会場のゲスト席が、たちまちざわつき始めた。
「ちょ、あれって風間家の跡取りじゃない?」
「今なんて言った!? 「結婚しないてくれ」って……まさか、結婚式を壊しに来たのか?」
「うそでしょ……天野家の若様が目覚めたばっかりなのに、これって……」
ざわめきは、まるで津波のように広がっていく。
――風間一真。
なぜ、彼がここにいるの?
彼はまっすぐ美月の方へ歩いてくる。
乱れたスーツ、血走った目――まるで、何日も眠っていないようだった。
「……結婚するな。」
再び絞り出すような声で、彼は言った。
その声は、まるで壊れかけの機械のようにかすれていた。
美月の指先が震える。けれど、必死に冷静を保とうとする。
「風間一真……何しに来たの?」
美月の声がひどく冷たく響いた。
「――大好きな琴音が、嫉妬しちゃうんじゃない?」
その一言に、一真の呼吸が止まる。
その瞳に、強く抑えきれないほどの痛みが浮かんだ。
「……人違いだったんだ」
低く、しぼり出すような声。
そこに込められていたのは、何年分もの後悔と哀しみだった。
「三年前、俺が好きになったのは……桐谷琴音じゃない。美月、お前だった。
だけど、俺は……間違えた。ずっと間違えてたんだ」
「覚えてるか? 三年前のあのパーティー。お前、白いワンピースを着て、庭の木に登って――落ちそうな鳥の巣を助けたよな。あの瞬間、俺は……お前に一目惚れしてた。でも、そのお前を琴音と勘違いしたんだ」
美月の瞳がわずかに見開かれる。
もちろん、覚えている。
あの日、自分は真っ白なワンピースを着ていて、今にも落ちそうな雛鳥たちを救うために木に登った。
降りたとき、少し離れた場所に男の人が立っていた。
ただの通りすがりだと思って、何も言わずその場を離れた。
――あれが……彼だったの?
美月が動きを止めたのを見て、一真は「信じてもらえていない」と思ったのか、焦ったようにまくし立てた。
「……もう全部調べたんだ。桐谷琴音が、ずっと俺を騙してたってことも。
桐谷家で辛い思いをしていたのは、あいつじゃなくて――お前だった。
お前の母親のことも、留学の推薦も、子どもの頃から、お前をずっといじめて……全部、全部あいつだったんだ。
……ごめん、美月。俺がちゃんと調べてなかった。俺が、お前を……苦しめたんだ」
彼が一言話すたびに、美月の胸が締めつけられていく。
言葉にならなかった過去の痛みを、まるでセリフのように淡々と並べられて。
「調べてなかった」「人違いだった」――そんな簡単な言葉で、自分の全部を上書きしようとしてくる彼に。
その瞬間、美月はふっと笑った。けれどその瞳には、ひどく冷たい光が宿っていた。
「……それで? 『人違いでした』『調べてませんでした』って言えば、
この何年も私が受けてきたものを、なかったことにできるって思ってるの?」
一真は喉を鳴らし、低く、搾り出すように言った。
「……美月、本当に……ごめん。俺、一生かけて償う。取り返すから……!」
「償う……?」
美月は皮肉な笑みを浮かべた。
その口元は笑っているのに、声は鋭く冷えきっていた。
「風間一真、あんた……琴音のために私に何したか、覚えてる?」
その一言で、一真の全身がピクリと硬直する。
美月の言葉は刃のように、彼の胸に突き立てる。
「オークションで、私が欲しかった品を全部買い取った。」
「望月山で、あの子のために命がけで花を取ろうとして、骨折した。」
「自分の心臓にあの子の名前を彫って、私が犬に噛まれた時もあの子をかばってた。
その上、私に――鞭で九十九回な痛みをくれた。琴音を侮辱した罰だったよね。」
言葉のたびに、一真の顔から血の気が引いていく。
気づけば彼は、まともに立っているのもやっとで、拳を強く握りしめたまま震えていた。
指先は、食い込むほどに深く、掌に爪痕を刻んでいた。
「……ごめん、美月……お願いだ、俺に……もう一度だけ、チャンスをくれ」
そう言いながら、一真は息を切らしつつ、一気に言葉を繰り出した。
遮られるのを恐れているような、必死の口調だった。
「お前を苦しめたやつは、全部俺が片をつけた。琴音も、お前の父親も……もう終わりにした」
美月は目を見開く。言葉を失いかけたその時――
「いい加減にしろ。」
蓮が、美月の前に立ちはだかっていた。
「……風間さん。もう、いい加減にしてください。ここは俺たちが結婚する場です。」
一真の瞳に浮かんでいた痛みは、次の瞬間、怒りの炎に塗り替えられた。
「……天野さん、あんたは目覚めたばかりだろう。
美月と、どれだけの時間を過ごした?どれだけ想い合った?
――美月のことを諦めろ。そうすれば風間グループとの全プロジェクト、利益の三割、あんたに譲よ。」