「あら、悪質な嘘だと否定されないのですか?」
「……事実だからだ」
やはりそこは事実だったかと私は納得した。
俺は悪くないなどと言わないだけマシだろう。
私の過去の婚約者たちは大体そういう風に心変わりを自己弁護してきたから。
「五年前でしたかしら、ソレイユ伯爵令嬢と婚約破棄したのは?」
「……破棄では無い、解消だ」
私が微笑んで言うとジェラールは不機嫌そうに睨みつけて来た。
まあ彼はいつもこういうむっすりとした表情をしているのだが。
それさえも絵になるような美形に生まれたことを公爵は両親に感謝した方が良いと思う。
「その理由は、この庭を散策していた当時の婚約者を突き飛ばして怪我させたと言う話ですわね」
「……詳しいな」
「その元婚約者の御友人の令嬢の妹たちの何人かと私は貴族学校の同級生ですのよ」
彼は私より三歳上で今年二十一歳になる。
その美貌だけでなく在学中に父親と長兄を事故で亡くし急遽公爵になった事でも有名だった。
でも彼に少しでも憧れる女生徒が出ると、親切な誰かが真実を教えてくれるのだ。
氷の公爵は人を愛する心を持っていない。何を考えているかわからない。だから婚約者だろうと気に入らなければ乱暴に扱うと。
「正直、見てきたように話されるので驚きましたわ。でもそれだけ詳細なのに肝心な部分は誰も語らなくてずっと不思議でした」
「肝心な部分?」
ジェラールが聞き返して来たので私は頷いた。
「どうして公爵が婚約者を突き飛ばして怪我させたのかという部分です。物語なら一番重要では?」
私は彼の足元の黒猫を眺めた。ふふと笑みが漏れる。相手からしたら傲慢で悪辣な笑みに見えるかもしれない。
でも外見が悪女の私よりも、か弱く被害者を気取れる女性の方が悪質なことも珍しくはない。
「ただの悪口なら聞き流しても良かったけれど、婚約して結婚するなら無視できませんもの。ですから少し調べましたの」
これでも以前は伯爵家を継ぐ予定だったのだ。情報収集のツテはそれなりに持っている。
「ソレイユ伯爵令嬢はその黒猫……ダイアナちゃんの尻尾を踏んだら気に入りの靴を引っ掻かれて、腹を立てて踏み潰そうとしたとか」
私は彼の足元に纏わりつく黒猫を眺めた。飾り付きの首輪が良く似合っている品の良い華奢な猫だ。毛艶も良い。可愛い。
その尻尾の真ん中部分が良く見ると微妙に曲がっている。鍵尻尾は先天性の場合もあるが彼女の場合はそうではないだろう。
私は深く息を吐いた。心を落ち着ける為にだ。
「……私だったら突き飛ばすだけでは済ませなかったのに」
「ひっ」
ジェラールが乙女のように小さく悲鳴を上げた。
別にそんな凶悪な表情をしたつもりは無いのですけれど。
怯えた表情の彼を守るように黒猫が私に対し毛を逆立てる。健気で可愛いなと思った。
五年前ならまだ子猫だろう。小さな体がヒールで踏み殺され無かったのは不幸中の幸いだ。
「ソレイユ伯爵令嬢は最初全く悪い事だと思ってなかったみたいで、見舞に来た友人たちに理由を言いふらしたみたいです」
婚約者の飼い猫が引っ掻いてきたのが悪いのだと。あんな躾のなっていない猫なんて飼うべきでは無いと。
自分が勝手に公爵夫人気取りで中庭に無断で立ち入ったことは棚に上げて。
私は当時の事情を聴いた一人の御婦人のことを思い出した。
ソレイユ伯爵令嬢の取り巻きの子爵令嬢。彼女は足を挫いて学校を休んだ伯爵令嬢の見舞いに行った。
そこで猫を踏み殺してやれば良かったと残念そうに言う伯爵令嬢に猫好きの彼女は我慢出来なかった。
だから立場が上の相手に関わらずそんな残酷な事は言わない方が良いと進言したのだ。
結果取り巻きから外され虐めに近いことまでされて、それなりに辛い思いをして貴族学校を卒業したという話だ。
しかし格下令嬢が自分に意見した行為自体は許せなくても、意見自体は柔軟に取り入れたらしい。
ソレイユ伯爵令嬢は自分が婚約者に突き飛ばされた理由については口を閉ざした。