「なあ戸村。お前、ハチマン様って神様のことを知ってるか?」
「急に何の話だ?知ってるも何も、それこそ八幡神社なんて名の付く神社は全国にあるじゃないか。鶴岡八幡宮とか石清水八幡宮とか有名だし、俺の地元にもいくつかあったと思うぞ。子供の頃に初詣に何度か連れていかれた記憶がある。そこに祀られている神様のことだろう?」
再び俺は鏑木の話の意図が掴めなくなった。
さっきの流れからどうしてこんな話になるのか?
「じゃあ、その神社に祀られている八幡様ってどんな神様か知っているか?」
「え……どんな神様ってそりゃ……」
何だ?
どんな神様?
今でも初詣とかで近くの神社に行くことはあるが、別にどんなご利益の何て神様とか気にしたことはない。
結局は神社の名前でしか覚えてないし、お参りも無病息災を祈るくらいしかやったことがない。
集まってきている他の人たちも似たようなもんだろう。
「そもそも八幡様なんていう神様は存在していなかったんだよ」
「いやいや、存在していなかったって……。実際に神社に祀られているじゃないか」
「そもそも、と言っただろう?日本書紀や古事記に出てくる
「そういう意味か。じゃあ八幡様にも元になっているモデルがいるんだな?」
「元々は大分県の地方神だったんだが、第15代天皇である応神天皇の化身であるとの神託を受けた事により八幡神という神格を得た」
「神託?そんなの誰が言ったんだ?」
「そこまでは知らんよ。まあそういうことで、それまで名も無き土地神だったものが、誰もが知る神様へと昇華することになった」
先の見えてこない会話に徐々にイライラが募る。
「八幡様のことは分かった。で、それがさっきの話とどう繋がるんだ」
俺は若干語気を強めながらそう言った。
「じゃあ神託を受けられなかった他の土地神はどうなる?」
「は?他の土地神?」
「それぞれの地方にはその地その地で祀られていた土地神がいたはずだろう?」
迷信深い昔の人たちなら様々な厄災を祓う為に何かを神として祀り、それを信仰することで己の生活を守ろうとしたはずだ。
橋を造る時に人柱を立てる。
川の氾濫を治める為に生贄を捧げる。
とんでもない悪習ではあるが、少なくともこういった例は土地神の怒りを鎮める為に行われていたと考えられる。
「その土地神たちは新たに生まれた八幡様という神様にその地を奪われ、やがてその存在すらも忘れられていった」
では、土地神という神格を失ったナニカはどうなる?
信仰を失った
そもそも何を祀っていた?
神ではなく、生贄を欲すると思われているようなナニカ……。
「神託を受けられず、八幡様になれなかった土地神はそのほとんどが歴史の闇に葬られていった。しかし、それでも変わらず祀られ続けて信仰を受け続けた土地神もいる。その一柱が音でのみ伝承されているハチマン様と呼ばれる土地神だ」
「どういうことだ?何故同じハチマンの名で呼ばれている?どうして音でしか伝えられてないんだ?」
「詳しい理由は分からん。しかし俺が思うに、他の地の土地神が八幡様に選ばれたことを知った地元民が自らの祀っている神も、という思いで密かにそう呼んだんじゃないかと推測する。だからこそ同じ漢字になる八幡という文字を使うことをせず、あくまでもその地方でのみ通用する口伝になったんじゃないかと」
「……まあ、相当昔の話だから真偽を確認するのは難しそうだな」
ここまで聞いて鏑木が何を言わんとしているのか分かった気がした。
「お前が受けた仕事の依頼というのは、そのハチマン様についてなんだな?」
「そうだ。俺が編集部から受けたのは、その未だに残るハチマン信仰についての記事をまとめることだった」
「そしてその受け取った資料の中にハチマン信仰をしている村の名が載っていた……」
「おそらく娘さんはそれを見て興味を惹かれたんだろう。女の子とはいえ、父親がオカルト雑誌の編集をやってるんだ。幼い頃からそういうのが身近にある環境で育ったんだろうな」
「そして友人たちを誘って出かけた。誰にも行く先を告げなかったのは、勝手に父親の持っていた資料をのぞき見したことへの罰の悪さからか……」
この推測が正しいのだとしたら、彼女たちの行く先はすでに判明している。
「このことを警察には――」
「言ってない」
「どうして!?もしかしたらまだ彼女たちは――」
「戸村」
鏑木は俺が動揺するのを待っていたかのように切り出した。
「
冷たく放たれたその言葉に、かつて優しい部分もあると感じていた鏑木の面影はなかった。
「そのうち警察も彼女たちの行き先を突き止めるだろう。それなら、その前に俺たちでスクープを上げたいとは思わないか?」
それはオカルトライター鏑木健介ではなく、ルポライターだった頃の鏑木健介としての言葉。
被害者やその家族の心情を
強引な取材によるクレームを受け、いつしか業界から干されてしまった鏑木。
周囲の評判は悪かったが、俺はこいつが真実を明らかにすることで被害者の人権を守ろうとしていたのだと信じていたのだ。
いや、友人だったからそう信じたかっただけなのかもしれない。
「俺はこれから現地に向かうところだ。村の場所はメールで送っておくからお前も後から来てくれ」
このことを警察に連絡するか?
そうしてすぐにでも捜索の手が入れば鏑木も好きに動けなくなるはずだ。
「念のために言っておくが、警察にチクるなんて真似はするなよ?どうせ事件の結末は変わらないんだ。それなら少しでも大きな記事を書ける方が良いだろう?あの村で何が起こったのか?それはハチマン信仰と関係があるのか?情報を独占出来るのは他の記者たちが集まるまでの僅かな時間しかないんだぞ?」
何だこの違和感は?
鏑木の言い分だと、まるで自分が三人を見つけ出すことが出来るといった口ぶりだ。
そして警察が来るまでに事件の真相を明らかにする。こいつは暗にそう言っているのだ。
どこにその保証がある?
鏑木の受け取った資料の中に何か手がかりになるようなことが書かれていたのか?
彼女たちが囚われている――もしくは
「……分かった。俺もちょうど大きな仕事が終わったところだ。明日にでもこっちを出発する」
結局俺の中の好奇心の方が
すでに手遅れなのであれば、鏑木のその自信の理由が何なのか知りたい。
そして少しでも大きいスクープが欲しい。
これはジャーナリズムよりも功名心の方が大きいだろう。
結局は俺も鏑木と同じ側の人間だということなのだ。
「そう言ってくれると信じてたぞ」
その信頼が何に基づいているものなのか、おそらく俺と鏑木の見解には大きな隔たりがあるような気がした。
電話が切れるとすぐにメールの着信音が鳴った。
そこにはとある村の住所と名前が記されており、最後に一言――
『そこにいる』
そう書かれてあった。