その時、コップが地面に落ちた。
ガラスの割れる音が、深山一真の言いかけた言葉を遮った。
桐谷琴音はまるで驚いたウサギのように、深山一真の胸から跳ね飛び、美月の前に駆け寄った。
「お姉さんが目覚めた!」
彼女は涙ぐんで言いながら、美月に近づく。
「どう?痛くない?」
美月は冷たい笑みを浮かべ、力なく唇を動かしてみた。
「お前がここにいる限り、痛みが続くよ。」
その言葉に、桐谷琴音の目から涙が瞬時にこぼれ出て、彼女が肩を震わせながらも、深山一真に一瞥した後、部屋を飛び出していった。
深山一真は、無意識に彼女の後を追おうとしたが、止まった。
そして、美月に向き直り、低い声で言った。
「お嬢様、その場でお守りできず、大変申し訳ございません。」
美月はそれを聞いて何も言わず、ただ顔をそむけて、窓の外を見つめていた。
三日間、深山一真が忠実に病室で看病し続けたが、美月は彼に沈黙を貫く。
そして、ついに退院する日が来た。
美月は未だに治りきっていない足で、まっすぐ書斎へ向かった。
木製の引き出しから、丁寧に手入れされた鞭を取り出す——
それは桐谷家に伝わる家法の用具で、一鞭打つだけでも、肌が裂けるほどの威力を持つ。
「深山一真を私のところへ呼んできて。」
美月は執事に命令した。
深山一真がドアを開けて入ってくると、美月がゆっくりと鞭を拭いていた。
日差しが窓から差し込み、彼女のまつ毛の下に影を落としていた。
「あなたは私のボディーガードとして、失格だわ。」
彼女は彼に目を向けた。
「罰を与える。異論はないよね?」
深山一真はその場に立ち尽くし、ほんの少しだけ瞳が揺らいだ。
美月はその瞬間をしっかりと見逃さなかった。
この御曹司め、おそらく自分が罰されることを想像もしなかっただろう。
確かに、彼は名門・深山家の一人息子で、普段から周りの人間に大切にされて、指一本触れられることもなかろう。
だがそんな彼は今日、鞭で打たれるよ。
美月は彼の顔をじっと見つめ、ふっと微笑んだ。
その明らかな動揺ぶりが見ものだな。
それにしても、彼は今すぐにでも立ち去り、辞職することができる。
なのに、彼はためらっている。
桐谷琴音のため?
彼女のそばにい続けるため?
そう気づいた瞬間、美月の目頭が熱くなり、涙が溢れそうになった。
そして、深山一真は覚悟できたようで、歯を食いしばり、
「はい。」
と答えた。
その一言に、美月の胸が締めつけられるように痛んだ。
彼女は迷いを振り切って、鞭を握りしめ、手を振り上げた瞬間——
「やめて!」
急にどこから細い人影が飛び込んで、深山一真を庇った。
桐谷琴音は涙を流しながら、震える声で言った。
「お姉さん、打つなら私にして、一真さんとは関係ない!」
「どきなさい。」
「いやだ!」
桐谷琴音は頑なに首を振り、涙で顔がぐしゃぐしゃになっている。
「全部私のせいだ、罰を与えるなら私に……」
深山一真は手を伸ばして彼女を引き離そうとした。
「琴音お嬢様、今回のことはあなたと関係ありません。」
けれど桐谷琴音は頑として彼の前に立ち続け、どうしても動こうとしなかった。
美月はその光景を見て、怒りが込み上げ、ついに鞭を振り下ろした!
「パーン!」
鞭が空気を切り、音が鋭く響いた。
美月は深山一真に向かって鞭を振り下ろすつもりだったが、桐谷琴音がその間に飛び込んで、無理やり彼の代わりに鞭を受けた!
「うあっ!」
桐谷琴音は痛みに声を上げ、細い体がふらつき、そのまま倒れ込んだ。
深山一真は彼女を抱きかかえ、傷の具合を確認した後、顔を上げて美月を睨みつけた。
その目には殺意が宿っており、今にも彼女の首を絞めかねないほどだった。
美月の体が凍りつき、まるで真冬の氷の中に落ちたかのような心地だった。
「私があんな重傷で入院したが、どうでもいい。
対して琴音がたった一回打たれただけで、彼は、私をこんなにも憎んでいるなんて!
この三年間、共に過ごしてきた日々は一体何だったの……」
「出て行け!今すぐ!
もうお前ら見たくない!」
美月は震える声で彼に言った。
それで、深山一真は倒れていた桐谷琴音を抱きかかえ、そのまま部屋を出て行った。
後ろで耳をつんざくような音を立てて、書斎の扉が閉まった。
美月はただその場に立ち尽くし、手の震えがおさまらず、鞭を握れなくなりそうだった…