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第3話『宿敵は歩いてこない、だから歩いていくんだね』

  クチナシが戻ってきたのは、それから一時間後だった。


 半壊した謁見之間に、彼女の足音が静かに響き渡る。


 エルギアは玉座に腰掛け、埃まみれの外套を叩きながら、退屈そうに剣角を指で弾いていた。


「エルギアさま、今一度よろしいでしょうか。なぜわざわざ変装を? 魔王であるならば、堂々と会いに行くのでいいのでは?」


 クチナシの声は穏やかだが、どこか疑問を隠しきれていない調子だった。


「何を言っておる。街中にいきなり魔王が現れたら、どこもパニックになって住民に迷惑をかけるだろう。お年寄りも多い国なのだから、驚かせて心臓麻痺でも起こされたら大変だ」


 エルギアは胸を張り、当然の結論を述べる口調で答えた。


「なるほど……さすがは魔王さま。思慮深い」


 クチナシは口元の布の下で微かに頷き、感心した様子を見せる。


「うむ」


 エルギアは満足げに顎を上げた。


「それでは、これより変幻の儀を執り行います」


 クチナシが一歩進み出ると、謁見之間の中央に置かれた台座が目に入る。


 その上には、いくつもの魔道具らしき物が雑然と並んでいた。


 準備に手間取ったのか、台座の周りには埃と細かな石屑が散らばっている。


 エルギアは立ち上がり、近づいてその魔道具をじっと見つめた。


「……ん?」


 彼女の視線が一瞬止まる。


「ちょっと待て、それらはなんだ? 儀式で使う魔道具か? 『変幻の杖』さえあれば十分だろう」


 エルギアは台座の上に置かれた大きな杖を指さし、眉をひそめた。


 だが、クチナシは表情を変えず、淡々と答える。


「これらは儀式のあと、その効力を確実なものにするための保険です」


 エルギアは訝しげな目で、もう一度魔道具を見直す。


 何度見ても、その正体が掴めない。


 一つは小さなガラス瓶に入った液体で、香水としか思えない形状だ。


 隣には細長い棒状の物――口紅だろうか。


 他にも、化粧台で見かけるような道具ばかりが並んでいる。


 エルギアはクチナシに疑いの眼差しを向けた。


「お忍びで勇者に接触したい……そうですよね?」


 クチナシが確認するように言葉を重ねる。


「う……む、まぁ、そうなのだが……しかし……その、なんだ。なにも勇者に会うためだけに、そこまで気合い入れなくても。ただの町人Aみたいな格好で十分――」


「エルギアさまッ!」


 クチナシの声が鋭く割り込む。


「はいっ!」


 エルギアは思わず背筋を伸ばした。


「エルギアさまにつかえる身として、わたくしにもプライドというものがございます! エルギアさまを人前に出しても問題ない姿にするのも私の使命! どうか、エルギアさまも魔王としての矜持を持って、儀式にお臨みください!」


 クチナシの言葉は熱を帯び、普段の冷静さとは異なる勢いがあった。


「……すいません。我、がんばります」


 エルギアは小さく肩を落とし、観念した声で呟いた。


 内心、彼女は思う。


 頼む相手を間違えたかもしれない。


 一度スイッチが入ったクチナシは、こうなると逆らうだけ無駄なのだ。


「……改めまして、変幻の儀を執り行います。エルギアさま、目を閉じ、こちらへ」


「うむ」


 エルギアは静かに目を閉じ、前に進み出る。


 クチナシは台座の上に置かれた大きな杖を手に取り、それをエルギアの頭上にかざした。


「変幻の杖よ、我が魔力を糧としてその真価を示せ」


 杖の先端に埋め込まれた宝玉から、まばゆい光が放たれ、エルギアの全身を包み込んだ。


 光は彼女の外套を揺らし、剣角の先まで届いて一瞬輝かせる。


 エルギアは内心で考える。


 この儀式は本当に必要なものなのか?


 杖をかざして魔力を注ぎ込むだけなら、自分一人でどうにでもなる。


 過去に何度か魔王城を抜け出す際、この変幻の杖を使っていた。


 そのたび、クチナシに見つかり、長々と説教された記憶が蘇る。


 だが、彼女は続ける。


 まぁでも、クチナシが頑張っているのだし、最後まで付き合ってやるとするか。


「クフ、クフフフフフフ……」


 奇妙な笑い声が耳に届く。


「……?」


 エルギアは片目を開けた。


 普段、無表情を貫くクチナシの顔が目の前にあった。


 黒い布の下から覗く瞳が異様に輝き、生き生きとした表情が浮かんでいる。


 こやつ、めちゃくちゃ楽しんでおる。


「クフフフフフフ……」


 その後、エルギアは着せ替え人形と化した。


 数十分後。


「……おい。嫌な予感はしていたが、まさか、かような格好で勇者のもとへ行けと?」


 エルギアは鏡の前に立ち、呆れた声で言った。


「はい、何か問題が?」


 クチナシは平然と答える。


「問題しかないだろッ!」


 鏡に映るのは、一人の可憐な娘だった。


 腰まで伸びた長いブロンドの髪。


 赤を基調としたワンピースが体にぴったりと沿い、膝元まで伸びたスカートにはスリットが入っている。


 その隙間から覗く生足が妙に目立つ。


「脚だけでないッ! 胸元がッ! 肩がッ! 背中がッ! スースーするッ!」


 エルギアは顔を真っ赤にして叫んだ。


「これは人間の国で交易商の娘たちが好む装いです。装い自体は、勇者が『はじまりの国』で頻繁に訪れる酒場の交易商の娘たちを参考にしました。彼がその場で彼女たちと親しげに話す姿が目撃されています。さらに、隠密部隊を勇者の実家に派遣し、ベッドの下に隠されていたエッチな本を奪取しました。その本に登場する女騎士の特徴を取り入れ、勇者の癖に刺さる見た目を再現しています。光輪については、魔王軍の技術の粋を集めた最先端の魔導装置です。微弱な魔力を放ち、周囲の人間にわずかな幻惑効果を与えます。勇者に接触する際、彼の警戒心を緩め、こちらを敵と認識しづらくするための戦略的な装備です」


「めっちゃ喋るではないか」


 それでも、クチナシは淡々と説明を続ける。


 エルギアは鏡に映る自分をじっと見つめ、内心で呟いた。


 ……なんか聞いたらいけないものも混じってた気がするが、まあいいか。


「うむ。我、可愛いな」


「さすがエルギアさま。順応がお早い」


 クチナシが静かに頷く。


「勘違いするでないぞ。あくまで勇者に会う上で、この格好の方が都合がよさそうだと判断したまで」


 エルギアは鏡の前で体を軽くひねり、スカートがヒラヒラと宙に舞うのを確認した。


「よって、クチナシよ。このブランドのアイテムは全て我の私物とする」


 彼女は台座の上に置かれた化粧道具を指さす。


「おおせのままに」


 クチナシは静かに頭を下げ、心の中で『計画通り』と呟いた。


「お帰りはいつごろで?」


「そうだな……勇者の真意を、いや、我の宿敵に成しえる存在か見定めることができたなら、そのとき帰ることにしよう」


「では、わたくしはここでお待ちしております。エルギアさま、またいずれ。お体に気を付けて」


 クチナシは恭しく礼をした。


「フッ、貴様もな。留守の間は頼んだぞ」


 クチナシに見送られながら、エルギアは扉に向かって歩き出す。


 だが、その足取りはどこかぎこちなかった。


 スカートの裾が揺れ、慣れない靴の踵が石畳に軽く擦れる。


「あの……エルギアさま?」


 クチナシが小さく声をかける。


「なんだ?」


「……やはり、その格好。恥ずかしいのでは?」


「う、うるさい!我は平気だ!」


「とてもお美しいですよ? きっと勇者にも気に入ってもらえるかと」


「……え? そ、そう? ……えへ、へへへ」


 エルギアは照れ笑いを浮かべ、そのまま扉を開けた。


 次の瞬間――。


「誰だキサマァぁああああああああッ! 侵入者だァああああ!」


 扉の向こうから、兵士たちの叫び声が響き渡る。


「へ?」


 エルギアのお忍び旅は、即座に兵士たちに斬りかかられ、始まるのだった。

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