朝日がカーテンの隙間から差し込んで、俺の目をチクチクと刺した。
「ん……もう朝かよ」
ベッドの中でごろりと寝返りを打って、枕元のスマホを手に取る。
画面には5:40の数字。
いつも通りの、なんとも平凡な朝だ。
のろのろと起き上がって、アパートの部屋を見回した。
18歳になり、「立派な大人として自立したい」と宣言した時、俺自身は中二病の「闇の覚醒者」な妄想をようやく振り払ったことにホッとしてたけど、両親はもうそれどころじゃなかった。
母は「一彦が…! うちの子がついにまともな道に…!」と泣き崩れ、ティッシュの箱を抱えて号泣。
父は「家賃は自分で払えよ」と冗談めかして肩を叩きながら、目に見えて涙腺が崩壊してた。
たぶん、ニートが「俺、就活するよ」と親に言った時みたいな、感動と安堵の爆発だったんだろう。
俺の『紅蓮』時代を笑って許しつつ、両親は俺の新たな一歩にボロ泣きしながら送り出してくれたんだ。
六畳一間のこの部屋は、薄いクリーム色の壁に囲まれ、朝の光が柔らかく反射している。
窓の外では、街外れの桜並木が朝霧に霞んで、まるで絵画みたいに静かに揺れていた。
古い木製の床は、歩くたびに小さく軋む音を立てる。
質素で、どこにでもある高校生の部屋――のはずなのに、どこか「普通」から外れている。
机の隅には、黒革の手帳が無造作に転がっている。
表紙には、昔の俺がマジックで描いた「封印の紋章」とかいう、気合の入った落書き。
かつては「闇の書」と呼んで、夜な夜な物語を書き殴った相棒だった。
ちょっと開きたくなる衝動をグッと抑える。
本棚には、色褪せた異世界ファンタジーのライトノベルが数冊。
背表紙の角が少し擦り切れて、読み込んだ跡が残っている。
隣には、100円ショップで買ったプラスチックの「魔力結晶」――要するに、ただのガラス玉――が埃をかぶって寂しそうに光っていた。
クローゼットを開ける。
黒いマントが畳まれたまま放置されていた。
布の端から漂う埃っぽい匂いが、妙に懐かしい。
これは去年、徹夜で縫った恥ずかしい過去の産物だ。
はぁ……きっつ。
「いつか処分しないとな、これ」
苦笑しながら呟いて、マントをそっとクローゼットの奥に押し込んだ。
あの頃は本気だった。
いつか教室に武装集団が押し寄せ、俺が『覚醒者』として立ち上がる日を信じていた。
だが、高校三年の終盤、ようやくその妄想を手放した。
「中二病」は卒業したんだ。
もう、ただの
アパートの外、人の気配はない。
代わりに、換気扇の小さな唸りと、遠くで鳴る近所の犬の遠吠えが響く。
部屋の隅で時計の秒針がカチカチと刻む音が、妙に大きく感じる。
こんな静けさは、過去の自分を引っ張り出すような気がした。
キッチンに立って、トースターに食パンを放り込む。
安物のトースターがカチッと音を立て、部屋に焦げたパンの香りが広がる。
コンロの横に積まれた食器が、朝光に照らされて白く光る。
ジャムもバターもない、ただ焼いただけの食パン一枚。
「ああ、素っ気ない普通の食事だ。よき」
辛いの苦手なのに朝から、『紅蓮メシ』とかほざいて、激辛ペ〇ング焼きそばに、タバスコかけてヒーヒー言いながら、『ああ………………おれ、やべぇ』と自分に酔っていた頃の俺はもういない。
パンをかじりながら、窓の外を見た。
桜並木の枝が朝風に揺れ、薄いピンクの花びらが地面に舞っている。
霧が薄く漂い、まるで異世界への入り口みたいな美しさだ。
いや、ただの木だ。
普通の木。
魔法の結界とか、そんなバカなこと考えるなよ、俺。
食べ終わって洗面所に向かい、鏡の前に立つ。
桜ヶ丘学園の制服に袖を通し、ネクタイを丁寧に締める。
灰色のブレザーは、前の学校のものより少し重たくて、地味だ。
鏡の縁には小さなひびが入っていて、朝光がその亀裂で乱反射している。
髪を櫛で整え、鏡の中の自分を見つめた。
少しやつれた顔。
目の下に薄いクマ。
うん、まあ、悪くない。
普通の高校生っぽくて、むしろいい。
ふと、静寂の中で口が勝手に動いた。
「我が名は紅蓮。悪しき者共を断罪する者なり……」
低く、荘厳に響く声。
鏡の中の俺が、かつての「覚醒者」を演じていた頃の鋭い目つきに見えた。
まるで、背後に炎が揺らめくような錯覚。
次の瞬間、顔が熱くなって全身が縮こまった。
「うわぁっ、なに! なにこれ! 死にたい!」
悶え死にそうになりながら叫んだ。
頭を抱え、鏡の前でうずくまる。
こんな台詞、誰にも聞かれてないのに、恥ずかしさが全身を突き抜ける。
「よ、よしっ、正常だぁ!恥ずか死感情が芽生えてる!俺は正常だぁぁぁァァあ!」
首を振り、ヨロヨロになりながらも立ち上がり、深呼吸して洗面所を出る。
鞄を肩にかけ、アパートのドアを開けた。
ドアの軋む音が、静かな部屋に小さく響き、外の涼しい朝風が頬を撫でた。
新しい学校、桜ヶ丘高校。
ふ、ふふふ。
うん、名前も普通だ。
素晴らしい。
仮に俺を知ってるヤツが現れたしても、殺そう。
街外れの古びた校舎に通う初日、桜並木の道を歩きながら、自分に言い聞かせた。
「俺は普通の高校生。変なこと考えず、ちゃんと勉強して、ちゃんと卒業する。それだけだ」
桜の花びらが靴の先で舞い上がり、朝霧が足元に漂う。
並木の向こうに、駅のホームが見えてきた。
錆びた看板に「桜ヶ丘駅」と書かれ、朝日を受けて鈍く光っている。
電車の到着を告げるアナウンスが響く。
一瞬、心の奥で何かざわめいた。
まるで、昔の俺が囁くような感覚。
まるでこの電車が異世界へのゲートにでも繋がってるんじゃないか?
ここで、何かが始まるかもしれない。
ああ、もうまただ、くそッ。
馬鹿げた妄想がちらついて離れない。
「バカバカしい」
そう言って俺は、ホームに滑り込んできた電車に乗り込んだ。