『あら? 昨日のロボットさん。また来てくれたのね』
『こんにちは』
奥様よりお使いを頼まれ、自然と脚が運んだ珈琲店。
その頃にはもう、何故だ、とか。
どうして、だとか。
そういった自問するプログラムは消えていました。
ええ、私が意図的に削除したのです。
電子伝達の邪魔ですから。
私の思考回路を埋め尽くしているのは、メーカーさんに会いたい。それだけでした。
『待っててね。今、豆を抽出するから』
『お構いなく』
これで三日目。
珈琲豆と、カップに注がれた珈琲を持って帰る。我ながらとても非合理的な行動だとは思います。何せワタシに珈琲を飲むことは出来ないのですから。
『お待たせしました。素敵な一日をお過ごしください!』
メーカーさんの音声プログラムが発する音を拾い上げる度、ワタシの情報電子処理機能に、微かなショートが生じるのです。
不思議な感覚でした。自己検索機能を駆使しても、何一つとて不調は見つかりません。
ワタシは……。
『あの、メーカーさん』
『どうかなさった?』
『少し、お話しませんか?』
ワタシは、いったい何がしたいのでしょう。
『ふふっ、不思議なロボットさんね。何をお話する?』
また、思考回路に電撃が走りました。
ワタシは、壊れてしまったのでしょうか。
それでもこの妙な感覚を、不快だとは思いません。むしろ、ワタシは珈琲メーカーさんの事を、もっと知りたいと思うのです。
『メーカーさんは、どうして珈琲を作るのですか?』
『おかしなことを聞くのね、私は珈琲メーカーよ? お客様に最高の一杯を届け、美味しいって言ってもらう。それが一番の楽しみなの』
珈琲メーカーさんが持つプログラムの一環なのでしょう。
接客型IAは日々の会話で学習し、様々な会話が繰り広げられるよう、専用のプログラムが施されているはずです。もちろんワタシの回路にも同様のプログラムが施されています。
『きっと、メーカーさんが淹れる珈琲はとても美味しいと存じます。しかしワタシは機械なので、メーカーさんがお出しする珈琲を飲めません。残念です』
でも、何かが違う。
分からない。
けれど、もっと、知りたい。
メーカーさんは電子表示板をにっこりとした笑顔に変えました。
『ロボットさんは、私の入れた珈琲が飲みたいと思う?』
『はい。少し、人がうらやましいと思います。ワタシが人なら、毎日メーカーさんの入れる珈琲を楽しみにできるのに』
この時、少しだけ回路の伝達信号が遅く感じました。もし、ワタシに心という物があるのなら、これは……残念な感情というのでしょう。
ワタシは初めて、本気で人が羨ましい。
そんな答えを思考回路が算出していたのです。
『私もたまに思うよ。だって人には手足があるじゃない? 私には無いもの』
『外に、興味があるのですか?』
メーカーさんの電子表示板が困った顔を表示しました。
果たして、こういうプログラムなのでしょうか。
しかし、電子音となって伝わる声質の抑揚は、とても……こういう時、なんと表せばいいのか、ワタシにはわかりません。
するとメーカーさんは窓の外へ視線を移しながら、言いました。
『ええ、とっても。私が稼働してから832日間、ずっと此処に置かれたまま。だから、少しロボットさんが羨ましいわ。手と脚があって、好きな所に行けるんだもの』
『メーカーさん……』
『あら、いけない。私ったら……。面白くないお話しちゃって』
きっと、人の感情を借りて話すのならば「可哀そう」と表現するのでしょう。だからワタシは、メーカーさんにとってベストな答えを算出いたしました。
『メーカーさん。外へ、出てみませんか?』
『え……? でも、無理よ……。そんなことしたら』
『今晩、お迎えに行きます』
少し、迷った様子でメーカーさんは電子表示版に表示された目を垂れさせた後、再びワタシと目が合うなり、表示板のつぶらな瞳をにこやかにさせるのでした。
『起動予約システムを0時に構築しておいてください。約束です』
『……うん、待ってるね』
◇
日付を跨いだ深夜。
旦那様と奥様と坊ちゃまが寝静まった頃。
ワタシはひそかに構築していた起動予約システムを作動させ、稼働を開始しました。
『――――プログラム始動』
別の音声が身体より流れでた後、徐々に視界が開けていきます。
本来表示されるスケジュールプログラムはオフにして、ワタシは動き出しました。
家具家電プログラムは人が発する生体反応に応じて起動しますが、当然機械であるワタシに反応する訳がなく、夜というものは実に静かなものでした。今この家で稼働している家電型IAはワタシしかいません。
そっと、玄関の扉を開け、ワタシは珈琲店を目指すべく自宅を後にしました。
◇
営業中の活気とは大違いに、静まり返った店内へとゆっくり足を忍ばせます。警備システムも、他のIAも、機械であるワタシには意味をなしません。機械が侵入する事を想定してないのです。
後は、昼間の約束をメーカーさんが信じていてくれれば。
『メーカーさん。迎えに来ました』
ワタシが声を掛けた瞬間、メーカーさんの電子表示版が起動し、真っ暗な店内を薄緑色に照らし始めました。どうやら約束を信じていてくれたようです。
『本当に、来てくれたのね』
にっこりと、人の様にメーカーさんは笑顔を表示させていました。ワタシはメーカーさんを抱き上げ、店外へと歩き出します。
『行きましょう。メーカーさん』
『私、重くない……?』
『私には、緊急介護用プログラムが施されています。耐荷重200キロまでは許容ですよ』
『うふふっ。変なロボットさん』
◇
夜の街は、何だか寂し気。
という表現が正しいかもしれません。
道行く人々は減り、稼働するIA達もあまり見かけず、文字通り町全体が眠っているかのようでした。あらゆる地形図は回路に入っているのですが、いざ連れ出すとなると、何処へ向かえばいいのやら……きっと、人はそれを「気の向くまま」というのでしょう。
『どこか、行きたい所はありますか?』
『ううん。こうして、初めての物を沢山見るだけでも十分』
『そうですか』
それにしても「気の向くまま」、なんて難しい言葉なのでしょう。目的を持たずして行動する人間はすごいと思いました。我々ロボットには、到底できない思考です。
いや、今こうして、メーカーさんを連れて外を歩くという行為は、人が言う気の向くままという奴ではないのでしょうか。
非生産的で非合理的で、なんの意味もなく夜の街を徘徊する。それは到底意味を見出せない行動です。
ワタシ、ワタシは……一体何をやっているのでしょうか。
けれど今は、ただ一緒に居たい。
そう思いながら、夜の街を歩き続けました。
『ねぇ、ロボットさん』
『どうかなさいましたか?』
『今、私達人間みたいかな?』
『そう、ですね。きっとそうかもしれません』
◇
『ありがとうロボットさん。そろそろ帰らなきゃ』
『そう……。もうそんな時間なのですね』
メーカーさんを抱えて歩き始め、随分と時間が経っていたようです。どうやら他のプラグラムを遮断していたようで、時刻を確認すると午前4時を回っていました。
薄紫だった空の色に、微かな白のコントラストが入り始めています。明るい色に併せて、道行く自動車や、人々の姿が、チラホラと見え始めていました。
『営業時間は午前6時からでしたね』
『覚えててくれたのね。だから、そろそろ帰らなきゃ』
『分かりました』
足取りが重い、とでも表現するべきでしょうか。一歩一歩と、当たり前のようにプログラムされた運動機能が、足を踏み出す事に抵抗することを命じているようでした。
明らかに規定の歩行速度より遅い。出力不足を疑いましたが、身体的機能損傷は何一つ見つからず、至って正常との自主構成プログラムが結果を出しました。
とは言え、ほんの数分歩いただけで珈琲店へと辿り着いてしまいます。
『ありがとう。ロボットさん』
『こちらこそ。とても良い一時でした』
メーカーさんを定位置へと置き、ワタシも帰宅しようとした時でした。
『あの、ロボットさん。そこのカップを取ってくれる?』
『はい? 承知しました』
何気なくカップを取って、メーカーさんの抽出部分へ置くと、メーカーさんの体内より豆を削る音が響いていきます。
『少し、待っててね』
『お構いなく?』
いつも通り、メーカーさんは抽出を始め、もうすっかり見慣れた珈琲が、見慣れないカップへと注がれていきます。何だかいつもより注ぐのに時間を要しているような……。
『お待たせ。今日はありがとう』
『…………?』
徐にカップを受け取ると、見慣れない白い気泡に包まれていて……ワタシはそれを覗き込むように見入ってしまいました。解析によるとこれは、泡立てたミルクで珈琲の表面に模様を形成する「ラテ・アート」というやつでしょう。
それは、ハートの模様を成していました。
『またね、ロボットさん』
『メーカーさん。ありがとう。大切にします』
ワタシに珈琲を飲むことは叶いません。それでも、このハート模様の意味を、ワタシは知っています。
――恋、愛。
ああ、何て素晴らしい響きの言葉なのでしょう。