた。ガスマスクを取った。彼も情報の奔流に耐えているのだろう。その下に、顔が見えた。驚いたことに彼は、日本人の普通の少年だった。しかし次の瞬間、彼の顔が全く別のものに変わる。少女となり、老人となり、外国人になる。どんどん別の人間に書き換わっていく。

 記憶の洪水にまみれながら、考えた。タキオンバースでは、自由に過去を書き換えることができるのだろう。自分の生涯は変えたい放題だ。でも、そうなったら、何が自分で、どこからどこまでが自分になるのだろう。

 彼はこちらに手を伸ばしてきた。ひかるの顔は変わらない。当然、わたしもだ。彼らは、これを求めて侵略してきたのかもしれないと思った。自分の過去が書き換わることのない宇宙を。自分が、確かに自分である宇宙を。

 わたしは、ひかると手を取り合って情報の濁流に耐えた。ひかるとともに戦った、何百回もの記憶を感じ取る。そして最後に、わたしが、ひかると抱き合いながら、フルパワーで暗黒物質を放つ記憶が流れ込んできた。それとともに、インタラクターは再び叫んだ。

「ぐあああ!」

 そして、彼の姿は、すうっと消えて言った。記憶の更新は、終わった。わたしは、ひかると手の指を絡め合いながら、見つめ合っていた。お互いはあはあと息を荒げている。

「アナザーバース侵食率ゼロパーセント! 敵性インタラクターの撤退を確認! タキオンバース、撃退成功しました!」

 バースちゃんの声が響く。

「わたしたち、何百回も戦ったのね」

「ずっと、ずっと、一緒に戦ったんだね……」

 わたしの頭の中は、ひかるとともにいた記憶でいっぱいになった。過ごした時間は、誰よりも長い。計り切れない時間、彼女とともに戦った。苦難に耐え、乗り越え、ついにタキオンバースを撃退したのだ。その中で、わたしの気持ちははっきりした。

 ひかるへの思いが、恋なのか友情なのかわからない……なんてことはもうない。

 今こそ、湖での続きをするときだ。

「ひかる、わたし、答えるわ……」

 わたしは、ひかるに顔を近づけた。

 口と口が触れあう。ひかるの熱を、水分を、柔らかさを、直に感じる。わたしたちは、強く、唇を押し付け合った。

 長いこと、そうしていた。でも、ともにいた時間よりは、ずっとずっと短いだろう。

 唇が離れたとき、ひかるは、うっとりとした表情を浮かべていた。

「これが、わたしの答えよ」

 その顔に向かって、わたしは言った。

「うん」

「わたしはあなたを必要としてるし、助けてほしい。あなたがわたしを必要とするなら、助けたい。あなたといると、別の自分に変われるから……これからも、ずっとあなたと一緒にいたい」

「うん」

「わたしは、あなたが……好き」

「うん!」

 ひかるは、笑った。

 そのときピコンとスマホから音がした。わたしとひかるが画面を見ると、そこには『FIRST VERSE 7 DAYS LATER』と映し出されている。

「ファーストバース」

 わたしは息を呑んだ。ひかるも、神妙な表情をする。インタラクターの能力で、以前に襲来したアナザーバースなら判別でき、だいたいの日時もわかる。二年前の火災を引き起こした、最初のアナザーバース。ひかるがインタラクターとして目覚め、戦い……両親を失った因縁の宇宙が、一週間後に襲ってくるのだ。

「いよいよ、くるの、ね……」

「クララちゃん!?」

 最後に、フルパワーのインタラクションを行ったからだろう。意識が遠のき、力が抜けて、立っていられなくなった。倒れるところを、ひかるに抱き留められ、気を失った。

 最後に見たひかるは、とても優しい目をしていた――。

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