秀吉が部屋を後にして1時間ほどたった頃、再びドアをノックする音が鳴り響いた。
「開いてるっすよー。」
マオの返答を待ってからドアを開け、ダンボールが積みあがった台車を押しながら入室してきたのは、屋敷に務めるメイドの一人だった。
なお、一言にメイドと言っても西洋古式のクラシックなメイド服姿ではなく、和服調のアレンジが加えられた、ハイカラさんな大正ロマン変形メイド服を着用していた。それはマオの祖父信長の友人である老舗呉服屋の主人が手掛けた、望月家のメイド専用にデザインされた逸品であった。ちなみにその友人は日本かぶれの西洋人で、ロマンスグレーの老紳士である事以外、一切の経歴が不明の謎多き人物である。
余談はさておき、少々奇抜な恰好をしているメイドだが、その所作は洗練されており、素早くかつ音もなく扉を閉めると、主人であるマオに深々と一礼してから改めて声を掛けた。
「お嬢様、荷物が届きましたよ。」
そう言うと彼女はダンボールを軽々と台車から降ろして並べた。
「おお、ありがとうっす。これは……」
マオはダンボールに貼られた伝票の品目に目を通してからさらに言葉を続けた。
「さっき頼んだパソコンのパーツっすね。」
「ほう、もう届いたのか?早いな。」
魔王とマオはダンボールを早速開封して、中の製品をせっせと床に広げ始めた。すると、荷物を運んできたメイドは気配を消して二人の傍に佇み、その様子をじっくりと余すことなく観察し始めるのだった。
さて、なぜか眼光鋭く魔王の動向を注視しているメイドだが、実は彼女は単なるハウスキーパー的な使用人ではなく、格闘術から武器術、諜報術など多岐にわたる技能を習得した、護衛を兼ねた側仕え、いわゆる御庭番であり、端的に言い換えればニンジャなのである。そしてニンジャでメイドな彼女は、当主である秀吉から魔王を客人として迎える旨を予め聞かされていたのだが、魔王をあっさりと信用してしまった秀吉とは異なり、素性が判然としない男を主に言われるがままに信用する事を、ニンジャ的規範に則ってよしとしていないのだった。それゆえに彼女は、魔王の人となりを見極めるために、独断での実態調査を敢行したのである。
二人が荷物をひとしきり広げ終えると、メイドは観察を中断して魔王に声を掛けた。
「あなたがルシファー様ですね?当主から話は伺っております。御用があれば、なんなりとお申し付けください。」
その態度は礼儀正しく自然体であったため、魔王は自身が警戒監視対象にされているとは露とも知らずにこれに応えた。
「この屋敷では使用人の教育が行き届いているようだな。余の元配下達とは大違いだ。」
そう言うと魔王は自らの部下達を思い起こし、目の前のメイドとの違いにしばし茫然自失となるのだった。
何やら黙ってしまった魔王のことは一旦放置して、メイドはマオの自室に常備されたティーセット類を取り出して、お茶の準備を始めた。
「お嬢様はいつも通り紅茶でよろしかったですか?」
「そうっすね。ルシファーは何を飲むっすか?」
「そうだな、余もその紅茶というものをいただこうか。」
「承知しました。少々お待ちください。」
メイドは慣れた手つきでとっ散らかったテーブルの上を整えると、二人分ティーカップを並べて、よく蒸らした紅茶をティーポットから注ぎ入れた。
「それではお嬢様、私はこれで失礼します。」
「はい、ありがとうっす。」
メイドはティーセットを片づけると、二人に一礼してから部屋を出て行った。
依然魔王を完全には信用していないメイドだったが、魔王とすっかり打ち解けて普段よりも快活なマオの姿を目の当たりにして、二人の交流に水を差すのは無粋に感じたので、陰に隠れて観察する方針に切り替えたのである。
ニンジャメイドの思惑はともかく、部屋に残った二人は淹れたての紅茶を飲みながら会話を続けた。
「ルシファーの部下はどんな人なんすか?」
「マオの祖父である賢者を除けば、残りは魔人や魔獣達だ。もちろん余には及ばないが、普通の人間では到底あらがえぬ力を持った者達である。余が世界を支配するために暴れ回っていた頃に配下に加えた者達だが、当時は余を恐れ尊敬の念を持って付き従っていたものだ。」
そう言うと魔王は虚空を見上げてかつての戦いの日々に思いを馳せた。
「過去形って事は、今は違うんすね。」
魔王は表情を若干曇らせながらその問いに応える。
「その通りだ。もとは凶悪だった部下達だが、余がこの世界に転移する直前には平和な世界にかまけて、すっかり牙を失くしていた。そして余に対する敬意も失い、魔王城でだらだらと日々を過ごす始末だったのだ。」
「はえー、みんな引きこもりだったんすね。」
自主的に引きニート生活を送っているマオは、見ず知らずの魔王軍にそこはかとない親近感を覚えたのだった。
魔王はさらに続けた。
「戦乱の世を治めて全世界を手中に入れた魔王軍は、平和な世の中では、はっきり言ってやることが無かったのだ。反乱も起きていないのに、自ら支配している地に攻め込むわけにもいかんからな。」
「そりゃそうっすね。と言うか、人間からの反乱は起きなかったんすか?」
「残念ながら反乱はまるで起きなかった。賢者の助言もあって、人間どもは自由に活動させて、余を討つために立ち上がる勇者でも産まれないかと期待していたのだが、終ぞその様な動きは見られなかったな。」
魔王は苦笑いを浮かべつつそう言った。
「なるほど、魔王が支配していても平和で自由な世界だったら、不満は出ないかもしれないっすね。」
「まぁ、そういう事だな。」
マオは魔王の話をやたらと細かい設定のある強火オタクのなりきりとして聞き流していたが、その言葉は一字一句嘘偽りのない事実の羅列であった。
魔王が魔法なりなんなりと、その力を見せつければ自ずとマオの勘違いは解けるであろうが、それはもう少し先の話である。
「まあ余の昔話はこれくらいにして、先ほど届いた荷物を確認しようではないか。」
「そうだったっすね。さっそく開封っすよ。」
真央はテーブルの引き出しからカッターナイフを取り出すと、各製品の封を切って中身を露わにした。その内訳は、パソコンパーツ一式と、OS等のソフトウェアがそれぞれ2セットずつで、パーツはすべてゲーミング用途としては最新最高値のハイエンドパーツばかりだった。
「ケースにマザボにCPU、クーラーとファン・・・メモリに電源にグラボ、そしてSSDっと・・・ケーブル類もよし!全部揃ってるっすね。モニターと周辺機器は後で出すっすよ。」
マオは荷物の中身を検めてすべて揃っていることを確認すると、すぐにパソコンの組み立てに取り掛かった。
その様子を眺めていた魔王は、好奇心を湛えた目で作業中のマオに声を掛けた。
「ほう、マオはパソコンを作ることができるのか?」
「え?まあそうっすね。パソコンの組み立てなんてパーツを差すだけっすから、プラモみたいなもんすけどね。」
魔王にはプラモが何なのかわからなかったので、その比喩表現は伝わっていなかったが、ともあれ難しくはないというニュアンスは通じていた。
「なるほど。専門的知識がなくとも組み立てできるように、モジュラー化してあるというわけか。」
「ルシファーはたまに難しい言葉を知ってるっすね。」
「余は賢者の助言からいろいろ学んでいるからな。この世界の技術に関する物も含まれていたのだろう。」
「ああ、なるほど。それでコトワザとかも知ってるんすねぇ。」
マオは魔王が時折日本のコトワザを使っている事を、キャラ設定の粗だと思っていたので、ちゃんとその辺の設定が考えて作りこまれていると知り、無駄に感心したのだった。
「組み立てるのが簡単だと言うなら余もやってみるか。」
「大丈夫っすかね?一応精密機器っすから強い力を加えると簡単に壊れるっすよ?」
「手加減は完璧だ任せておけ。」
「まぁ壊れたらまた買えばいいっすかね。」
心配するマオをよそに魔王は自信満々だったが、しかしてその自信は根拠のないものではない。今の魔王は魔法によって力を制御しているため、不用意に物を破壊してしまった、先刻の様なへまは最早あり得ないと確信があったのである。
「いくら簡単とは言っても、初めてだと流石に難しいだろうし、まずは私が手本を見せるから、よく見て真似して欲しいっす。」
「了解だ。」
魔王の快諾を受けたマオは一旦組み立て始めていたパーツをバラシ、もう一度最初から作業を開始した。
手始めにPCケースを開いたマオは、マザーボードにCPUを組み込んでから取り付ける。そして次々にパーツを組み込んでいき、パソコンを形にしていった。
一方の魔王はというと、マオの一挙一動を完全にトレースして、まったく同じ形にパソコンを組んでいった。
魔王は思考力こそ少し残念だが、基本的になんでもこなせるハイスペックな能力を持っているのだ。
小さなマオが大きな魔王に手ほどきしている姿は、傍(はた)から見ると若干シュールな光景だが当人達は至極真面目である。
そもそも最強である魔王は他人の目など気にしないし、引きニートであるマオもそれは同様だ。
外見や経歴は似ても似つかない両者だが、マオの祖父・信長から教導を受けたという共通点を持っており、一見不釣り合いな二人ではあるが、考え方や精神性の芯の部分は案外近いものが有るのかもしれない。
「よし完成っす!」
「こちらも完成だ。」
マオがパソコンを組み終えると、間を置かずに魔王もまた作業を完了した。
「おお、完璧っすね。初めてなのにすごいっす。」
「余はこう見えて手先が器用なのだ。」
「ほうほう、それは意外っすね。何はともあれ次は起動してみるっすよ。」
マオは届いた荷物からモニターとマウス、キーボードを取り出してパソコン本体と接続している。
本来パソコンを組む時は、まずは最小構成で起動確認したほうが良いのだが、しかしてマオのもとに届けられるパーツは、望月財閥の真央専用販路を通っているため、初期動作およびパーツ相性の確認が通常より入念に行われている。
そのため組み立て時に壊さない限り動作不良は起きないのだ。
パソコンパーツの相性問題など知らない魔王がそれに気づく事はないが、地味にお嬢様の財力を見せつけるマオなのだった。
マオはモニターとパソコンを接続すると早速起動ボタンを押し、動作する事を指さしチェックした。
「よし、ちゃんと動くっすね。」
「ふむ、これでもう完成なのか?ずいぶんと簡単だったな。」
魔王は複雑な動作をするパソコンが、高度な技術で製造された魔道具であると認識していたため、特別な技術力も必要なくあっという間に完成した事実に驚いたのだった。
「まだOSを入れてソフトウェアも入れて、初期設定とか色々あるっすよ。」
「なるほど、型を組んだら次は術式を埋め込むわけだな。」
「まあそんな感じっすね。」
魔王の異世界設定にすっかり慣れて、返事が適当になっていくマオだった。
「そういえばルシファーの机と椅子も頼んだんすけど、ちょっとサイズが合ってないみたいっすね。」
先だってパソコンパーツ一式と共に、魔王用の椅子と机も注文したマオだったが、いざ製品が到着してみると、規格外の巨体を誇る魔王には少々心もとないサイズ感だったのである。
「余は空気椅子が使えるから、何もなくとも平気であるぞ。」
「いやいや。ちゃんといい椅子を使わないとゲームに集中できないっすよ。本気でやるなら環境を整えるのは必須っす。」
「戦いは始まる前の準備で8割が決まるという言葉もあるな。そういう事ならばマオに任せよう。」
「オッケーっすよ。しかしルシファーは大きいから特注しないとダメそうっすね。」
そう言うとマオは壁に掛けられた呼び鈴を使いメイドを呼び出した。
間もなくして、先ほど荷物を届けに来たメイドが再び部屋へとやって来た。
「何か御用ですかお嬢様?」
「ルシファー用の机と椅子が欲しいんすよ。パソコンデスクっすね。」
「承知しました。ルシファー様ちょっと失礼しますね。」
メイドは一言断りを入れてから魔王に近づくと、スカートの裾から巻き尺を取り出して、魔王の身長や胴回りなど家具作りに必要なサイズを手早く測っていった。
「はい、もう結構です。すぐに手配いたしますので少々お待ちください。」
魔王から離れたメイドが今度はメモ帳を取り出して走り書きをしていると、そこにマオが歩み寄って声を掛けた。
「どのくらいかかるっすかね?」
「特急で手配いたしますので2時間程かと。」
「それならちょうどパソコンのセットアップが終わる頃っすかね。よろしくっす。」
「はい、それでは失礼します。」
メモを書き終えたメイドは二人に一礼すると、またすぐに部屋を出て行った。
「OSのインストール中はとりあえず暇っすね。というわけで、古いパソコンでルシファー用のアカウント作成の準備をしておくっすよ。」
新しいパソコンのセットアップをただ眺めていても仕方がないので、マオは先んじて行えるゲーム環境の構築を提案したのである。
「そのアカウントというのは、なんなのだ?」
魔王はパソコン用語など当然知らないので、首を傾げて聞き返した。
「あー、改めて聞かれると、なんて言ったらいいっすかね?ゲームのプレイ状況なんかを記録しておくために、ユーザー個人ごとに与えられる認識札みたいな印象っすかね。まあルシファー用の兵士を作ると思ってくれればいいっすよ。」
「なるほど。やってみよう。」
こうして、魔王がネットゲーム界隈を侵略する準備は着々と進んでいくのだった。平和で何よりである。