それはドーナツ屋のカウンター席で、ヤギと2人で楽しそうに話している写真。
解像度は落ちるから、どこかから隠れて撮ったんだろう。
ヤギの服はすり切れてるから、顔はボケてても特定しやすい。
「随分仲がいいじゃないか。ドーナツ屋で落ち合って、ドーナツ食ってデートかよ。
可愛いもんだぜ、お前らホモ?
なんでウソつくんだよ。お前、前の職場でこいつ騙して被害に遭わせたんだろ?
何で加害者のくせにのうのうと被害者と密会してんだよ、気持ち悪い。」
「写真なんか盗撮しやがって。卑怯だな。」
「わかってるだろ? 500億の仕事だぞ?
プロジェクトには予算と予定がある。
金だって評価額よりうんと高い。借金なんて、カスみたいな額だ。
貧乏のくせに、なんで売ってラクしないんだ? こいつ馬鹿か!
来週いっぱいで首を縦に振らせろ。いいな、最後の手は使いたくない。」
売りたくないのなら理由があるはずなのに、なんでこいつ見下してるんだ? ほんとムカつく。
「わかってるだろ? 詐欺事件で、こいつは財産のほとんど失ってる。
恐らくこれは、あいつの最後の砦なんだ。」
八田が、馬鹿にしたように笑った。
こんな八田、見たこと無いほど醜悪だ。
「ああ、女々しい思い出上等だね!
カス野郎に言っとけ! 住んでもない場所に、何しがみついてやがるってな! 」
俺は、もう、八田の言い方に、はらわたが煮えくり返った。
立ち上がり、八田のネクタイ掴み、顔つき合わせる。噛みつく勢いで、ヤギを侮辱する八田に反論した。
「どんなに苦労して、あいつの今があると思ってるんだ。
お前が普通にメシ食って寝てる間も、あいつは寝食忘れて働いたんだ。俺のせいで!
俺にこれ以上なにしろって言うんだ!
断る!あいつに関すること、全て断る! 」
バッと、ネクタイ掴む手を払われる。
デカい声で言い合っているので、様子を見に来る奴が出てきた。
わかってる。八田が凄く追い詰められているのがわかる。余裕がない。
「八田君。」
八田の後ろから、主任まで来た。
軽く会釈する。ああ、背中が寒くなる。
「最後の手って? 」
俺の問いに、八田が口を閉じる。
非情な強攻策だと態度が物語っている。
横から主任が口を開いた。
「プロジェクトの出資先の銀行は、彼が金を借りている銀行の親だ。
これは我々がやるわけじゃ無い。こっちは急がせる先方に猶予を貰ったのだよ。
礼を言われても恨まれる筋合いはない。」
愕然とした。
親銀行が圧力をかけて返済を急がせる気だ。
売るしかない状況を作らせるのだ。
「卑怯だ。」
「何とでも言いたまえ、どんな手を使ってもあの別荘は売って貰う。」
主任が八田の背を押して戻って行く。
ベンチに座り、傍らの写真を手に、笑うヤギの姿に目を閉じた。
「すまない、ごめん。 すまない……」
つぶやきながら、ようやくラクになったと話していた、あいつの声が聞こえるようで涙がこぼれた。
ヤギが銀行から出てくると、ため息を付いた。口元に手を置き、玄関先に立ってしばし考える。
まったく考えてなかったわけじゃない。
どんな手も使ってくるだろうから、銀行のグループ名を見た時から、こんな事もあるだろうとは思っていた。
「単刀直入に申し上げます。
今月中に残金をお願いします。
上から突然、猶予を却下すると指示が来ました。
覚えがあるかと存じますが。」
「ああ、ホテル建てるから、別荘売れって言われてるんだ。
まあ、おたくの銀行の親銀行の名前があったからとは思ってたけどさ。」
「悪い話ではないと思いますが、ご都合はどうでしょうか? なにか不安がございましたら相談には応じますが。」
「いや、たださ、時間が欲しいだけなんだ。中にも実家の物が入ってるし。」
「後々お住まいを考えられていたのでしたら、代替のマンションなどのお世話をご紹介しますよ?
実家のものでしたら、処分も手配しますが。」
「いや、そういう話じゃない。そう言う話じゃ、ないんだ。」
「ご心中お察しします。力になれず申し訳ない。」
俺の担当は、俺に相談出来る人間がいないことに同情して、かなり親身になってくれる。
だから、ひどく居心地が悪いようにしながら、丁寧に対応してくれた。
資産家の叔母が保証人になってくれたからこそ、若い俺に大金を貸してくれたんだけど、
俺に金を貸してくれたのが、ここで良かったと思ってる。
結果的に俺を追い詰める結果になっても、この人にはどうすることもできないんだ。
ジャンパーに手を突っ込み、物思いにふけりながら歩く。
もうちょっと、もうちょっと待ってくれ。
何でこんなに猶予が無いんだ。
何でこんなに俺の土地ばかりなんだ。
俺にはもう、不要の物なんて無いんだ。
父さん、父さん、どうすればいい?
どうして現金をもっと残してくれなかったんだ。いつも言ってたじゃないか。
お爺様亡くなった時は相続税が大変だったんだよって。
土地の値段も上がってるから、美里に苦労かけないようにしないとなって言ってたのに。
通帳は見つからないし、問い合わせたら銀行の残高、ほとんど0に近かった。
そんなにうちは苦しかったのかな。医療費がかかったのかな。
僕は父さんの医療費とか、お葬式とか払ったら、お金が無くなっちゃったんだよ。
あんな事になったけど、家を売ったお金で何とか相続税だけは払うことが出来た。
僕は、ミツミに助けてもらったんだ。
でも、今月中にあと1000万近く払わないと別荘がなくなる。それだけは、別荘だけは守りたい。
「誰かに、借りるしかないな。」
他の銀行が貸すわけがない。どうせ担保はあの屋敷だ。周り巡って結局取られる。
オーナーに、相談しようか。
ふと、鬼の様な形相の叔母の顔が浮かんだ。
保証人の叔母に金が無いわけじゃ無い。
きっと夫婦でケンカしたんだと思う。仲が良かったのに、本当に申し訳ない。
今の俺が、オーナーにまで見放されたら、もう、誰がいるんだ?
ミツミは駄目だ。きっと相談したら無理をする。あいつとは笑って普通に友達でいたい。
立ち止まり、大きく息を付き、空を見る。
ああ、
ああ、あと、頼れるのはあの男だ。