秘書が横から心配そうに言った。
「一真様、あの方が知ったら、絶対に怒りますよ…」
「彫れ。」
機械がブンブンと音を立て、深山の体に刻むものの、その針がまるで美月の心に深く突き刺さるようだった。
二時間後、深山一真が出血を抑えながらスタジオから出た。
顔色は真っ白だが、それでも自力で車に乗り込み、「望月山へ行け。」と運転手に言った。
「ダメですよ! あの場所は危険すぎます、さっきタトゥーを入れたばかりですよ!」
「今すぐだ。」
美月は車の中で、ふと琴音が言った言葉を思い出した。
「私の名前を胸に刻むくらいの愛が欲しい。」
「望月山に百年に一度咲く『望月バラ』を摘んでくれる人。」
美月は笑った。笑っているが、思わず涙がこぼれ落ちた。
「行こう。」彼女は運転手に言った。「追わなくていい。」
その夜、美月は琴音のSNSで一枚の写真を見た。
それは崖の上に咲くバラだった。
午前三時、深山一真が帰ってきた。
全身血だらけで、右手は骨折しているようだ。
それでも、唇の端には微笑みが浮かんでいた。
翌日、美月が家を出ようとしたとき、深山が部屋から出てきた。
彼の顔色は悪く、右腕には包帯が巻かれ、シャツの襟元が少し開いていた。
「お嬢様。」彼の声はかすれていた。
「昨晩、事故に遭いました。しばらく休ませていただきます。」
事故?
明らかに山を登って転んだだけだろう。
でも、美月はその嘘を見逃した。
ただ淡々と「分かった」と答え、家を出た。
今日は、親友たちと分かれる日だ。
あるクラブのVIPルーム。
「さあさあ、今夜は酔っ払って帰るまでが勝負よ!」
美月の親友であるの小林カレンが美月の肩をぐいっと抱き寄せて言った。
「うちの美月、もうすぐ結婚するんだから、これからは天野美月だよ!お祝いしないと!」
部屋には、美月が長年付き合ってきた親しい友達たちが集まっている。
シャンパンタワーがライトに照らされてキラキラと輝き、音楽が響き渡っているけれど、美月はなぜか妙に静けさを感じていた。
「私が言うのもあれだけど、植物状態の旦那って最高じゃない?」
カレンが酔っ払ってグラスを振りながら言った。
「お金もあるし、顔もいい、何よりも面倒見なくていい、まさに理想の結婚よ!」
「そうそう!」隣の人もが頷いた。
「しかも天野家の財産、これから全部美月のものよ!」
美月は軽く笑いながら、指でグラスの縁をなぞった。
「結婚したら、昔のように遊んだりできないわ。天野家の名誉のためにも。」
みんなが一瞬驚き、すぐに言い直した。
「天野蓮は絶対目を覚ますよ!」
「こんな美人が勿体ないからね!」
「その通り!ずっと独りにさせるなんてあり得ないよ!」
美月はそれらの言葉を笑いながら聞き、酒を飲み続けた。
別れ際、カレンが急に美月を抱きしめ、声が詰まった。
「美月のお父さん、本当にひどい…それに琴音、あいつ、どうにかしない?」
「大丈夫。」美月はカレンの背中を軽く叩きながら言った。
「あいつらとはもう関係ないから。」
一人一人と抱きしめ合って、最後にはみんな目を赤くしていた。
会計を済ませて外に出ると、美月は隣の部屋から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「この花、本当に珍しいの?」
「そうなのよ!望月山って、プロの登山隊でも簡単には行けない場所だからね。」
美月は扉の隙間から覗いた。
琴音がバラを弄びながら、親友と興味津々で話している。
「それで、命懸けで摘んできたってことよね。昨日花を持ってきた時、彼、胸にあなたの名前を彫ってるのを見たわ!本当に琴音のことが大好きだね。」
「ただのボディーガードでしょ、そんな人が。」
「今、風間家の一人息子に注目されているのよ。」
彼女は残りの花びらを指でなぞりながら言った。
「でも、一真さんは確かにかっこいいわね。たまには愛人として楽しんでも悪くないかも。」