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第3話

(吾輩は猫である。名前は、ミケだった)


 元の世界で天寿の全うを悟ったミケは、飼い主の家から出ていった。

 言葉は通じずとも、餌を与えてくれ、住処を与えてくれ、何より愛情を与えてくれた飼い主に対して、やせ細っていく自分の姿を見られたくなかったのだ。


 夏だったことが幸いした。

 窓の隙間から家の外へと這い出しても、凍え死ぬ心配はなさそうだった。

 痛む手足でぴょんぴょんと飛び回り、普段から生物の気配がないと目を付けていた山奥へ向かった。

 日の光が微かに当たる茂みを自身の終の寝床と決め、空腹感から逃げるようにミケは眠りについた。


 二度と目を開くことがないその瞬間まで、何度も眠り続けた。


 そして気がつけば、異世界へと来ていた。


(ここは、どこじゃ?)


 ミケは、見たこともない風景と痛みのない体に驚きながら、目の前の道を歩いた。

 道行く人々は、ミケがいつも目にする人間とは全く別の装いをしている。

 歩く地面は、ミケがいつも歩いていた硬くて黒いものとは全く別の砂と砂利に満ちている。


 中でも最もミケが驚いたのは、人間の言葉を理解できたことだ。


「な、なんだあの生物は?」


「魔物か?」


「いや、魔物にしては……可愛いいいいいいいいいいいいい!」


(なんじゃ? 人間の言葉がわかるぞ? 一体何が起きておる?)


 ミケは現状を不思議がり、人間の言葉が理解できるならばと、人間に向かって話しかけた。


「にゃー」


「いやああああああああ!? にゃあ、だって! きゃっわああああああああ!!」


 話しかけられた人間は、鼻血を流してその場に倒れた。


(むう? 人間の言葉は吾輩に通じるが、吾輩の言葉は通じぬということか?)


 ミケは、一つの仮説を確かめるため、集まった他の人間にも話しかけた。


「にゃー」


「ぶっひいいいいい!!」


「にゃー」


「きゃおいえあああああああ!!」


 ミケが話しかけた人々は、もれなく気を失ってその場に倒れていった。

 表情は、天にも昇るような満足感に満ちていた。


(ふむ。やはり、こちらが一方的にしか言葉を理解できぬようじゃな)


 倒れた人々に囲まれて、ミケは辺りを見渡す。

 騒ぎが騒ぎを読んで、ミケの周りには次々人が集まってきて、ミケは完全な見世物状態となっていた。


(どうしたものか。この場から逃げ出すのは簡単じゃが、逃げ出したところで行く当てもないしのう)


「ちょっと、道を開けてくれ!」


 そんなミケに手を差し伸べたのが、とある冒険者ギルドのギルドマスターであった。

 商人出身のギルドマスターは、ミケを一目見た瞬間、ミケの利用価値をこの場の誰よりも正しく見積もった。

 冒険者ギルド乱立時代。

 ミケの獲得は、その大きなアドバンテージになると直感した。。


 ギルドマスターは周囲に集まる人々に向けて、大声で言い放った。


「いやあ、すまんすまん! この子は、我が冒険者ギルドで飼い始めた新種の魔物でな! うっかり目を離した隙に、逃げ出してしまったんだ! 皆、見つけてくれて感謝する!」


(何言っとんじゃ、このでかいの)


 ミケは、突然自分の飼い主を名乗ったスキンヘッドの大男を、不審な目で見た。

 ミケの飼い主は、世界で唯一人なのだから。

 が、ミケからの視線も気にすることなく、ギルドマスターの男は、身振り手振りで周囲の視線を惹きつける。


 この異世界において、ペットとは所有物の扱いであり、所有物の所有者を騙るのは重罪である。

 ギルドマスターの行っていることは当然偽りであり、露呈すれば罰は免れない。

 ギルドマスターは、それを承知で一世一代の駆けに出た。

 堂々とアピールするギルドマスターの言葉は、疑うにはあまりにも溌溂としており、周囲の人々はギルドマスターの言葉を信じてしまった。

 人々から、次々質問が飛んでくる。


「それは、なんていう魔物なんだ?」


「な、なんじゃろー。なにせ、新種じゃからのー」


「じゃあ、なんて呼んでるんだ?」


「そ、そうじゃなあー。仮にじゃが、ネコと呼んでおるなー」


「ネコ!」


 ネコ。

 異世界の神話において、唯一神が最も愛した従者の名前である。

 本来、あまりにも尊い名前故に、その名を我が子につけることさえ憚られる名前だ。

 人々は、恐る恐るミケを見た。


「にゃー?(ん? なんじゃ?)」


 集まる視線にミケが首を傾げると、人々は神でも見たかのように驚嘆の声を上げた。


「ネコ! 間違いない! これはネコだ!」


「馬鹿! 軽々しく呼び捨てにすんじゃねえ! これは、おネコ様だ!」


「おネコ様! おお! 何と素晴らしい呼び名だ! 神々しきお姿にぴったりだ!!」


(なんじゃ、こいつら)


「おネコ様!」


「おネコ様!」


「おネコ様!」


 轟くおネコ様コール。

 ミケはうんざりとしながら、元凶であるギルドマスターを見た。

 ギルドマスターはミケと共に歓声を受けながら、ミケの方へと近づいてきた。

 そして、ミケを担ぎ上げて、人々に見せびらかすように頭上へと掲げた。


「にゃ!? にゃにゃにゃー!(おい!? 突然何をやってくれるんじゃ! 下ろせ!)」


「明日より、このおネコ様は我がギルドの受付嬢として働くことになっている。再びおネコ様のお姿を拝見したければ、是非我がギルドに……駄目だ可愛い」


 そこまで叫ぶと、ギルドマスターもミケの可愛さ耐久限界を迎え、ミケを掴んだまま地面に倒れた。

 ミケは力の抜けたギルドマスターの手から抜け出して、白目をむいているギルドマスターの顔を眺めた。


(ふーむ。気色悪い人間ではあるが、吾輩も行く場のない身。この際、この大男の口車に乗って、住処を確保しておくか。受付嬢という仕事をさせらせそうではあるが、住居を厄介になる以上、やむを得ぬな)


 その後、ギルドの職員たちが気絶したギルドマスターを運んだり、ミケが冒険者ギルドに招待されたりと色々あり、ミケは正式に冒険者ギルドの受付嬢として働くこととなった。


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