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第11話

深山の琴音への溺愛ぶりは、もはや神も呆れるレベルだった。


ボディーガードとして、彼は琴音と一緒に買い物へ行き、食事をし、映画まで観る。

彼女が「限定のケーキ、食べてみたいな」とぽつりとつぶやけば、夜中の三時に並んで買ってくるし、買い物で足が疲れたと座り込めば、平気でしゃがみ込んで足首を揉んであげる。


風間家の御曹司として、

琴音が気に入ったジュエリーブランドの新作があれば、こっそりと全シリーズを買い取りプレゼントし、「星が好き」と言えば、本当に星を買い取って、彼女の名前をつけて贈った。

「あの人、なんか苦手」と彼女が言っただけで、翌日にはその人物が琴音の前から忽然と姿を消す。


「風間家の坊っちゃん、ついに本気で落ちたな。」と噂された。


──それは、事実とも言える。


あの日、琴音が「夕陽を見に行きたい!」と駄々をこねて出かけた帰り道、

暴走したトラックが正面から彼らの車へ突っ込んできた。


寸前のところで深山はハンドルを切り、

副座席の琴音を庇うように体を捻り、自らの身を盾にした。


「ガシャアアアアーーン!!」


車体は激しく回転しながら吹き飛び、ガラスが砕け、エアバッグが炸裂。

深山の背はドアに強く叩きつけられ、鋭い金属片が肉体を貫いた。

真っ白なシャツが、瞬く間に真紅へと染まる。


それでも彼の腕は、しっかりと琴音を守っていた。

彼女に、ただのかすり傷一つさえ、負わせることなく。


「一真さん……!」

顔面蒼白の琴音が、震える手で彼の血まみれの顔に触れる。

「ダメだよ、こんな……血が……!」


慰めようとした深山だったが、口を開いた瞬間、喉奥から血が溢れた。


そして意識が遠のく中、彼が最後に聞いたのは――

琴音の、泣き叫ぶ声だった。


◇ ◇ ◇


次に目覚めたとき、目に入ったのは病室の無機質な天井だった。


ベッドのそばでうつ伏せて眠っていた琴音が、気配に気づき目を覚まし、勢いよく彼に抱きついてきた。


「バカ……バカバカバカッ! ほんとに……死んじゃったかと思ったんだから!」


ちょうど傷に触れてしまったのか、激痛に思わず声を漏らすが、

彼は苦しげに笑いながら、琴音の背をそっと撫でた。


「平気だよ……あんまり、痛くない。」


「嘘つきっ……!」

琴音の目から、涙がポロポロと零れる。

「先生が言ってたんだよ! あと一センチずれてたら……心臓に刺さってたって……!」


「……泣くなよ。俺は、守るためにここにいるんだから。」


「そんなの……優しすぎるよ……」

琴音は潤んだ瞳で彼を見つめながら、声を震わせた。

「だって、一真さんは……お姉ちゃんのボディーガードなのに……ずっと私のこと、こっそり気にかけてくれてたじゃん……」


「私、熱出したときも……“あのケーキ食べたい”って言っただけなのに……

あの日、大雨の中で五時間もかけて探してきてくれて……全身びしょ濡れになって……それでも笑って届けてくれて……」


「去年の誕生日だって、何気なく言っただけの“非売品のネックレスが欲しい”って一言で、

……命懸けのレースにまで出て……」


「一番感動したのは……望月山のあの花だよ。あんな危ない場所に行ってまで、私のために摘んでくれて……」


「だから……」琴音は期待に満ちた目で彼を見上げる。

「一真さんは、どうして私にそんなに優しくしてくれるの?」


「それは……」

深山は口を開いたものの、「好きだよ」の一言が喉に引っかかった。


言えない。

命を懸けて車から庇い、崖から花を取りに行き、タトゥーまで入れたというのに――

いざ気持ちを伝えようとすると、心臓が握り潰されるように痛んで、息ができなくなる。


「三日後、空いてるか?」

彼は話題をそらすように言った。

「伝えたいことがあるんだ。」


琴音の瞳がぱっと輝く。「なに? 何を話すの?」


「その時になれば分かるよ。」

彼は無理やり笑みを浮かべた。


琴音がさらに何かを言おうとしたその時、突然スマホが鳴った。

画面を見た瞬間、彼女の表情が一変する。


「一真さん、ごめん! 用事ができちゃって!」

そう叫ぶと、彼女はバッグを掴んで病室から飛び出していった。


扉が閉まった瞬間、深山一真の笑顔はスッと消えた。

天井を見上げながら、彼の脳裏に半年前の出来事がよみがえる――


あの時、彼はまだ桐谷美月の専属ボディーガードだった。

ある商業イベントで突然の襲撃を受け、美月を庇って肩に深い傷を負った。

骨が見えるほどの深手だった。


「深山一真、あんたバカなの!? なんで庇ったのよ、誰が頼んだのよっ!」

その場で美月は涙目で怒鳴り、血まみれの彼の応急処置に慌てて取りかかった。

高級ドレスが血で染まっても、彼女はまるで気にしなかった。


その後、入院先の病院で――

世間知らずの令嬢が、なぜか「自分で面倒を見る」と言って、

おかゆは焦げ付き、リンゴの皮を剥けば果肉まで半分消える始末。

それでも、絶対に看護師に任せようとはしなかった。


「…私の命も大事だけど、あなたの命も大事なの!」


あの言葉を思い出したとき、深山一真の口元にかすかな笑みが浮かんだ。


しかし、次の瞬間、彼はその表情を凍りつかせる。


……何をしてるんだ、自分は。


桐谷美月はもう、別の人と結婚する。

自分が好きなのは琴音のはず。なのに、どうして今さら――


その思考を振り切るように、彼はスマホを取り出して、幼なじみの佐藤遊馬に電話をかけた。


「お、やっと俺の存在思い出した? 一真、聞いたぞ。愛のために死にかけたって?」


「告白の準備、頼めるか。」

一真は冗談を受け流し、まっすぐに言った。


「……は? まさかお前、桐谷琴音に告る気か? ついに片想いやめるの?」


「そう。」

彼は淡々と続けた。「ローズガーデンに、オーケストラ、ドローンショー。あとピンクダイヤのネックレスも用意してくれ。」


「ちょ、待て待て! 告白するだけでどんだけ金かける気だよ!?

その先、どんだけ甘やかすつもりだよ……ほんとにさあ、琴音のどこがそんなにいいんだ?」


その問いに、深山は一瞬、言葉を失った。


三年前のパーティーの記憶が、ふと脳裏に浮かぶ。


あのとき、白いワンピース姿の少女が、木に登って今にも落ちそうな鳥の巣を助けていた。

日差しが木の葉越しに彼女の肩に降り注ぎ、顔はよく見えなかったけれど――

その姿は、まるで絵画の中から出てきたように美しかった。


電話で中座して戻ったときには、彼女はすでに鳥の巣を救ってその場を離れていた。


「さっきの女の子、誰?」

彼が訊ねると、スタッフが答えた。

「桐谷家のお嬢様ですよ。」


あの一瞬で、彼はすべてを決めた。


彼は素性を隠し、琴音に近づくためだけに、姉の美月のボディーガードになったのだ。


「……優しくて、まっすぐで……」

琴音の長所を並べてみるが、なぜか自分の声がどこか空虚に響いた。


「……とにかく、ちゃんと準備しておいてくれ。今回は……絶対、琴音にOKさせる。」


そう言い残し、深山は電話を切った。



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