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第十一話 終焉をもたらすもの

 やがて光は消え去った。

 闇が戻る。

 天では人が見知った二つの月が、過去と変わらぬ青白の光を放っていた。

 だが、刻はうつろう。

 月は己が道筋を、陽光に譲る支度を始めている。

 遠い空はわずかに白み、山の峰は陽を浴びた産毛のような金糸の輪郭を描きだす。

 朝が、訪れようとしていた。

 しかしそれは、人にもたらされる夜明けなのか――


「やったか……やれた、のか!?」

 昂りか、慄きか。コマースの声は震えていた。

〈神の鉾〉はすでにうなだれたように沈黙し、輝きを失っている。

 パトリシアは膝をつき、男神の神器の根元に手をかけどうにか身を支えていた。

 ようやく復帰した観測器の映像を見たヨルゲンの言葉が、結果のすべてだった。


「逃げるぞ――」

〈神の鉾〉を支えコマースたちを乗せた発射台が、工廠の底へと身を沈め始めた。

 次第に鮮明になる観測器が届けた写し絵が、皆から一様に声を奪う。


 とめどなく湧き上がる白煙がけぶる中に、翡翠ひすい――いや、白熱と化した巨大な女の影が浮かび上がった。

 女神アリアンヌ、健在――

 巨体の神像は背を逸らして天を仰ぎ、身を震わせていた。

 神像が佇む周辺の土地には、かつてここが王都であったと示す名残など、ひとつとして存在しなかった。

 それが原初の光景に似たものと、この星に住む人々には気づくだけの知識はない。

 大地は、赤熱の泉と化していた。


「なぜだっ……なぜ、男神の力を身に浴びて、無事で、いられる……!?」

 薄暗い工廠の中に、コマースの力なき声がむなしく響いた。

 肩を落とし、王子は後退る。

 苛烈で知られた次代の帝王たる男は、無力な青年になり果てていた。


「とにかく、今は生き延びることだけを考えたまえ」

 王子の師であるヨルゲンの手が、肩にかかった。

「参りましょう……ケイアヌスへ。わたくしの故国はユールレヒトに並ぶ歴史があります。きっと、良い策も浮かびましょう」

 わななく足に力を込めて立ち上がり、パトリシアが夫の身体を支えて言った。


 ――そうだ……まだ、まだ初戦。

 たとえ一敗地にまみれたとて、最後に立つのはこの俺だ――

 国を失った王子は、今だ身を震わせるだけの女神を一瞥して、妻たる女の故郷へ落ち延びる決意を固めるのだった。


    §


 震える女神の神体の中で、アリアンヌもまた身を焦がす恍惚に支配され、震えた。

 突然、身を襲った光の暴力。

 身体が一瞬で、骨まで塵と化すような――恐ろしく、熱く、身も、心も、この世の果てに消し飛ばすような。


 初めて知る、心地よさ――


「今のは……何? 急に空からきれいな光が……からだを、包んで……」


[報告:播種はしゅ船〈アーク〉を介した男神器官によるエネルギー照射を受信]

 播種船……星々の海を渡って、命の種を運ぶ箱舟――

 アリアンヌの脳裏に、女神の記憶が己が物として蘇りつつあった。


[エネルギー転換を完了。新世界創世に必要なエネルギー量のニ倍を、チャージしました。速やかな消費を推奨します――]


 わななく身体は、まだ不自由なまま。

 眼だけを動かし、アリアンヌはコマースの姿をたしかめた。

 にがみばし、くやしげで、肩を落とし、力をなくした男の影。

 傍らではパトリシアが膝をつき、肩を震わせている。

 知らずアリアンヌは、笑みをこぼした。


[解析:先の現象は第六世代型人類の魔力干渉を用いた強制射出と推定。男神器官のエネルギー残量、検出無し。次弾装填の可能性を排除、器官の回収を推奨――]


「あらあら……あれでは、二度目は無理そう。殿下、いつもの威勢はどこへ?」

 なんて……だらしない――


 呟くアリアンヌの瞳に、蔑みのかげがよぎり……悲しみをたたえた。

 男神の力を以って、私を滅ぼそうとしたコマース様。

 何も知らない、かわいそうな人……女神と男神は一対の力。

 ただの破壊の力ではないことを、今の私なら教えて差し上げられたのに。

 私の手を取らなかったばっかりに……。


 でも、それほどにこの身を憎むのね――とそれだけは、痛いほど身に染みる。

 乙女が捧げた悲しみの祈りにより目覚めた女神の心が、アリアンヌに応えた。


[現生人類の廃棄を、進言します]

 抑揚のない女型創世機関の音声に、アリアンヌもまた淡々と応じる。

「そう……だね、そうしよう。もう、いらない。あの人たち、なんだかとても野蛮だもの。欲得にまみれた汚い人間……もっと優しい、争いなんて知らない、穏やかな世界にしなくてはね」


[現生人類廃棄の申請を承認。創世機関補助システムの起動を推奨します。各地で待機中の補助システムの休眠状態を解除しますか?]


「〈壊生樹かいせいじゅ〉……使うのね。うん……分かった。せめて、世界のみんなが何も分からないうちに、終わらせてあげよう。痛みのない、一瞬の終焉。女神の慈悲にふさわしい、世界の終わり――」


 壊生樹……なぜ私、知ってるの……?

 そんな疑問がふと心によぎって、消えた。

 すでに女神とアリアンヌの意識は同一となっていた。女型創世機関として蓄えられた、この星に降り立って以来すべての記憶も、同じく。


[〈壊生樹〉の起動を承認。起動要請を〈アーク〉に伝達後、〈壊生樹〉へ再起動命令を転送します]


「そうだ。南のケイアヌスは、いらないから。人も土地も、跡形もなく平らにして。ほかの国は……人間だけを消して。新しい子供たちに、住まいは残しておきたいの」


 ね。私って、優しいよね。

 ちゃんと、子供たちのこと、想ってる。

 きっと、良い奥さんになれたのに。

 きっと、いいお母さんにだって、なれたはず――


 だのに――と、アリアンヌはわななきを治めた女神の巨体を起こした。

 コマースの傍らに立ち、何事か囁いている女の姿を見据える。

 愛した婚約者をそのからだで奪ったパトリシアに目を凝らし、耳をすませた。

 囁き声が聞こえてくる。


 ――参りましょう……ケイアヌスへ。


 やだ……バカみたい。

 クスクスと、アリアンヌはほくそ笑む。

 何も知らない愚かな女にたねを与えたコマースに、憐れみさえ覚えて。


[セクターS002からS034までの完全消去を承認。現生人類の素材還元と回収プロセスを完了後、地形の初期化を開始――]


「さあ、がんばって逃げ延びて。世界の終わりをどこまで見ていられるか……どうかご武運を、殿下――そして……さようなら」


 慌ただしく王宮から立ち去ろうとするコマース一向に、アリアンヌは巨体の右腕を静かに持ちあげ、手を振った。

 そのまま右手を高く掲げ、天を見つめる。

〈后の月〉と人々から親しまれ、〝女神の声〟が播種船〈アーク〉と呼んだ、静止軌道上に浮かぶ、人口天体の一点を。


    §


 足早に魔道工廠を離れたコマースの一団は、王都の南門に続く王宮庭園の一画で足を止めた。数十騎の馬たちが、コマースたちを待ち構えていたのである。

 そばにはほかにも、夜会の会場で別れたクラーク宰相と、付き従う名もなき数百名の民草の姿があった。

 今やこの庭園にいる千にも満たない者たちだけが、世界を統べた魔道王国の生き残りであったのだ。


「殿下、馬の用意が整いました」

 そう云って現れたのは、コマース側近の女騎士リンゼであった。

 急ぎ逃げ延びるにしても、既に足がない。頼みにしていた機獣馬たちは女神の支配下に戻り、神命に従いいずことなく消え去っている。

 僅かばり残されていた生身の馬たちを、リンゼは手勢を用いてかき集めてきたらしい。「後の対応に備えよ」――そう命じられたリンゼの、確かな判断であった。


 コマースはうなだれたクラークに歩み寄り、手短に「あとは任せる」とだけ伝える。うろたえる宰相の返事を待たず、リンゼに向き直った。


「戦える者だけを連れて行く。リンゼ、お前も来い」

 身をひるがえす王子の背に続く女騎士の足音は、無かった。

「いえ、私は残ります」

「……っ!」

 膝をつき、リンゼは王の離宮を一瞥してから、コマースを見上げた。

 鉄の女の面に、親し気な娘の微笑みが差して、消えていく。


「私は王を、殿下は世界をお守りください」

 いつのまにかコマースの陰に立つ魔導士の男に向けて、リンゼは呼びかけた。

「ルード、お前に馬は必要なかろう。殿下をお守りしてくれ」

「承知した。お前も……」

 コマースの影の中に沈みながら、ルードはリンゼに別れの言葉をかけた。

「簡単には、死なぬさ」

 応える女の言葉は真意であるのか、それとも――強がりか。


「南で、待っている」

 リンゼの肩に手を触れて、ひと声かけ踵を返す王子の眼には。

 若者を戦人たらしめる覇気が、蘇っていた。


 ――ただ逃げるのではない、戦場を変えるのだ。

 そう背で語るようにしながらコマースは騎馬の一団を率い、王宮をあとにした。

 後に続くのは、パトリシアとその一党、ヨルゲンとわずかばかりの魔導士たち。

 南の地へと駆け出す主の背に、残るリンゼと配下の騎士たちは礼を執り見送った。



「新しき世には、殿下のお力こそが必要です」

 呟いて、微笑むリンゼの背で――大地が唸った。

 何かが、地の奥底から生えてくる気配がある。

 リンゼは振り向く。

 無数の亀裂が、王宮の壁面に立ち昇っていった。

 ふわりと、女騎士の身が軽くなる。

 ――落ちるっ!?

 足元の地面が、裂けた。

 友柄の騎士たちが地割れに飲み込まれていく。

 リンゼは何もできずに、目で追いかけた。

 王宮を貫き、砕きながら、鋼の大樹がそびえていくのが見えた。

 魔鋼で出来た、巨大な塔。

 その高さは女神と同じ百メートルほどまで伸びて、やがて、止まった。

 大樹は朝日を背に浴びて、美しい金色の輪郭を白闇に浮かべている。


 きれい――


 リンゼが最後に目にした、この世の光景であった。


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