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第3話『予期せぬ再開』

電車に乗り込んだ俺は、ドアがシュッと閉まる音を背中に聞きながら、車内を見渡した。


朝の通勤時間帯を少し外れた電車は、ガラガラだ。


座席の青いモケット生地は色褪せ、窓枠の金属には細かい錆が浮かんでいる。


車内の空気はひんやりと湿っぽい。


カバンを肩にかけ直し、窓の外の桜並木に目をやる。

ピンクの花びらがちらちらと舞っていた。


窓の外では、桜ヶ丘駅のホームがゆっくり後ろに流れ、錆びた「桜ヶ丘駅」の看板が朝日に鈍く光る。


車内にいる乗客はまばらだ。

数人の通勤客がスマホをいじり、学生たちがイヤホンで音楽を聴いている。


電車の揺れに合わせてつり革がカタカタ鳴り、車輪の音が床下から響く。


なんてことない通学電車の風景であるが、俺には楽しみにしているものがある。


お、いたいた。


車内の奥、いつもの席に桜ヶ丘学園3年の「マドンナ」、佐藤咲がいた。

窓際の席で本に没頭し、朝の光に黒髪がサラリと揺れる。

白いイヤホンのコードが首元でカーブを描き、ブレザーの袖が手の甲を半分隠してる。


彼女らしい、静かな雰囲気。


佐藤さんはクラスで眩しい存在だ。


派手じゃないけど、柔らかい笑顔と自然な話し方が『ラノベに出てくるメインヒロイン』のようでグッとくる。


そんな美女にお近づきになろうなんて、おこがましい。

遠くから眺めるだけで十分。

いや、それがベストだ。


佐藤さんがページをめくる。

分厚い文庫本、ラノベじゃない、たぶん純文学。


さすがマドンナ、センスいいな、と勝手に感心する。


にしても、このアングル、最高だ。

遠くから見てるだけで、アオ春してる気がする。


佐藤さんがこっちに目をやる。


やべっ。


心臓がドクンと跳ね、すぐに視線を窓に逸らす。


凝視しすぎだ、と自分を戒める。

見つかってねえよな…?


彼女はまた本に戻っていた。


よかった、気づいてない。


ホッと息をつき、頭の中で続ける。


にしても、佐藤さん、彼氏いんのかな…いるよな、絶対。マドンナだもん。陽キャとか、バスケ部のキャプテンとか、爽やか系が好きそう。…中二病こじらせてるやつは100%アウトだろうな…


苦笑いし、床の擦り傷を見つめる。


でも、もし、奇跡的に佐藤さんと付き合えたら…どうする?デートどこ行く?喫茶店?映画?いや、佐藤さんなら本屋とか図書館好きそう。『この本、面白いよ』とか話して…めっちゃ青春じゃん。…留年のこと、話すべきか?『実は俺、前の学校で一年遅れてて…』とか、いつ言う?3回目のデート?でも、理由聞かれたら…『黒歴史が…』とか、絶対言えねえ!『紅蓮』とか死んでもバラせねえ。佐藤さんにドン引きされる未来しか見えねえ…


窓に映る、顔が熱くなった自分を見つめる。


「まあ、付き合うとか夢のまた夢だよなぁ。マドンナだし。俺、ただの留年野郎。話しかけたら『我が名は…』とか口滑らしそうで怖えし」


「なにを恐れてるんだ、紅蓮クリムゾン?」


聞き覚えのある声が、電車の揺れに混じって耳に滑り込む。


低く、まるで闇から忍び寄るような囁き。

背筋がゾクッとした。


顔を上げ、向かいの席を見る。


そこには……さっきまでいなかった男がいた。


まるで影が実体化したかのように、音もなく現れた男。


黒い忍装束に身を包み、顔の下半分を暗灰色の布で覆っている。

目は鋭く、黒い瞳が闇を切り裂くように光る。

腰には革のベルトに小さな金属筒――まるで手裏剣や巻物を仕込んだような装備。

髪は黒く短く切り揃えられ、頭に巻かれた黒い鉢巻がわずかに揺れる。服には白い影のような模様が浮かんでいた。


まるで現代の忍者が中二病を煮詰めたような、静かで危険な存在感。


こんなやつ、乗った瞬間に気づくはずだ。


だが、まるで煙のように、誰もその存在を捉えていなかった。


乗客もチラチラ見て、ざわつき始める。


誰も、さっきまでこいつの存在に気づいてなかった。


「……いつから、そこに………」


だが、それより嫌な予感が胸を締め付ける。


こいつの忍者めいた出で立ちじゃない。

俺のことを呼んだことだ。


「そんな、気のせいだ、気のせいであってくれ…」


床を見つめ、呟く。


「俺以外にクリムゾンさんって名前のやついるかも…偶然だろ…」


「聞いているのか?紅蓮クリムゾン、いや、赤羽一彦」


「くそっ、やっぱ俺じゃねえか!」


顔が熱くなる。

乗客のざわめきが大きくなり、チラチラ視線が刺さる。


やめろ!俺まで見るな!


佐藤さんの方をチラ見する。

彼女は本に夢中で、気づいてない。

よかった、マドンナにバレずに済んだのが唯一の救いだ。

もうこの電車使えなくなるところだった。


俺は睨みを効かせる。


「話しかけんな」と目で訴えるが、男はお構いなしにニヤリと笑う。


闇に溶けるように、音もなく身を乗り出し、装束の裾が不自然なほど静かに揺れる。


「まだ俺が誰だか分からないようだな。無理もない、元から影が薄くて誰も話かけてこなかったからな。でも、この名なら分かるだろ?『白影ハクエイ』」


目を見開く。

こいつ、去年、同じクラスにいた塩見か!


そうだ、影が薄すぎて体育の時間、二人一組になれと言われたら必ず余ってしまう、あの塩見だ。


「うそだろ…なんでここに…」


冷や汗が背中を伝う。

卒業後、音沙汰なかったのに、なんでそんな忍者めいた姿で、こんなタイミングで!?


…………やっと新しい学校に馴染んできたのに。


塩見は瞳を細め、ニヤリと笑う。


「思い出したようで嬉しいぜ。覚えてるか?自習の時間、武装集団の襲撃に備えたシミュレーションをみんなで討議してたよな?俺もあの場にいたんだぜ?」


「あ―――!あ―――!おまっ、ふざけんなよ!やめっ―――!」


紅蓮クリムゾン。俺たちの『武装教室計画』は終わっちゃいねえ。覚えてろ、戦いはこれからだぜ」


「計画とか戦いとか知らねえよ!やめろッ、そのノリ!」


嫌な記憶がフラッシュバックする。


40人全員で「武装集団が襲撃」に備えてたバカな日々。

塩見の野郎、まだその妄想に囚われてるのか!?


―――ププッ。クスクス。


車内の何箇所か、笑い声が混じり合って聞こえた。

頭のなにかが、プツンっと切れた気がした。


……どうする?


このままだと、俺の黒歴史がどんどんアイツの口から拡散されることになる。


躊躇ってる場合じゃない……よし、殺そう。


殺気が湧く。

こんなやつ、いないほうがいい。

俺の普通の高校生活をぶち壊すなんて許せねえ。

視線が鋭くなり、塩見を睨む。


「おっと、落ち着けよ、ここでやる気か?」


塩見は軽やかな動きで手を上げ、なだめる素振りを見せる。

だが、目は楽しげだ。


「焦るな。『その時』は近いうちにくる。備えろ、紅蓮クリムゾン。終焉がくるぞ」


「おい、どういう意味だ!?」


思わず立ち上がり、声を上げる。


乗客の視線が一斉に刺さる。


やべ、声、デカかった…と後悔する。


顔が異常に熱くなる。


そのとき、電車がトンネルに突入した。

車内が暗くなり、視界に映る塩見の姿が歪む。

蛍光灯がチカチカと明滅する。


トンネルを抜け、朝の光が車内に戻ると―――。


「なッ!」


塩見はそこにはいなかった。


空席のモケット生地が朝日に光るだけ。


他の乗客も一瞬のことでざわつき、目を瞬かせる。


「……………くそっ」


消える寸前、俺に見せたあの顔。

瞳の奥で、人を舐めた挑戦的な笑み。


また来るぜ、とでも言いたげだった。


「くそっ、アイツ、なんなんだよ…!」


『次は、西桜ヶ丘、西桜ヶ丘―――』


アナウンスが響く。


ガチで嫌な予感がする。


不穏な気持ちを必死に振り払い、「普通の高校生、普通の高校生」と自分に言い聞かせ、俺はカバンを握りしめながら、電車が駅に着くのをひたすら待つのだった。

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