――魔王エルギア。
厄災のエルギア、東の魔王、暗黒の支配者。
その名を知らぬ者はこの世に存在せず、様々な伝承を残している。
曰く、世界を闇に包み、すべての生命を滅ぼそうとした存在。
曰く、大地を割り、海を枯らし、数多の文明を無に帰した破壊者。
曰く、神々を殺し、天上界を制した悪鬼羅刹。
その所業は凄惨を極めるものが多く、そのひとつひとつを挙げていくだけで歴史の長い書物が何千も積み上がるほど。
しかし、魔王エルギアが人類にとって絶望の象徴であったかと問われれば、それは違うだろう。
少なくとも私は、そんなエルギアを――。
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「はぁっ!?それはどういうことだ!説明しろクチナシ!」
魔王城、謁見の間。
エルギアの前に、一体の魔族が跪いていた。
口元が黒い布で覆われており、その表情は読み取れない。
不気味なほど白い肌が、薄暗い部屋の中で浮き上がって見える。
彼女の名は、クチナシ。
魔王エルギアの補佐役を務めている。
その実力は魔王軍の中でもトップクラスで、エルギアの右腕として周りからの信頼も厚かった。
「言葉の通りでございます。勇者は旅の道中、戦力外だと仲間から言い渡され、そのまま『はじまりの国』へと帰還。調査部隊の報告によれば、勇者を辞職し、現在は遊び呆けている、と……」
クチナシが淡々と事実のみを述べた。
エルギアの額に青筋が浮かぶ。
……戦闘は数ではなく、質こそが求められる。
確かに、あの勇者は戦いに不向きな性格をしていた。
だが、それでも魔王城に辿り着くための道のりを、己が信ずる者たちと乗り切ってきたのだ。
その実力は決して低くない。
むしろ天賦の才は、歴代の勇者の中でも五本の指に入るだろう。
そんな勇者が……戦力外だと?
「……ふざけるな」
エルギアは玉座から立ち上がり、怒りのままに右足を踏みならした。
凄まじい破壊音と共に背後にあった修繕したての壁が陥没する。
破片がいたるところに飛び散るが、クチナシは微動だにせずエルギアを見つめていた。
「エルギアさま?」
「我は認めぬ……認めぬぞッ!この一年、ずっと期待させておいて!!ラストバトルはどんなセリフが盛り上がるかずっと夜通し考えてたのに!臨場感だすために苦手な振り付けだって頑張って覚えたのだぞ!?それを全部台無しにする気かッ!!勇者貴様ァあ!!」
「それは、どちらかというとエルギア様が勝手に――」
「ア゛?」
「いえ、特に」
「あー、クソ、頭きた!例のアレ、やっぱりやるぞ!ここに持って来い!」
「アレ……でございますか。しかし、やるにも色々とリスクが……。万が一、エルギアさまの身に何かあれば――」
「問題ない。それはずっと傍にいたお前が一番分かっているだろ」
「……」
クチナシは、しばらく考え込んだ後……静かに口を開いた。
「そうですね、わかりました。それでは、
「……………………」
「いかがなさいましたか?」
「その……いつも、わがままばかりですまんな」
「フッ、今にはじまったことではありません。エルギアさまのご希望とあらば、
クチナシは一礼をして、謁見の間をあとにする。
「ふぅ……」
――勇者よ。貴様が本当に、我の宿敵であるならば。
「……待っていろ。すぐにその性根を叩き直してやる」
エルギアは、静かにそう呟いた。