(対策)
また夜が来る。
――真司は、夕暮れの部屋でそわそわと歩き回っていた。
「落ち着け、阿川真司。あれは全部、疲れて見た幻覚。もしくは夢。いや、しかし……」
何度自分に言い聞かせても、身体が震えるのは止まらなかった。
大学の民俗学ゼミで「怪異の心理的連鎖」について論じたばかりのはずなのに、今や完全な当事者である。
「そうだ、まずはテレビ。昨日はあれから……」
真司はリビングの壁際、薄型テレビのコンセントをゆっくり引き抜いた。
プラグは、外れた状態でぶらりと揺れている。
「これで……もう何も映らないはず。万が一にも“あの女”は出てこられないはずだ……」
念のため、テレビ本体の主電源もオフにして、リモコンの電池も抜いておく。
念には念を。都市伝説の被害者になど、二度となってたまるか。
続いてスマホ。
何度も「非通知」の着信があった端末を、じっと見つめる。
ふと、あることを思い出し、スマホの設定画面を開いた。
「……そうだ、非通知着信、拒否にすれば……」
少しでも“あの声”を遮断できるかもしれない。
恐怖心で指が震えつつも、着信設定から「非通知を拒否」にチェックを入れる。
ついでに、知らない番号も全部拒否設定してしまった。
「これで……万全。もう知らない番号から電話が来ることもないはずだ……」
ため息とともに、スマホを机の上に置き、念のため電源も切っておく。
ここまでやれば、あの“女”は何もできない――そう、自分に言い聞かせる。
ほっと一息つき、ベッドに腰を下ろす。
今日は久しぶりに静かな夜になりそうだ――そう思いたかった。
だが。
深夜二時――。
ふと目が覚めると、部屋が不気味なほど静まりかえっている。
時計を見れば、午前2時17分。
電源を落としたはずのテレビが、突然「パチッ」という電子音と共に点灯した。
真司は凍りついた。
「う、嘘だろ……。コンセント、抜いたよな……?」
壁際を見る。コンセントは確かに外れたままぶら下がっている。
なのに、テレビの画面は、闇の中でじわじわと光を放ち始める。
最初は、ノイズ交じりの砂嵐。そのうち、映像がうっすらと浮かび上がった。
画面の奥から、ゆっくりと人影がこちらに近づいてくる。
長い黒髪。真っ白な顔。血色のない唇。昨日、村で見たあの女と、全く同じだ。
「や、やめろ……!」
ベッドの上で毛布に包まりながら、真司は叫ぶ。
それでも女は、画面の中を這うように、どんどん前へと迫ってくる。
部屋中の空気が、急速に冷たくなっていく。
頭がくらくらするほどの緊張感が、真司の全身を支配していく。
「……で、出口……」
ドアへと駆け寄ろうとするも、足がすくんで動かない。
背筋に冷たい汗が流れ、膝ががくがく震えている。
「落ち着け、落ち着け……夢だ、夢なんだ……」
そう自分に言い聞かせるが、手足の震えは止まらない。
テレビの画面の中、女の顔が徐々に大写しになる。
やがて、画面のガラスを押し分けるように、白く細い指先が現れた。
人差し指、中指、薬指……と順に、液晶の内側からじわじわと突き出てくる。
「う、うそ……!」
画面のガラスは、まるで水面のように歪んでいる。
そして、その指に続いて、女の手首、肘、さらには頭部が、ゆっくりと“こちら側”へと侵入してくる。
ついに、女の上半身が、テレビの画面から這い出してきた。
その動きは不自然で、まるで重力も無視したようにゆっくり、ゆっくりと、だが確実にリビングへと進み出てくる。
「――ひ、ひいっ……!」
真司は完全に体を硬直させてしまっていた。
声も出せず、ただ“その瞬間”を凝視するしかできない。
リビングの空気が一気に、冷蔵庫の中にいるかのように冷え込んだ。
女の顔が、薄く笑みを浮かべながら、こちらに視線を向けてくる。
逃げなきゃ、逃げなきゃ、と思いながらも、全く身体は動かない。
部屋の出口、ベランダ、玄関――どこにも逃げ道が無いと、真司の脳裏で警報が鳴り響く。
女の唇が、ゆっくりと開く。
「……契りを結ぼうぞ……」
低く、湿った声。
夜の闇とテレビのノイズが溶け合い、女の声が部屋の隅々まで染み渡る。
真司は、ついに目を閉じて両手で耳を塞いだ。
「消えろ……お願いだから消えてくれ……!」
心の中で何度も何度も叫ぶ。
やがて、足元がすうっと冷えていく。
真司は、薄目を開けて、テレビの方にもう一度だけ視線を向けた。
そこには、いまだに半身だけ画面から出てきたまま、じっとこちらを見つめる女の姿があった。
夜の深さと女の存在感が絡み合い、息苦しいほどの絶望感が部屋を支配する。
――出口のない、終わらない恐怖。
自分の部屋が、知らぬ間に“怪異の檻”になっていたことに、真司はこの時初めて気づいたのだった。
(続く)
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もちろんです。あなたの原文の空気感とディテールを最大限活かしつつ、ラノベらしいテンポ・地の文・内面描写をたっぷり盛り込んで2000文字以上で書き直します。
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アパートの玄関ドアを閉めた瞬間、阿川真司は、ほっと息をついた。
けれど、どうにも胸の奥がざわつく。背中にまとわりつくような不安が、部屋に戻っても離れてくれなかった。
あの村の祠で体験した、ありえない現象と得体の知れない追跡劇。あれは本当に現実だったのか、それとも疲れから来る幻覚だったのか。
しかし、シャツの内側を流れる冷たい汗や、足元の重だるい感覚は、すべてが現実であると否応なく突きつけてくる。
「とりあえず……テレビのコンセントを抜いておこう」
真司は、思い立ったようにリビングの端にあるテレビへと歩いた。
コードをしっかり抜き、さらに二度三度、プラグが外れていることを確かめる。
(これで……大丈夫だよな)
なんとなく不安で、ついでにスマホも電源を落としてしまう。
(電波からも、画面からも、何も出てこられないだろう)
そんなふうに自分を納得させて、カーテンを閉め、部屋の明かりを最小限に落とす。
時刻はもう、深夜零時をまわっていた。
ソファに座っても、じっとしていられない。
膝を抱え、何度も部屋の隅や窓、ベランダの向こうを確認する。
もちろん何も見えないし、音もしない。
しかし、時計の針が午前二時を差した頃だった。
――ぱちん。
突然、部屋の中に微かな電気音が響いた。
視線を向けた先――コンセントを抜いてあるはずのテレビの画面が、音もなく淡く光り出している。
「……は?」
思わず立ち上がる。
間違いなく、テレビのコードはコンセントから外れている。なのに、画面はじりじりと明度を上げていく。
その薄闇に浮かび上がったのは――
女だった。
画面の中に、あの祠で遭遇した白いワンピースの女が、じっと、じっとこちらを見ている。
長い髪で半分隠れた顔。無表情のまま、しかし異様に暗い瞳だけが、真司をロックオンしている。
「……あれ?」
意外にも、女の口からは妙に間抜けな声がこぼれた。
画面の下半分、腰のあたりで何やら引っかかっているようで、上半身は出ているのに、お尻から下がどうにも抜けてこない。
「契りを結ぼうぞ……契りをむすぼうぞ……」
無表情で、しかし何度も同じセリフを唱え続ける女。
だが、どれだけ腕で壁を押しても、グイグイ体をくねらせても、テレビのフレームがガッチリとお尻をホールドしたまま動かない。
(い、今なら逃げられる……!)
心の中で叫ぶが、恐怖で足がすくんでまるで動けない。
声も出ない。ただ冷たい汗が首筋を伝う。
女はさらに、
「……ぐぬぬぬぬ!」
と呻きながら、猛烈に力を入れて押し出そうとする。
グラグラと画面が揺れたかと思った次の瞬間――
ドターンッ!
すさまじい音を立てて、女はテレビから床へと転げ落ちた。
部屋に埃が舞う。そのまま起き上がった女は、何事もなかったかのように、
「契りを結ぼぞ……」
と再び呟く。
……が、その先は、何も起こらない。
女は真司の方を見つめながらも、ただ無言で立ち尽くす。
真司もまた、恐怖のあまり身動き一つ取れない。
重苦しい沈黙。
まるでスローモーション映像の中に放り込まれたような、奇妙な時間が流れる。
窓の外が、少しずつ青みを帯びていく。
空気がかすかに明るさを取り戻しはじめたころ、女は何かに気付いたように、ぱっとテレビ画面の方を振り向いた。
そして、あわてた様子で、今度はテレビの中に戻ろうと飛び込む――が、
やはりお尻がひっかかって、今度は逆に押し込めない。
「うそ、だろ……」
真司は、現実味のないコントのような状況を、ただ呆然と眺めるしかなかった。
女のお尻がテレビから左右に盛大に突き出し、もぞもぞと動いている。
それが幽霊の一部だと考えなければ、思わず笑いそうな光景だったが、怖すぎて笑えなかった。
やがて――
「スポンッ!」
そんな音が部屋に響くと、女の姿はテレビの画面の奥に消えていった。
その直後、
ドダーンッ!
と画面の向こう側で落ちるような音がかすかに聞こえた。
東の窓から、朝日が部屋の床に差し込み始めていた。
真司は、信じられないような疲労とともに、その場にへたり込む。
「……助かったのか?」
恐怖から逃げ切れた安堵とは違う、妙な開放感だけが、心の中に広がっていた。