――会場、騒然!
「……大叔父? 一真さん、なにそれ、冗談よね!?」
震える声で叫ぶ琴音の前に、杖を突いた白髪の老人が、執事に支えられて現れる。
「おお、これがわしの嫁か。よかよか」
「彼は祖父の兄弟だ。長らく独り身で、再婚を望んでいた」
一真は淡々と説明する。
「深山一真、ふざけないでっ! ありえないっ! 冗談にもならない!」
「若様の名を軽々しく呼ぶな」
ビンタの音が会場に響き渡る。
琴音の頬が、みるみる赤く腫れ上がっていった。
「風間様! これは何かの誤解かと……琴音を……!」
慌てて口を挟む桐谷正志に、一真は鋭く切り込んだ。
「桐谷社長」
その声は冷たく、刃のようだった。
「大叔父は貴女の娘を大変気に入っている。もし縁談を承諾していただけるなら、風間家と桐谷家で長期契約を結びましょう。」
桐谷正志の表情が変わった。
──風間家と長期契約……それは、儲かるチャンス。
「パパ! やめてよ! 私、まだ二十歳だよ!? ありえないって!」
琴音の悲鳴に、父は短くため息をつき──そして娘の手を振り払った。
「風間家に嫁げるのは、ありがたい話だ。甘えるな」
琴音の絶望をよそに、桐谷正志は一真に深々と頭を下げた。
「ご安心ください。すぐに入籍手続きを。今夜にはお部屋も──」
琴音の目が見開かれ、世界が崩れていく。
「いや……そんなはずない、こんなの違う……!」
泣きながら一真にすがりつく。
「一真! 私のこと好きなんでしょう。 あなたは私のために命だって懸けてくれたじゃない!」
だが──一真は一歩、後ずさった。
「好き……?」
その声は、凍てつく風のように冷たかった。
「俺が好きだったのは、三年前、鳥の巣を戻した“あの子”だ。──お前じゃない」
琴音は震えた。耳を疑った。
「……なに、言ってるの……?」
「言葉通りだ。俺は勘違いしていた。惹かれたのは、お前じゃない。──桐谷美月だったんだ」
彼はもう、琴音を見ようともしなかった。
「なにをしている。さっさと花嫁を連れて行け。大叔父が待ってる。」
「いやぁぁあああ!! やめて! お願い、お願いぃぃ!」
──琴音の悲鳴が響く中、一真は一瞥もくれず、宴は何事もなかったかのように再開された。
ワイングラスが交わされ、笑い声が戻るなか、桐谷正志がすがるように声をかける。
「風間様、そ、その……契約の話なのですが……!」
一真はちらりと視線を送り、無表情で指をさす。
「その車の十メートル後ろで待て。」
「は、はい!」
桐谷正志は何の疑いもなく指定の場所へ。
──次の瞬間。
「……轟ッ!」
エンジン音とともに、マイバッハが唸りを上げて突っ込んだ。
「ッガァン!」
悲鳴と衝撃音。
地面に叩きつけられた桐谷正志の周囲に、真っ赤な血が広がる。
運転席の窓がゆっくりと開いた。
「医者に伝えろ」
一真は淡々と告げる。
「──“死なない程度に”じゃない。“死ぬ勢いで治療しろ”だ」
漆黒の車が、山道を猛スピードで駆け抜ける。
スピードメーターの針は、すでに200キロを振り切っていた。
一真の手はハンドルを握りしめ、指先の血管が浮かび上がるほど強張っていた。
――走り続けて、もう一時間。
ようやく、彼の呼吸がゆっくりと整い始める。
「……美月」
低く呟いた声は、風に消えるほど儚かった。
「やっと……君の仇を取ったよ」
彼はスマホを取り出し、秘書に電話をかける。
「──今すぐ、南区行きのプライベートジェットを手配しろ」
だが、電話の向こうの秘書は、どこか歯切れが悪い。
「風間様……申し上げにくいのですが……たぶん、もう……間に合いません」
「……どういう意味だ?」
声の温度が一気に冷え込む。
「本日……本日は、美月お嬢様と、天野家の若様の──ご結婚式でして……」
「……は?」
ブレーキが悲鳴を上げるほど、彼は車を急停止させた。
「結婚? 何の冗談だ。それに──天野蓮は植物人間のはずだろ?」
「それが……実は、美月お嬢様が南区に到着したその日、突然──目を覚ましたんです……!」
秘書の声は、震えていた。