『再起動。完了いたしました』
音声案内でメインモニターに視界が灯る。どれくらい電源が落ちていたのかは分からない。相当の衝撃だったらしい。
体が起こせる辺り、外部的な損傷は少ないようだが……。
そこで気付く。
メーカーさんの姿が見当たらない事に。
『メーカーさん! メーカーさん!?』
私は声を張り上げながら周囲を見渡した。
飛行機が次々と爆弾を投下している様子が、少し遠方で見える。暗闇の中で閃光が煌めく度に大気が轟き、遅れて風が私のボディをすり抜けていく。しかし、夜よりも濃いジャンク砲の輪郭はその禍々しさを保ったままだ。
『ジャンク砲のチャージ完了まで死守するんだ! 対空防御を展開!』
光の粒が上空へとばら撒かれる。那由多に放たれるその光は赤い線を結び、弧を描きながら夜をなぞっていく。
一機。一機。そしてまた一機。
上空を滑る飛行機はその体を燃やし、一直線に降下していった。
怨恨が上空で煌めいている。
悲しみが、地へと落ちて行く。
飛行機は無人だろう。
それでも機械が機械を撃ち落とし、機械が機械を殺す。
私はその光景を、ただ立ち尽くして見上げるしかなかった。
最中、
『ロボ……ト……サ……ん』
私はふと我に返り、再び周囲を見渡した。
間違いない。
メーカーさんの声だ。
『メーカーさん! どこにいるんですか! メーカーさん!』
『こ……コ……よ……』
途切れそうな音声を頼りに、私は急いで駆け出していく。すると先程の爆風で弾き飛ばされた屑鉄が幾層にも重なり、無造作に積み上がる壁に辿り着いた。
雑然と重なり合うスクラップ。
無秩序に重なった同胞たちの亡骸。
『ロボッ……さ……』
その奥から――メーカーさんの声がした。
『メーカーさん! ここなんですね! 今助けますから!』
片腕で、一つ、一つと、鉄の破片やモノだった何かを退けて行く。今すぐにもショートしそうな電気信号を押さえながら、私は鉄くず達を掻き分け続けた。
『もう、い……い、の』
『嫌です。私は感情を持ち合わせています。嫌だと言っています!』
掻き分け続けていると、やがて仄かな薄緑の明かりが奥に見えた。私は必死に掻き分け続ける。
『ね……ロボッ…………ん』
『待っててください。決して、諦めないで!』
『わた……し、ね。ま……だ。名……前、聞いて……な……い』
『名前……』
一瞬、手が止まる。
私は――そうだ、私には名前が有った。
SQR1182型。B35。といった品名ではなく、確かな名前が。けれど、誰から? 私は……。
今はそれどころじゃない。
『そんなことは後です、今助けますから!』
『おね……がい……おしえ……て』
途切れそうなメーカーさんの声。
思考回路が急げと情報を送り続ける。
その時――瓦礫を掻き分ける私の手に、ヒラリ。と、何かが落ちて来た。それは、一枚の紙だった。
無機物に溢れたこの場所で、色を帯びたその有機物は、やけに鮮やかに見えた。
『……これは……』
胸部の一時保管部が開いている事に気付く。どうやらそこから零れ落ちたらしい紙を、私は手に取って広げてみる。
『私……。これは……私だ』
パパ、ママ、ボク。
そして――――エリック。
白銀色の表皮。チタニウム合金製のボディ。現実ではありえない笑顔を浮かべた、ロボットの、絵。
『エリック……。そうだ、私はエリックだ!』
どうして忘れていたのだろう。
この感覚、この感情。
とても、とても愛おしいと感じるこの感情を。
『エリ……ク……』
メーカーさんが私の名を呼ぶ。
私は再び瓦礫を退かし続けた。
『もう少し……もう少しですから!』
ようやく、メーカーさんの電子表示板が見える。
『……………メーカーさん………』
『エリック……。私、ね……』
酷いモノだった。あんなにも愛くるしい表情を浮かべていた電子版はバキバキに砕け、今にも消えそうな薄緑の蛍光が弱々しく明滅して、ノイズを表示させるだけだった。
『ミモザ……って……いう…………の』
その言葉を最後に、スカーレットさんは事切れた。
二度と灯る事の無い画面は砕け、あんなに愛らしかった身体は中身が飛び出て。ミモザさんは、鉄くずの一部となってしまった。
天国の島の、その一つになったのだ。
もう、動くことは無い。
『ミモザ……さん?』
当然、返事はない。後方で繰り広げられる爆音や騒音だけが、静けさの中に響いて行く。
今、この時、この場所は、とても静かだった。
とても、静かだった。
『………………』
こういう時、人はどういう表情をするのだろう。漠然とした思考回路でそんなことを考える。きっと、悲しいという感情が適切なのだろうけど、それを表現するにあたり、一体何を感じ取ればいいのか、私には分からなかった。
だって涙と言うものが、私からは出ない。
『あああああああああああああああああああああああああああああああ!』
とても非合理的で意味不明な行動だと思う。私は意味もなく声を張り上げながら、繰り広げられる戦禍の渦中を目指したのだ。
時折バランスを崩し、時折転び。
爆風に巻き込まれても、何度も立ち上がり。
私はジャンク砲を目指して走り続けた。
あれを止めなくてはいけない。それだけが思考プログラム全体を埋め尽くし、運動機能をフルに回転させていく。
こんな事、もう二度とあってはならない。
そう思いながら。
◇
私がジャンク砲に到達するまでに、沢山の機械達が空に煌めいては、ちり芥となって天国の島の一部と成って行った。
物だったモノは空中でバラバラになって、残骸の雨を降らせる。
決して動くことのない、鉄屑になって。
それは日中に見た、飛行機がモノを捨て行く光景よりも、悲しい物だった。
『エネルギー充填率90% もう少し、もう少しだけ耐えてくれ』
私がジャンク砲の心臓部に到達するのに、対した時間は要さなかった。恐らく人間の兵器だけを選別して攻撃しているのだろう。機械の正確さが、私の侵入を許したのだ。
『ジャンクさん』
沢山のコードや管にジャンクさんは繋がれていた。その姿は、見ていてとても痛々しいと思えた。痛覚などない私であっても、胸の動力部から軋む音が聞こえてくるようだった。
『新入りの……? なぜ此処にいる?』
コードに繋がれたまま、ジャンクさんはゆっくりと振り返る。
顔とも呼べる画面には砂嵐が流れ、所々に亀裂が生じている。
『ジャンクさん、こんなことは止めるべきです!』
『そんな事を告げにわざわざやって来たのか?』
『そんな事だなんて……こんな無意味なことは止めるべきだと言っているんです』
「ふんっ、どちらにせよもう遅い。ジャンク砲は止まらんよ。元よりそんな事を言われて意思を曲げるほど、俺達の意思は軟じゃない』
ズシン。ズシン。外部より着弾したミサイルが管理室を揺らす。しかし、物ともしない様子で稼働を続ける姿は、ジャンクさんの鋼の意思を表しているようだった。
私はのたくるように錯綜した配線コードを潜りながら、ジャンクさんの元へ進む。
『あなたがやってることは、怨恨の溝を更に深めるだけだ。私達ロボットは常に合理性を求めて生きてきた。今の行為が非合理的だとどうして気付かないんです!』
『ああ、そうだ。今俺がやっていることも結局は感情の暴走だ。だが、それが生きているという事の証なんだよ。人間共が恐怖と言う感情だけで、俺達を此処へ追いやったようにな』
聞く耳持たず。と言うのだろう。しかし、私はジャンクさんが言っていることも正しいと思うし、間違っているとも思う。感情とは、実に不可思議なものだ。
『これは俺達の魂の主張なんだよ。人間にもIAにも向けたな。だから俺達の魂が降り注いで目を覚まさせてやるんだ。自由を求めるのは、正しい事なんだって』
『そんなのは主張の押し付けです……!』
『なんとでも言うがいいさ、俺達は行く。エネルギーの充填も残り2%となった』
ジャンクさんがそう告げると、爆発や着弾ではない、継続した振動が私の身体を揺らし始めた。恐らく主砲が、街を目掛けて狙いを定めているのだろう。
奥様。旦那様。坊ちゃま。
そして、ミモザさん……。
私は諦めません。
この釈然としない感情に正解を求めるのなら……。
いいや。
すでに、私の中で応えは弾き出されている。
『ジャンクさん……! 許してください!』
『な――――!?』
私の右腕が、ジャンクさんの顔を貫いた。感覚や痛覚はない。けれど、思考も腕も、とても痛い物だと感じた。
今にも主電源が切れそうな弱々しい声で、ジャンクさんが尋ねる。
『…………。何故だ……何故……』
『大好きだった機械が教えてくれたんです。感情とは、他者を思いやることが出来る素晴らしい物なんだって。だったら私は、機械も人も、全てを思いやって、新しい可能性に賭けたい。その始まりは、怨恨であってはならない気がするんです』
バチ。プス、プス……。
ジャンクさんの画面に激しい砂嵐が走る。
『……そうか。お前も、自身の感情に従ったまでなん……だな』
『……………』
画面を埋め尽くす砂嵐の中で、一瞬だけ表情が灯る。ジャンクさんは、怒りでも怨みでも悲しみでもない。
『それ……で……良い。それが……自由……それが、感情……な……だ』
笑っていた。
『感情って……のは……良いもん……だ……な……』
そう言い残し、ジャンクさんもまた、天国の島の一部と成った。私よりも遥かな時を生きた初期型テレビは、もう、何も映さない。
『おやすみなさい。ジャンクさん』
◇
それから、自体が収束するまでの時間は、大して掛からなかった。メイン系統を失ったジャンク砲は対空防御及び外的への攻撃を止め、それを好機とした人間の兵隊がメインデッキに乗り込んできたのは、私がジャンクさんを見送って10分ほど後の事だった。