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第13話

あれから三年も経っている。

今さら過去を調べようとしても、時間がかかるのは当然のことだ。


……なのに。

時間が過ぎるごとに、心臓はバクバクと落ち着かなくなっていく。

スマホの画面を凝視したまま、一真は何本目か分からないタバコを灰皿に押し込んだ。

吸い殻はすでに山のように積もっている。


そのとき、不意にスマホが震えた。


「調べたか?」

ほとんど反射的に電話を取る。


けれど返ってきたのは、冷静すぎる執事の声だった。

『若様、旦那様が至急、本邸へ戻るようお申し付けです。』


「……じいさん、体調でも悪いのか?」

『そこまでは。ただ、お声からして急ぎのご様子でした』


電話を切ると同時に、アクセルを踏み込む。


──風間家本邸は、夜なのにまるで昼間のように明るかった。


リビングに入った瞬間、何かが勢いよく飛んできた。


「っ……!」

バサッという音とともに、一冊分の写真が一真の胸元にぶつかり、床に散らばった。


「自分の目でよく見ろ!」

杖をついた祖父が怒鳴りつけた。顔は怒りで真っ赤に染まっている。


「風間家の跡取りが、女一人のためにボディガードだと? 冗談じゃない!」


一真は無言で写真を拾い上げた。そして、その中の一枚に目を留めた瞬間――呼吸が止まりそうになった。


そこには、桐谷琴音が写っていた。

露出の多いミニスカート姿で、年配の大富豪や素行の悪そうな若手実業家に、甘えるように体を預けている。


一番衝撃だったのは――

既婚の有名実業家に、彼女が背伸びしてキスをしている写真。

その瞳には、恋ではなく、冷たい計算が浮かんでいた。


「まさか、あの女を汚れなきかぐや姫だとでも思ってたか?」

祖父の声が冷たく響く。


「桐谷家なんざ、上流社会じゃ箸にも棒にもかからん。あの女は、自分を売ってでものし上がるような女だ」


一真の指先が、写真を握りしめたままわなわなと震えた。

さっき美容スタジオで聞いた話なんて、まだまだ序の口だった。

……まさか、また裏切られるとは。


「じいちゃん、俺は……」


何かを言いかけたそのとき、執事が再び慌てて入ってきた。


「若様。桐谷家の次女、琴音お嬢様から、明日の誕生日祝いに直接贈り物を届けたいと、ご挨拶の手紙が届いております。」


一真は、思わずその場に固まった。


明日は、彼の誕生日だ。


本来なら、告白の勢いで、誕生日パーティーの場を借りて──堂々と桐谷琴音の存在を皆に宣言するはず。


自分にとって、彼女こそが唯一無二の存在だと。


……でも、今はもう…。


「ダメだ、絶対に来させるな!」


怒りをあらわにした祖父が、机を叩いて立ち上がった。


だが、その言葉を遮るように、一真が低く静かな声で言った。


「分かった。いいと返信してくれ。」


その声音は、氷の刃のように冷たかった。


「それと……桐谷社長にも声をかけておいてください」


執事が小さく頷き、その場を去ろうとしたとき、一真は再び呼び止める。


「もう一つ。桐谷美月がこの数年間、桐谷家でどう過ごしてきたのか──調べてくれ」


その言葉に、祖父の目が鋭く細まる。


「……何を企んでいる?」


「確かめたいことがある」


一真は祖父を見据えた。その瞳の奥で、何かが激しく渦巻いている。


「じいちゃん。どうか……今日だけ、時間をください。必ず納得のいく答えを持ってきます」


祖父は鼻を鳴らして杖をつきながら踵を返す。


「いいか。風間家の敷居を、あんな女にまたがせることは絶対に許さん!」




夜はすっかり更けていた。


書斎で、一真は執事が届けた分厚い封筒をじっと見つめていた。

軽いはずの封筒が、手に持つと異様に重い。


一呼吸置いて、彼は指先で結び紐をほどく。


──中から現れたのは、一枚一枚、痛みが重なる書類だった。


最初のページには、七歳の桐谷美月の診断書。


《ストレス性失語。期間:三ヶ月》


隣には、精神科医の所見。


「実母の出産中の死亡を目撃し、強いショックを受けた模様。同日、父親が愛人の娘を家に連れ帰ったことで、著しい拒絶反応を示す」


その文章を読んだ瞬間、一真の手がかすかに震える。


次のページには、琴音が名門小学校へ編入した年の記録。


新しいランドセル──琴音には高価なオーダーメイド。

一方、美月の背には、亡き母が遺した色褪せたランドセル。


十二歳、琴音の誕生日には宴が開かれ、

その日、美月は屋根裏に閉じ込められていた。


十五歳、美月は難関高校に合格するが、

桐谷正志は学費を出さず、

こっそり援助したのは祖父だった。


十八歳、留学推薦枠は本来美月のものだった。

だが、桐谷正志はそれを琴音に与えた。


──そして最後の一枚。


二十歳のときの診断書。


《中等度うつ病、自傷傾向あり》


一真はその瞬間、資料を乱暴に閉じた。

胸が、息が、苦しい。


思い出してしまう。

桐谷家の誕生日パーティーで、泣き叫ぶ美月の姿を。


あの時の彼は、彼女のことを「面倒な女」だとしか思っていなかった。

琴音が鞭を受けたと聞いて、そのお返しとして──美月に99回の鞭打ちを命じた。


ほんの数時間前まで、彼は早く監視映像を手に入れたがっていた。

三年前、自分を惹きつけた“あの人”が誰なのか、知りたかった。


でも今は──その答えを知るのが、怖くてたまらない。


もし、三年前に鳥たちを助けたのが、琴音じゃなくて……

もし、それが桐谷美月だったとしたら──


その人こそが、自分が一目惚れした“彼女”だったとしたら……?


そして、自分が彼女にしてきた仕打ちのすべてが──

もう、何も考えたい。

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