──その日は、朝から空気が違った。
「なんかピリピリしてないか……?」
「ギルド長の部屋に、偉い人っぽいのが入っていったぞ」
「まさか……また予算削減の査察か?」
そんな噂が飛び交うギルド本部。
冒険者たちの背筋が伸びる中、いつも通りゆったりとした足取りで受付席に座ったのは──
「ふわ〜ぁ……よし、今日も省エネ全開でいきましょうか♪」
そう、サボりの女神こと受付嬢ミレナ・アルファードである。
「まずはゲーム、いや、依頼用紙の確認……そのあとドラマタ〜イム♡」
彼女の机下には、今日も戦闘準備万端のサボりセットが待機していた。
魔導ゲーム
音声だけ聞ける魔法ラジオ(最近のブームは恋愛ドラマ)
アフタヌーンティーセット
すべては、最高効率で**“バレずにさぼる”**ための装備だ。
「──ミレナさん!ヤバいです!監査官来ます!今日です!」
「……え?」
後ろから走ってきた同僚受付嬢が、顔面蒼白で告げる。
「王都からですよ!? 王都!! うちの評価、直でギルド評議会に行くって……!」
「ええぇ……なんで今なの……この《マナクラフト・ポケット》まだチュートリアルなんだけど……」
「そうじゃなくて!! さぼってたら終わりですよ!? 左遷か、下手すりゃクビ!!」
「……(……ついに来たわね、“本気を出す日”が……)」
ミレナは椅子をゆっくり回転させると、すべてのサボりアイテムを机の中にしまった。
──15秒後、彼女の周囲からはあらゆる娯楽の気配が消えていた。
「見せてやるわ、真面目な私を……」
ミレナはいつになく真っ直ぐに背筋を伸ばし、完璧な姿勢で受付に立った。
冒険者たちも一瞬「え?」と目を丸くする。
「──依頼用紙、こちらにどうぞ。印は左下に。内容確認してから提出してください」
「(あれ……今日のミレナさん、なんか……)」
「(やけに……普通じゃね……?)」
そう、普段のミレナはあまりに優雅かつ余裕に満ちているため、
急に真面目に働くと逆に“何かあった感”がにじみ出てしまうのだった。
──その時、ギルドの扉が開いた。
「失礼する。王都ギルド管理局、監査官のエリオット・ドレイヴンだ」
入ってきたのは、黒い燕尾服に銀の眼鏡をかけた長身の男。
鋭い目つきと、どこまでも無駄のない動き──見るからに「サボり」という言葉を辞書から削除して生きてきたタイプである。
(やっっっば……“ガチの監査官”じゃん……)
ミレナは冷や汗をかきながら、完璧な笑顔をキープする。
「初めまして。受付業務を担当しております、ミレナ・アルファードと申します」
「……ふむ。君の噂は聞いている。対応が早く、効率が良く、クレームゼロ。受付嬢として理想的だとな」
(だろうな! サボってるからストレスがゼロなんだよこっちは!!)
「今日一日、私がこのギルドの業務を監視する。普段通りに、な」
「(普段通り……? 普段通り!? それはつまり、“サボれ”ってこと!?!?!?)」
動揺をぐっと飲み込み、ミレナは背筋を伸ばしたまま、業務を再開する。
「次の方どうぞー。申請書はこちらです」
「(だめ……集中できない……。ゲームボタンを……押したい……!!)」
その時、受付前に現れたのは──またしてもあの新人冒険者だった。
「あっ、あの……すみません、またミレナさんに確認を……」
「ええ、お気軽にどうぞ(ニコッ)」
「(なんか今日、ミレナさん……ものすごく普通ですね)」
「(余計なこと言うなーーーーー!!!)」
──緊張に満ちた時間が続いていた。
ミレナは受付カウンターに背筋を正して座り、サボりゼロ、遊びゼロ、妄想ゼロの完璧対応を続けていた。
「依頼票はこちら、左上に印鑑をお願いします」
「はい、では受領完了です。お気をつけて」
一言一句、教科書通り。
完璧、まさにギルドの鏡。
……のはずだった。
「(な、なにこの空気……全然リズムがつかめない……)」
「(いつもの“サボりポイント”がことごとく潰されてる……息抜きのスキマがない……)」
「(ゲームに触れてないと手が震える……禁断症状……!)」
ギルド長や他の職員たちは内心「さすがミレナさん!」と満足気。
しかし──監査官エリオットの目だけは、冷ややかだった。
「……少し、いいか?」
「は、はいっ! なんでしょうかっ!」
「今の対応、確かに完璧だ。だが──完璧すぎる」
「……は?」
「受付嬢とはいえ、生身の人間。多少の言い間違いや対応の揺らぎがあるはず。
だが君は、この一時間、一度も目をそらさず、語尾のリズムも一定、まばたきの回数までほぼ変化なしだ」
「(え、こわい。なにその分析。AIかお前は)」
「つまり……君は“何かを隠している”のではないか?」
(えっっっ!?!?!?!?!?!?)
ミレナの顔から笑顔がストンと落ちる。
(ちがう! ちがうのよ! 今日に限っては何も隠してないのよ!!)
──が、どんなに取り繕っても、いつもの「余裕綽々な魔性スマイル」はもう出てこなかった。
「……う、ううんっ!? な、何も……っ、か、隠してなんか……!!」
「あわて方が典型的なクロだな。机の中を見せてもらおうか?」
「やっ、やめてぇぇぇええええええ!!!」
ミレナの魂の叫びが、ギルドに響いた。
──次の瞬間。ドサッ。
机に封印した“サボりグッズ”が音を立てて転げ出た。
魔導ゲーム機×2
恋愛相談ラジオ水晶
お菓子(個包装)大量
ミレナ私物のファンブック(『八つ裂き姫』)
足踏み式音ゲー魔導装置
魔導ラジオ
ギルドの時間が止まった。
「(うそだろ……あの女神が……!?)」
「(なんで!?なんでッ!?)」
「説明してもらおうか、ミレナくん」
「ち、ちが……これは、その、自己研鑽です!」
「研鑽?」
「このゲームには“交渉スキル”を磨けたりや“事務処理が学べるんです!
受付業務に不可欠なスキルを、日常の中で……こっそり、鍛えて……!」
「……なるほど。それは……」
──ピッ
突然、後ろからひとりの冒険者がゲーム機を操作し始めた。
「お、これ……本当に交渉スキルのステージあるじゃん。
しかもすげー難しいぞコレ。受付嬢向けってレベルじゃねぇ!」
「で、でしょう!? わたし、これノーミスで全部クリアしました!」
──なぜか、場の空気がざわ……と変わった。
「なんだ、ミレナさん、むしろ超努力してたんだな……」
「働いてるとこ見てたけど、いつも優しいし、確かに神対応だったよな」
「神ってたの、ガチの修行の成果だったのか……」
──称賛が、広がっていく。
監査官エリオットは沈黙したまま、しばらく考え込んだ。
「……ふむ。では、君は“余暇時間を使って、受付業務を強化していた”と、そう主張するのだな?」
「え、ええ、もちろん! 勤務中とはいえ、“自分を鍛えるための趣味”ということで……!」
「わかった。では今回の件は、**“自主的な能力強化の好例”**として、王都に報告しておこう」
(なにそれ!?!?!? セーフ!?!?)
「……ただし、“適度な休息”の範囲を越えないように。あくまで“効率”を重視するようにな」
「は、はいっ! も、もちろんですっ!」
こうして──
サボりは完全にバレたが、なぜか“意識高い系職員”として評価が上がるという、意味不明な勝利を収めたミレナであった。
「(……でもまあ、また堂々とゲームできるなら、それでいっか♡)」
その日から、ミレナのサボりタイムは「能力開発」と名を変え、より堂々としたものとなった。