真央の父、望月秀吉は大財閥の総帥である。
一般的なフォーマルスーツにメガネ姿で、一見して普通のサラリーマンのようであるが実は偉いぞ。
しかし引きニートで溺愛されている娘の真央にとっては、社会的地位など関係なくただの父親である。
そんな普通の父親たる秀吉が、魔王の潜む魔窟へと今まさに向かっていた。
父親が娘の部屋を訪ねる、言葉にすればただそれだけの事ではあるが、異世界より出現した魔王と大財閥総帥との出会いは、互いに勘違いしてすれ違うことでうまく噛み合っていた魔王とマオの関係性に一石を投じ、薄氷の上を渡るがごとき危うい状態をまさに突き崩さんとしているのだった。
―――コンコンコン
「真央入ってもいいかい?」
扉をノックする音と共に、優し気な男性の声が響く。
魔王とすっかり打ち解けて談笑していたマオだが、いったん話を切り上げてその声に反応した。
「あの声はお父さんっすね。こんな時間に帰ってくるなんて珍しいっすけど……」
そう言うとマオは魔王の顔に視線を移し、父が早期帰宅した理由に思い当たった。
(ああ、なるほど。さては、ルシファーが上手く私を懐柔できているかどうか、確認に来たんすね。)
それはもちろん勘違いなのだが、そうとは知らないマオは何を憚ることもなく、不審な男と二人だけの密室でよろしくやっていたのだった。
マオの父という発言を受けて、今度は魔王が口を開いた。
「ほぉ、マオの父君か。ちょうどよい。マオを余の配下とした件の報告も兼ねて、ここはひとつ挨拶せねばならんな。」
「ああ、そんな話だったっすね。」
マオは魔王の事を父の命を受けた刺客と思っていたので、突然部屋に押し入った不審者であるにもかかわらずあっさりと受け入れ、その後多少の違和感を覚えつつも、会話を重ねるうちに好感を抱いていたので、特段今の状況を何とも思っていない。
一方、父秀吉から見た魔王は愛娘の部屋に上がり込んだ、筋肉もりもりマッチョマンの変態である。
父と娘、双方の認識の齟齬は破局的な未来を予測するのに十分な材料を備えているが、そうとは知らない魔王とマオはのんきにしていた。
人類の未来は破滅か希望か、のちに審判の日とも語られる(語られません)、秀吉と魔王との邂逅の時が迫る。
そして、一人の少女(成人女性)によって、地獄の門の扉は今静かに解き放たれようとしていた。
「ちょっと散らかってるっすけど、入っても大丈夫っすよー。」
汚部屋状態が通常営業のマオは、もはや年頃の娘としての体裁を整える素振りさえ見せずに、父を部屋へと招き入れたのだった。
そして娘から入室の許可を得た秀吉は、扉を開けて室内へと足を踏み入れた。
「今日は早かったっすね、お父さん。」
「ああ、事件が有ったから心配で早上がりしてきたんだよ。」
繰り返しになるが、秀吉の言う事件とは魔王が国会議事堂を体当たりで消し飛ばした破壊行為を指している。
「へー、事件なんて有ったんすか?」
「真央は相変わらず世間に興味がないな。外では大騒ぎだぞ。」
何気ない日常会話をする父娘の脇には、あまりに巨体過ぎて秀吉の目には生物として映っていない魔王の存在があった。
「貴公がマオの父君か?」
「うわっ!誰だ!?」
「余は魔王ルシファーである。賢者マオを配下に加えた事をここに報告する。」
魔王は空気が読めないので、慌てる秀吉を尻目に言いたい事だけさっさと告げたのだった。
あまりにも堂々としている不審者の様子に、秀吉は驚きを越えて一周回って冷静になったので、マオの耳元に手を当てて小声で状況を問い質した。
「ちょっと真央、誰だあれ?お前の友達か?メイドからは何も報告を受けていなかったのだが……」
ちらちらと魔王の動向を伺いながら落ち着かない様子の父とは裏腹に、娘の方は父の様子を訝しみつつも落ち着き払ってこれに応えた。
「え?ルシファーはお父さんが送って来た役者さんじゃないんすか?」
「私は知らないぞあんな大男。」
「そうなんすか?じゃあルシファーは何者なんすかね?」
互いの顔を見合わせて頭に疑問符を浮かべた父娘が、今度は揃って魔王の顔を見上げると、これに魔王が応えた。
「最初から言っていると思うが余は魔王であるぞ。」
「おお、聞こえてたんすか。耳がいいっすねルシファー。」
マオと秀吉は小声で話していたが、魔王イヤーは地獄耳なので何食わぬ顔で会話に混じってきたのだ。
さて、普通のおっさん然とした秀吉であるが、こう見えても大財閥のトップを預かる身の上なので、様々な人種や価値観を持った人物と出会う機会が多く、外見に囚われずに人となりを見る目がそれなり以上に培われている。そして秀吉はわずかなやり取りから、魔王が自身や娘に対して害意や悪意を持っていないと確信していたので、依然不審者には違いないが、ひとまず話を聞くことにしたのだった。
「魔王と聞くと父さんを思い出すな。信長という名前のせいもあって魔王というあだ名で慕われていたからな。」
独り言のように秀吉が言葉を漏らすと、これにマオが続いた。
「おじいちゃんは優しかったし、全然魔王って感じしないっすけどね。それにしても信長の息子が秀吉ってなんか変な感じっすよね。」
父娘が揃って今は亡きマオの祖父を懐かしんでいると、部外者で無関係であるはずの魔王がどう言うわけかにわかに色めきだった。それはとある人名に聞き覚えがあったためである。
「ん?今ヒデヨシと言ったか?」
魔王は顎に手を添え頭をもたげて、マオの顔を覗き込むようにして問いかけた。
「秀吉はお父さんの名前っすよ。それがどうしたんすかルシファー?」
「余の配下の賢者には息子が居たらしいのだが、その名がヒデヨシだと聞き及んでいたのだ。言われてみればなるほど、賢者によく似ているな。」
魔王の言葉を受けて、秀吉は態度には出さずに静かに考えを巡らせた。
(この人は父さんの知り合いだったのか?それならば奇妙な恰好と、おかしな言動にも納得がいくな。)
碌に会話もかわしておらず出会って間もない秀吉から見れば、魔王は急にわけのわからない事を言い出したわけだが、秀吉と面識のある信長の知人達は、どいつもこいつも奇人変人だらけであったため、意外にも魔王の言葉は秀吉を納得させる十分な証拠となったのである。
秀吉が密かに魔王の素性に納得している隣で、娘のマオもまた魔王について考えを巡らせていた。
(役者にしてはなんだか壮大な設定だと思ってたんすけど、おじいちゃんの知り合いだったんすね。お父さんと違っておじいちゃんはサブカルに精通してたから、知り合いにこんな人がいてもおかしくないっすね。)
三者三様に事態を飲み込み、ひとまず納得したため、混沌としていた場の空気は一応の収束を見たが、勘違いが勘違いを呼んで、魔王を取り巻く関係性はよりややこしくなるのだった。
ひとまず事情を納得したものの、マオはとある事柄が気になったため、再び魔王に問いかけた。
「ルシファーはおじいちゃんの知り合いだったんすね。その割には若そうっすけど、何歳なんすか?」
そう言うとマオは改めて魔王の全身を吟味したが、バキバキの筋肉と生気に満ちた風貌から、どう高く見積もっても三十代前半は越えない様に映ったのだった。
「超越者たる魔王は老いる事がないからな。しかしマオよ、まさかお前が賢者の孫であったとはな。さすがの余も驚いたぞ。」
実のところ一番事態を正しく把握しているのが魔王であり、魔王の配下の賢者とはまさにマオの祖父信長なのであった。
―――それは、とある世界を救った賢者の物語である。
マオの祖父、望月信長は十年前に亡くなったが、魔王の世界に転生し、なんやかんやあって魔王の軍門に下っていた。そしてちょっと残念な魔王をうまくコントロールし、滅びかけていた世界に平和をもたらしたのだ。その目的は先述の通り引きこもりたいという利己的なものだったのだが、理由はどうあれ世界を救った英雄である。
『転生賢者は引きこもりたい』 完
ところで、マオの祖父である望月信長には、変な奴らに慕われるという特殊能力が生来備わっていた。それは望月一族の直系血族にのみ発現する異能であり、『望月の引力』と呼称されている。それゆえに信長の知人には変人奇人が多く、息子秀吉はそう言った手合いの扱いに慣れていたのだ。その異能は、隔世遺伝で孫娘のマオにも引き継がれているのだが、それはまた別の話である。
―――余談はさておき、場面は魔王と望月親子の対話に戻る。
魔王が父の友人と知った秀吉は、すっかり気を許して歓待の意を示すのだった。
「父さんの知り合いという事なら歓迎しますよ。えっと、たしかルシファーさんでしたか?」
「ああ、余には本来個体名が存在しないが、マオに名付けて貰ったのだ。その様に呼んでくれ。しかし流石は賢者の息子だけあって話が早いな。」
魔王の奇天烈な言動は相変わらずだが、秀吉は疑問を抱くことなくスルーして話を続けた。
「ところでルシファーさんはどこに泊まっているのですか?」
「余はまだこの地に降り立ったばかりであり、拠点はない。魔王である余に休息は不要であるから、然るべくして拠点もまた不要ではあるのだがな。」
魔王の魔王ロール発言は迂遠な言い回しで要点が分かりにくかったが、秀吉はそれを意訳して超解釈した上でさらに続けた。
「なるほど、まだ宿が決まっていないのでしたら我が家に泊まってください。その方が父も喜ぶでしょう。」
「ふむ、そういう事ならば遠慮なく、お言葉に甘えるとしよう。」
意図したわけではないが、早速この世界の要人に取り入り、まんまと侵略拠点を手に入れる魔王なのだった。
「ルシファーはしばらく日本に居るんすか?」
「日本……と言うのはこの国の事だな?」
魔王は国名など知らないが、文脈から判断して聞き返した。
「そうっすよ。」
マオの返答を受けた魔王は、ほんの数秒の沈黙ののちに再び口を開いた。
「そうだな。この世界を知る賢者と知己を得るという、当座の目的は既に果たした事だし、次はゲームでマオに勝つことを目標に活動するとしよう。と言うわけで、少なくともその間はここを活動拠点とさせてもらおう。」
魔王の返答を聞いたマオは、妙に嬉しそうにこれに応えた。
「自慢じゃないけど私は強いっすよ。」
「フッフッフ、望むところだ。」
魔王とマオは出会って間もない上に、誰の目から見ても何もかもが違い過ぎる凸凹コンビであるが、共通の知人である祖父の存在もあってか、二人の間にはすでに奇妙な友情の様なものが生まれているのだった。
紆余曲折あったが、本来の目的であった娘の無事は確認できた秀吉は腕時計に目をやり、次いで二人に声を掛けた。
「二人はもうずいぶんと仲良しなんだな。それでは、私は仕事に戻るからあとは任せるぞ真央。」
父からの要請に対し、マオは引きニートらしからぬやる気に満ちた様子で答えた。
「了解っすよ。」
引きこもり娘を案じていた秀吉は、その様子を見て魔王の存在が娘にいい影響を与えてくれていると感じつつ、改めて魔王に向き直って声を掛けた。
「ルシファーさんも自分の家だと思ってくつろいでください。」
「ああ、そうさせてもらう。」
こうして魔王と秀吉のファーストコンタクトは平和的に幕を閉じ、人類の滅亡は回避されたのだった。
さて、一時的にゲームに興味を持って無力化されている魔王であるが、その力は依然人類にとって脅威であるのは間違いない。
謀らずも望月邸での実質無期限の滞在許可を得た魔王は、地球侵略の拠点を確保したも同然であり、静かに、だが着実にその勢力を拡大しているのだった。
―――第一章 望月邸制圧作戦 完