結局日が傾くまで町を探したが、あきちゃんとは会えなかった。
何もできずに終わった一日だが、お腹だけは鳴っている。
「……またあそこ、行ってみようかな」
私は初日に行った食堂を訪れることにした。
すぐ近くまで来ていたため数分でそこにたどり着くことはできた。
あの初日に会ったおばさんが店の前で掃除をしていたので声をかけてみる。
「あ……すみません、私たちのこと、憶えてます?」
「あら、この間のお客さんですよね。もちろん憶えてるわよ」
「そ、そうですよね! ふたりで来たこと……憶えていますよね……」
「どうかしたんですか?」
「あの……あきちゃん……私と一緒にいた人、見ませんでしたか?」
「……見てないね」
「そ、そうですか……」
「お腹、空いてるんじゃないですか?」
見透かしたようにおばさんが指摘してくる。
「あ……はい……」
「食べて行くといいよ。今はその子のことは置いといてもいいんじゃないかねぇ」
「でも……」
「いいから! さ、1名様ご案内!」
半ば強引に店の中に連れていかれる。
「いらっしゃい」
店主のおじさんが声をかけてきて、もう後には引けなさそうだ。
「さ、どうぞ」
カウンターに座らされて、ふたりに挟まれる。
「えっと……なんか、近くないですか?」
「あってはならない」
「…………え?」
その言葉を聞いた瞬間、聞き覚えはないはずなのに、心臓が凍りつくような嫌な感じがした。
「いやね、まさかとは思ってたんですよ。でも、そうだった。あなたたちふたりは……」
おばさんが深刻そうな顔で話し始める。
「この町ではね、不思議なことが起こるの。お盆ってあるでしょう? 明日から4日間、あっちの世界からご先祖さまが帰ってくるっていう……。その時に、繋がっちゃうの。あっちの世界とこっちの世界が」
「……は?」
「信じられないわよね……でも本当なの。お盆の期間には死んだ人が町にやって来て、それをお祀りすることでこの町に豊漁を呼び込んでくれるの」
「そういう……伝説、ですよね?」
「……ううん、事実。だから、この期間中は夜に外に出てはいけないの。もし出たら、ご先祖さまのお邪魔になってしまうかもしれないからね」
この口ぶりからして、この人は本当にそれを信じ込んでいるらしい。
「はは……そうなんですね」
適当に流そうとすると、おばさんはがしりと私の肩を掴んできた。
「いたっ……」
「……あなたは、この世の人間じゃない」
ぼそりと呟かれた言葉を聞いて、背中に虫が這ったようにぞわりとした。
「な、なにを……」
「あってはならない……あなたは、自然の摂理からはずれている」
「何を言ってるんですかさっきから!」
一方的すぎて意味がわからない。あまりに失礼なことを言われている気がして、私はつい声を荒らげてしまった。
だがそれすら意に介さずおばさんはまだ私の肩を掴んでいる。
「いいかい……? あなたはもう死んでいる……死んでいるんだよ」
言い聞かせるように繰り返しそう言われる。
そんなわけない……そんなわけないのに……。
「なんなんですか……私は死んでなんか……」
その時、不意に頭の中に遠い記憶が呼び起こされた。
あの夏の日……おじいちゃんと最後に会ったあの日……。
「私は……死んだ……?」
「……そうだよ。あなたは、死んだ」
頭が痛くなってきた。
じわじわと悪寒が広がり、耳鳴りがきんきんと響く。
「じゃあ……じゃあなんで、私はここにいるんですか? だって……会社で働いて……ずっと、今までずっと……」
「それはね、あなたが死から逃げてしまったからだよ」
押し黙っていた店主が口を開く。
「この町は、盆に黄泉と繋がる。つまりここは半分黄泉の国になるんだ。人は死ぬと魂が黄泉の国へと向かい、肉体と分断される。でもね、盆にこの町で死ぬと、魂がここを黄泉の国だと思いこんでしまうんだ」
「じゃあ……私は……」
「そう、その魂。自分が死んだのに気づかずにこの町から出てしまった。だからあなたのその肉体は、不安定なものなんだ。魂が作り出してしまった偽物の肉体だからね」
そんなこと言われても……すぐに信じられない。
だって私は今までずっと生きてきた。
辛くて苦しい世界で生きてきた。
なのに既に死んでいて、それで自然の摂理だからこの肉体すら死ぬべきだって?
「……勝手だよ」
「え?」
「私はじゃあ、なんのためにこれまで生きてきたの? そこでちゃんと死ねてれば、こんなに苦しい思いしなくて済んだの? なんでこんなに……こんなひどいことばっかり……」
理不尽すぎて涙が出てくる。
そんな私の肩を抱いて、おばさんが囁く。
「そう……辛かったのね。でもだったら、やっぱり還った方がいいわよ……。魂が作り出した肉体っていうのは、あなたの死んでしまった体の半分からできてるの。だから全部はんぶんこ。才能も、能力も、何もかも弱いまま……明日また、黄泉の国と繋がるから、そこであの子に会うといいわ」
「……あの子?」
「あなたのお連れさん」
「あきちゃん……あきちゃんがなに? もしかして、なんでいないか知ってるの?」
「あってはならない、あの子もその片割れ」
「片割れ……まさか……」
「あの子は、あなただよ」
おばさんは静かにそれを告げた。
「嘘! 嘘を言わないで! 私はあの子じゃない……あの子は私なんかじゃない!」
「何かおかしなことはなかったかい?」
私の剣幕をものともせず店主は尋ねる。
「え……」
「その子は本当に会社にいた? どの部署? いつから? 出身は?」
質問を並べ立てられるがそんなの簡単に答えられ…………。
「……あれ」
「わからないんだろう?」
「違う……知らないだけ……だって私たち、そんなに一緒にいたわけでもなかったし……」
「会社の人には何か言われなかったかい?」
「…………」
さっきの、あのやり取りをまるで見ていたかのようだ。
確かにあの時、同じ会社の人はあきちゃんのことを知らなかった。
「そんな……そんなのって……」
「多分だけどね、あの子もそのことを思い出したんだと思うの。明日になったら、あなたはあの子と会ったら死んでしまうから」
おばさんの口から出てきたのは、あまりに唐突な死の宣告だった。
「え……」
「本来なら、それは抗うべきではないものだから」
「じゃああの子に会えって……それって私に死ねって言うんですか!」
「違うの。お願いきいて?」
「違わないじゃないですか! 」
あまり広くない店内に、私の声が響く。
こんなに声を出したことなんてなかったな……。
私、出せたんだ。こんな風に人を責めるような声を。
死ぬってわかったから? 縋り付きたくもない人生なのに?
「は……はは……ははははは……ふぅ……」
何故か乾いた笑いが込み上げてきて、ひとりで勝手に落ち着いた。
「……ごめんなさいね。いきなりこんな話。聞かずに自然とその時を迎えられた方が、良かったのかもしれないのに」
「……いえ、いいんです。でも、確かに……あきちゃんとは最後まで一緒に居たかったな。仮初の存在だったとしても、あの子は私に優しくしてくれた初めての子なんです」
「もし……あの子に会えなかったとしても、この間言った祠を目指しなさい」
「そこになにが……?」
「あの祠は、黄泉の国と現世とを繋ぐ道標。あの子があなたに会おうとしなくても、その祠があなたを黄泉の国へと導いてくれるはず。お盆の期間に現地の人は絶対にそこに近寄らないわ。黄泉の国へ迷い込んだら大変だからね」
祠……初日に私が行けなかった場所だ。
もしかすると、私は本能的に避けていたのかもしれない。
死ぬことなんて……なにも怖くないはずなのに……。
「じゃあ……じゃあそこに行けば、終われるんですか」
「……そうねぇ。悲しいことだけれど、その方が良いわ」
悲しくなんてあるものか。
私はもう、この場所になんの未練もない。
どこにいたって邪魔者扱いされて、煙たがられて……そんなのもうたくさんだ。
「……ありがとうございます。私、行きますね」
そう言うと私は席を立つ。
「待ちな……」
そんな私を店主が引き止める。
「腹……減ってんだろ」
「でも……でも私……」
「いいから。あなたは確かに許されない存在かもしれない。でもあたしらも、お腹を空かせた子をそのまま行かせるほど鬼じゃないよ」
「……それに、最後になるんだ。……食ってけ」
ふたりはそう言って私に笑いかけた。
今になって感じる人の温かさに包まれ、私の頬を涙が伝った。