「噂を鵜呑みにして私を悪女だと冷遇してらっしゃるようですけど、氷の公爵様は脳みそまで氷漬けなのかしら?」
公爵家の広いが何となく殺風景な中庭。
そう口にした途端、氷の公爵とやらの頬が赤く染まった。それが怒りなのか恥辱なのかは不明だ。
どちらでも良いが後者ならまだ救いがあると思った。そんなことを考えていたら顎をクイと掴まれた。
不快なので即バシリと叩き落とす。
「君は自分の立場を弁えているの、痛っ」
「夫とは言え私に気安く触らないでください」
男を次々取り換える悪女だと散々汚れ扱いして嫌った女の顎を掴もうとするんじゃない。
私は冷たい目で彼を見つめた。
目の前の男性の名はジェラール・スカーレット。色素の薄い金髪に氷色の瞳をした美男子である。
そしてスカーレット公爵家の当主で私アニエス・スカーレットの夫だ。
結婚したのは一か月前なので新婚ではある。しかし私たちの関係は蜜月とは程遠かった。
お互い結婚話が持ち上がるまで一切話したことなど無い。しかし顔と名前は知っていた。
私たちは貴族の間ではちょっとした有名人なのだ。多分どちらも悪い意味で。
ジェラール公爵は絶世の美男子で氷の公爵と陰で呼ばれている。
その薄青の瞳からイメージされてる部分もあるだろうが、大部分は彼が血も涙も無い冷たい人間だと思われているからだ。
五年前、長年彼を慕っていた婚約者に対し一方的に暴力を振るい婚約破棄をしたのは有名な話だ。
結果相手の伯爵令嬢は深く傷つき暫く療養していると言われている。
それで暴力クズ男と言われず氷の公爵というキラキラした異名がつくのはその身分と美貌のお陰だろうか。
私などはシンプルに悪女とか悪役令嬢などと言われているのに。しかも冤罪だし。
長い黒髪と真紅の吊り上がった瞳。美人は言われても可愛いとは乳母以外から言われたことの無い顔立ち。
貴族学校の初等部の時点で娘を虐める継母顔だとか将来嫁を虐めてそうとか言われていたわ。
それでも不美人では無いし、伯爵家長女の身分のお陰で縁談には困らなかった。
全部相手の申し出で破談になったけれど。しかも全員私でなく私の妹を愛したという理由で。
三回それを繰り返して汚れたのは私のイメージだけだった。だって妹は男たちの気持ちには応えなかったから。
私の元婚約者たちが勝手に愛らしく優しい彼女を好きになっただけ。妹は寧ろ彼らの不義に泣いて怒った。私が可哀想だと。
だから妹が姉の婚約者を奪ったと責められることは一度も無かった。
私が傲慢で性格が悪いから男は優しくて可愛らしい妹を好きになって当たり前らしい。
なら姉の婚約者を何回も誘惑して奪う女の性格は悪くないというのかしら?
そうよ、彼女はわざとそうしたのよ。
血の繋がりを疑うレベルで私とは似ていない妹の名前はエリア・ベルティエ。
ピンクブロンドのふわふわした髪と優しい緑色の垂れ目。愛らしい小動物みたいなイメージの彼女。
狩りをするように私の婚約者の心に忍び込み、心を奪ったらあっさりと興味を無くす。
姉の私から奪うのが目的で男自体が欲しい訳では無いから唇も心も愛の言葉も許さない。
本当の悪女ってエリアの事を言うのではないかしら。
でもそんなことを言ったら両親は私を強く叱りつけた。そして女性に対し酷い扱いをすると有名なこの氷の公爵とやらと強引に結婚させたのよ。
ろくに婚約期間すらなく。二人姉妹で長女の私を評判の悪い相手に嫁がせるなんて正気かしら。
そう思っていたけれど、私の知らない所でエリアが婿を取って伯爵家を継ぐことになっていた。
私の婚約者だけでは足りなくて次期当主の座が欲しくなってしまったらしい。寧ろ喜んで贈呈するわ。
幼女や小動物のように可愛がられて来て当主教育なんてされていない彼女に女伯爵なんて出来るか謎だけれど。
でもよく考えたら小動物だからって無害とは限らないわよね。
私は公爵の足元に擦り寄っている黒猫を見つめながら思った。
こんなに甘えん坊で可愛らしいけれど、先程一匹で散歩中に撫でたら容赦なく引っ掻いてきた。
思わず叫び声を上げたら、結婚式以来ろくに顔も合わせない公爵様がすっ飛んできたのよ。
そして話も聞かず怒鳴りつけてきたから私も色々吹っ切れてしまった。
「ダイアナ、今俺たちに近づくんじゃない! その女に踏まれるぞ!」
「張り倒しますよ、猫じゃなく貴方を」
怒りで血行が良くなったのか引っ掻かれた手の甲がズキズキと痛み出した。
さっさと自室に戻って手当したいのだけれど難しそうだ。
「何て暴力的な女だ、やはり傲慢な悪女の噂は本当だったのか……」
「あら、半信半疑だったのですか?私はすっかり貴方が信じ込んでいると思っていたのですが」
「君が男をたぶらかし飽きたら捨てているという噂についてはどうでもいい、君を愛するつもりは無いからな」
「……予想よりデマの内容が悪化していて驚いたわ」
貴族学校では男女は別クラス。
更に婚約者以外の年頃の異性と完全に二人きりで居る機会なんてほぼ存在しない。貴族令嬢ならほぼ誰でもそうだろう。
相手が姉妹の婚約者とか将来の親戚扱いされている関係でも無い限り。私は溜息を吐いた。
「デマ?……もしかして事実は異なるのか?」
「貴族の娘が殿方とっかえひっかえして男遊び出来る筈無いでしょう、少し考えたらわかりません?」
使用人との隠れた火遊びや、金と暇を持て余した美貌の未亡人が男遊びをしたりはするかもしれない。
でも私はまだ十代の伯爵家の長女なのだ。
「結婚なんて親の決めた相手とするに決まってますし、親の決めた相手を飽きたから捨てるなんて出来るとでも?」
「それは……しかし君は婚約者が三回も代わっている」
「相手が全員私より妹を好きになったからですわ。でもそれって私に非があることですか?」
「それは……知らなかった」
「父母が隠蔽を頑張ったのですね。……私の悪評に対してはまともに動いてくれなかったのに。私は強い女だからと……」
そういう人たちだった。何かあれば私を強い賢い逞しいと誉めていた。だから「何があっても大丈夫だろう」が口癖だった。
そして持ち上げながらも強い女は男には好かれにくいとも言っていた。悪口程当事者の耳に聞こえやすい物なのだ。
「……アニエス嬢?」
俯いた私にジェラールが声をかけてくる。若干心配そうな声音だった。
成程、こんな風に弱さを見せると相手も気遣い始めるのか。今後活用しよう。でもそれは今では無い。
「まあ確かに私は強い女ですけれどね。だから言いたいことはそろそろ言わせて頂きます」
「意外と元気だった……それで言いたいこととは?」
「私も悪女と呼ばれてますけれど、貴方も絶対結婚したくない男扱いされていますからね?」
「えっ」
「ご自身が氷の公爵って呼ばれているの御存知ですか?」
「それは知っているが……」
「一見格好良く見えますけれど血も涙もない冷酷カス男って意味ですよ。だから一度目の婚約解消の後に次の縁談が私以外に来なかったのですよ?」
「いや、それは……俺が嫌がったからでは?」
「嫌がるも何もそもそも縁談が来なかったんですよ。理由、心当たりがあるでしょう?」
私の言葉にジェラールは顔を曇らせる。氷とか言われてるけれど案外表情豊かだなと思った。
彼の足元で黒猫のダイアナが私を威嚇するようにシャーと鳴いた。
このポンコツな氷の公爵を心から愛しているのはもしかしたらこの黒猫だけかもしれない。
「確か公爵様は、私の前に婚約されていた女性を突き飛ばして怪我をさせたとか?」
そう笑みを浮かべて告げるとジェラールは僅かに顔を青くした。
巷では氷とか言われているが私より余程表情豊かだ。