その言葉が落ちた瞬間、会場が騒然とした。
――天野家と風間家が手がけてきた共同プロジェクトは、どれも数億単位の規模だ。
その利益を、風間一真が譲ると言ったのだ。
美月の胸に、衝撃が走る。
彼女は知っている。天野蓮は実業家だ。
この取引を断る人間など、いないはずだ。
だが次の瞬間。
蓮は冷たく笑い、ひと言。
「……必要ない」
同時に、天野家の親族たちが次々と席を立つ。
天野母(蓮の母)はまっすぐ美月の元に歩み寄り、彼女の手をぎゅっと握った。
「美月さんは、私たち天野家の大切なお嫁さんです。お金で売り買いされるような「商品」ではありません。」
その言葉に、美月の目頭が熱くなる。
胸の奥に、温かなものがあふれてくる。
一真は信じられないといった表情で、天野家の一人ひとりを見渡した。
そして最後に、また美月に視線を戻すと、今にも崩れ落ちそうな声で懇願した。
「美月……お願いだ。一緒に来てくれ。俺の一生をかけて償うから……」
美月はそっと目を閉じ、深く息を吐く。
そして、目を開いたときには、そこに迷いは一切なかった。
「……無理よ」
彼女はくるりと背を向け、司会者に向き直った。
「――続きをお願いします」
その瞬間、一真の目に宿っていた痛みは、狂気へと変える。
「ダメだ!!」
怒号とともに空気が張りつめた。
その時、一真の秘書である男が駆け寄り、耳打ちする。
「一真様、外の準備は完了しています」
美月の心臓が一気に冷えた。
「……外? 何をする気なの!?」
一真は燃えたような瞳で美月を見つめたまま、低く、はっきりと言った。
「会場の外に、爆弾を仕掛けてある。お前が俺と行かないなら、ここの人間――全員、道連れだ」
――その瞬間、会場が凍りついた。
美月の背筋が一気に冷たくなる。
「……あんた、いかれてる。」
「いかれてるよ。」
彼はすがるように見つめながら、噛みしめるように言った。
「お前が誰かと結婚するくらいなら……いっそ全部壊してやりたいくらいだ。」
「風間一真……っ!」
美月の声が震える。
「何がしたいのよ……!」
「一緒に来てくれ。」
一真の目は執念に燃えていた。
「……頼む。もう一度だけ……チャンスをくれ」
「……絶対にイヤ!」
「じゃあ、一緒に死んでくれ。」
――限界だった。
美月の指先は、強く握りしめた手のひらに深く食い込む。
もう、息が詰まりそうだった。
そのとき。
「じゃあ、俺も一緒だ。」
穏やかだが芯のある声が響いた。
隣にいた蓮が、静かに美月の手を握っていた。
だが、会場に、パニックが走る。
「美月さん、お願いです……!私たちまで巻き込まないで……!」
「そうですよ、美月さん! 私たちとは関係ないです。」
――罪のない人々の声が、美月を刺す。
彼女は唇を強く噛み、目を閉じる。
しばらくして、小さく息を吸い込むと――
「……わかった。」
その言葉に、一真の瞳が輝く。
「一週間だけよ。」
美月は冷たく言い放った。
「一週間だけのチャンスをやる。もう二度と――暴走しないって約束して」
一真の顔が歓喜に染まる。
「……いい! 約束する!」
「美月!」
天野蓮が彼女の手を強く握った。
その瞳には、必死の訴えが浮かんでいる。
美月はそっと彼の目を見て、静かに尋ねた。
「――私を信じてくれる? 一週間だけ、行かせて。お願い」
蓮はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと彼女の手を放した。
天野母が小さな包みを手渡し、耳元でささやく。
「美月さん。中には大事なものが入ってます。時間ができたら、見てくださいね」
美月は頷き、何も言わず――真と並んで会場を去った。
一真は、美月を連れてすぐさまプライベートジェットに乗り込もうとした。
だが、美月の冷え切った声が突き刺さる。
「南区から無理やり連れ出すつもりなら……この場で死ぬわ。ここにいる全員を巻き込んでね。」
一真は、さすがにひるんだ。
「……わかった、わかった。君が好きなら、ここにいよう」
すぐに彼は電話をかけ、南区で最も高価な豪邸を手配した。
美月がその屋敷に足を踏み入れた瞬間、息を呑んだ。
――そこは、かつて母が健在だった頃の実家をそっくり再現したような造りだった。
背後からそっと抱き寄せた一真が、低く囁く。
「……気に入った?」
美月は小さく笑った。けれど、その笑みは凍りついた氷のようだった。
「たしか……琴音のことも、こうやって喜ばせてたっけ?無制限で彼女が好きなものを買って、名前のタトゥーを入れて、彼女が一発鞭を受けただけで、私には何のためらいもなく九十九回も打ったでしょ?そうだったよね。」
一真の胸が、ずしんと締めつけられた。
「……美月、俺は償うよ」