セクション1: 冷酷な叔父との再会
アリシアは馬車の中で小さく息をついた。両親を失った彼女が、伯父エリオット伯爵に引き取られることになった。だが、この決定に安堵することはできない。
彼女は幼い頃に伯父と一度だけ会ったことがあった。そのときの彼の鋭い眼差しと冷たい態度は、幼い心に不快な印象を残した。さらに、父が遺した莫大な遺産が、彼の目当てだという話を聞いたとき、胸に広がったのは安堵ではなく、恐怖だった。
「慎重にならなくちゃ……」
アリシアはそう思い、そばかすを描き込むためのメイク道具を取り出した。さらに、目立たない外見を演出するため、分厚いガラスの眼鏡をかける。元々美貌で知られていた彼女だが、今はその美しさが彼女にとってのリスクとなる。
「これなら少しでも目立たなくなるはず……」
鏡に映る変装した自分の姿を見て、満足そうに頷いた。遺産を狙う伯父の目を欺き、彼に操られないようにするためには、このような地味な外見が必要だ。
セクション2: 偽りの笑顔と初めての試練
翌朝、アリシアはエリオット伯爵邸の朝食に参加することになった。前日、そばかすのメイクと分厚い眼鏡によって、彼女の美貌が隠されていることを確認したエリオットは、不機嫌さを隠しきれない様子だった。
「アリシア、今日からここでの生活に慣れてもらわねばならん。」
エリオットは硬い表情でそう言いながら、彼女に日課を説明し始めた。そこには明らかに彼女を忙殺しようとする意図が感じられた。
「まず、家事を手伝え。それが終わったら礼儀作法の復習だ。それから……」
エリオットが淡々と命令を告げるたびに、アリシアは静かに頷いた。だが、心の中では不安と怒りが交錯していた。この家で彼女の自由はほとんど奪われている。しかも、その目的は明らかだった。
「遺産を手放させるための時間稼ぎね……」
それでも、アリシアは感情を顔に出さず、完璧な礼儀作法で応対した。それが彼女に残された唯一の武器だったからだ。
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朝食の後、エリオットはアリシアに一人の男性を紹介した。その男はエリオットが最近雇った家庭教師で、礼儀作法と舞踏を教えるという。
「お前の教育を頼む、リヴィングストン先生だ。」
リヴィングストン先生は痩せた中年男性で、鋭い目つきが特徴的だった。彼はアリシアを見るなり、顔をしかめた。もちろん、それは彼女のそばかすメイクと眼鏡による変装が原因だ。
「これは……少々見た目が……個性的ですね。」
その発言に、エリオットは不快そうな表情を浮かべた。
「まあ、教育さえ受ければどうにかなるだろう。」
アリシアはそのやり取りを冷静に聞きながら、心の中で笑みを浮かべていた。この変装は彼女を守る盾であり、エリオットの焦りを引き出す鍵でもある。
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その日の授業は厳しかった。リヴィングストン先生はアリシアに、ダンスの基本的なステップや礼儀作法を徹底的に叩き込んだ。
「背筋を伸ばして!足の運びが乱れている!」
「そこの所作が乱雑だ!再度やり直しだ!」
先生の厳しい指摘が次々と飛ぶ中、アリシアは耐え続けた。心の中で何度も「大丈夫」と自分に言い聞かせながら、彼女は一切感情を表に出さなかった。
昼食の時間になると、疲労で体が重く感じられたが、エリオットとリヴィングストン先生の前では弱さを見せるわけにはいかなかった。
「お嬢様、次の課題はもっと難しくなりますよ。」
リヴィングストン先生のその言葉にも、アリシアは静かに微笑みを浮かべながら答えた。
「ありがとうございます、先生。勉強させていただけるのはありがたいことです。」
その態度にリヴィングストン先生は少し戸惑ったようだったが、すぐに再び厳しい表情に戻った。
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その夜、アリシアは自室で疲れた体を椅子に沈めた。授業中に何度も「不細工」や「みすぼらしい」という言葉を暗に含ませたリヴィングストン先生の態度が頭をよぎる。だが、それを気にしている余裕はなかった。
「この家で生き残るためには、もっと強くならないと……」
アリシアは鏡に映る自分の変装姿を見つめた。このそばかすと眼鏡が、彼女を守る盾であることを改めて実感する。
同時に、彼女はエリオットが次にどのような手段を取るのかを考え始めた。遺産を手放させるために彼が何をしてくるのか、その先を読む必要がある。
「私が誰かに助けを求めることを期待しているのね……でも、それはさせない。」
アリシアは窓の外に広がる冷たい夜空を見上げながら、決意を新たにした。彼女がこの試練を乗り越えるためには、自分の力を信じるしかなかった。
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翌朝、アリシアは再び食堂に現れた。そばかすのメイクと分厚い眼鏡はそのままだったが、彼女の表情にはわずかな自信が漂っていた。
エリオットは相変わらず冷たい視線を向けてきたが、アリシアはそれをものともしなかった。彼女は内心でこう呟いた。
「私は操り人形にはならない。どんな試練でも耐えてみせる。」
この言葉が彼女を支える力となり、次の戦いへの準備を進める決意を固めた。
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馬車が停まると、従者が扉を開けた。「お嬢様、エリオット伯爵邸に到着しました。」
アリシアは深呼吸をしてから足を踏み出す。目の前にそびえ立つ屋敷は立派だが、その冷たい雰囲気が彼女の不安を増幅させる。
屋敷に入ると、大広間で待っていたエリオット伯爵が、鋭い視線を向けてきた。彼は痩せた体躯に高圧的な雰囲気を纏い、アリシアの外見をじっくりと観察している。
「アリシア、久しぶりだな。」
彼の声には温かみは感じられず、むしろ計算めいた冷たさがあった。
「お世話になります、伯父様。」
アリシアは礼儀正しく頭を下げたが、内心では警戒を強めていた。
彼女のそばかすメイクと分厚い眼鏡を見て、エリオットの表情が微かに変わった。それは困惑と苛立ちが混ざったもので、彼が思い描いていた「美しい令嬢」という理想像とは明らかに異なっていた。
「……最近、肌が荒れてしまって……」
アリシアは慌てる様子を装いながら言い訳をした。
エリオットは一瞬眉をひそめたが、すぐに口元に冷笑を浮かべた。「まあ、いいだろう。今後のことは私が決めてやる。」
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その後、アリシアは簡素な部屋に案内された。屋敷の格式にふさわしくない狭い部屋で、明らかに彼女を軽視していることが分かる。しかし、アリシアはそれを顔に出さず、「ありがとうございます」と礼を述べた。
エリオットが部屋を後にすると、アリシアは心の中で呟いた。
「予想通り……でも、こんなことで私を屈服させられると思わないで。」
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夕方、食堂に呼ばれたアリシアが現れると、エリオットは再び彼女の姿をじっと見つめた。そばかすと眼鏡によって平凡に見えるアリシアの外見に、明らかに失望した表情を浮かべる。
「こんな不細工では婚約も難しいではないか!」
彼の口調には苛立ちが滲んでいたが、アリシアは冷静に答えた。
「申し訳ありません、伯父様。」
内心ではほくそ笑んでいた。叔父の狙い通りの婚約を阻止するための第一歩として、この変装は十分に効果を発揮していると確信したからだ。
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その夜、アリシアは鏡に映る自分の変装姿を見つめた。そして、これからの生活に向けて心を引き締めながら、静かに呟いた。
「私は、誰にも操られないわ。」
その決意を胸に、彼女の逆転劇が始まる。
セクション3: 婚約候補者たちとの試練
アリシアがエリオット伯爵邸に移ってから一週間が過ぎた。彼女の生活は厳しい礼儀作法の授業と、無理難題を押し付けられる家事で占められていたが、アリシアは持ち前の冷静さとそばかすメイク、分厚い眼鏡による変装で周囲を欺き、叔父の計画に乗らないよう細心の注意を払っていた。
しかしその日、エリオットが突然アリシアを書斎に呼び出したことで、日常が少しだけ揺れた。何か大きな話が持ち上がる予感がした。
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書斎に入ると、エリオットはいつもの高圧的な態度で椅子に深く腰掛け、アリシアを睨むように見た。その机の上にはいくつかの封筒とリストが並べられており、重苦しい空気が漂っていた。
「アリシア、ここに君の将来に関わる重要な話がある。」
彼の言葉に、アリシアの心は警戒心で緊張したが、表情には出さない。
「ご指導いただけるのはありがたいことです、伯父様。」
あくまで丁寧に、従順な令嬢を演じるアリシア。その声色には、彼が見抜けないほどの冷静な皮肉が込められていた。
エリオットは書類の一部を手に取り、彼女に見せつけるように置いた。それは貴族の家名とその次男や三男など、婚約候補者と思われる人物の名前が記されたリストだった。
「これらが君の婚約候補者だ。名門ぞろいだろう?」
エリオットの顔には笑みが浮かんでいたが、それは明らかに彼女を手駒として利用するつもりの笑みだった。
アリシアはリストを見下ろしながら、心の中で息を呑んだ。そこに書かれている名前のいくつかは、彼女の記憶にも残るほど評判の悪い人物だった。暴力的な侯爵家の跡取りや、浪費癖のある伯爵家の次男、そして莫大な借金を抱えた子爵家の三男。どの人物も、普通なら断りたくなるような相手ばかりだった。
「素晴らしい方々ですね……」
アリシアは努めて冷静を装いながら口を開いたが、エリオットは彼女の反応に満足することなく、さらに話を続けた。
「君には選ぶ権利などない。どの相手でも、君のような者には十分過ぎるほどだ。」
その冷たい言葉に、アリシアは心の中で怒りが沸き上がるのを感じたが、それを飲み込んで微笑を浮かべた。
「伯父様のお考えに感謝いたします。私にとって何よりの幸せは、伯父様のご期待に応えることです。」
その言葉が真実でないことは明らかだったが、エリオットは彼女の皮肉に気づかず満足げに頷いた。
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その後、アリシアは自室に戻り、リストを思い返しながらため息をついた。候補者たちはどれも叔父の計画を補強するための駒であり、彼女の意志を無視した選択肢ばかりだった。
「こんな人たちと結婚するなんて、絶対に嫌。」
彼女は鏡の前に座り、そばかすのメイクを整え直しながら呟いた。この変装が、自分を守る盾になっていることを改めて実感する。
「私が美貌を隠している間は、どの候補者も興味を持たないはず……少なくとも時間を稼ぐことができる。」
アリシアは、叔父の計画を逆手に取り、自分の自由を守るための策を練り始めた。
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その数日後、エリオットはアリシアに最初の婚約候補者との面会を命じた。相手は侯爵家の跡取りで、彼女の噂を聞きつけて早々に会いたいと申し出たらしい。
「今日の振る舞いで失敗するなよ。君の立場は私の指示次第で変わるのだからな。」
エリオットの高圧的な態度に、アリシアは微笑を浮かべながら静かに頷いた。
「もちろんです、伯父様。」
面会の場では、そばかすだらけの地味な外見をしたアリシアを見た婚約候補者が、明らかに不快そうな表情を浮かべた。
「これが噂の令嬢か?失礼ながら、少し話が違うのではないか?」
そう言い放つ彼に対し、アリシアは軽く頭を下げて微笑を浮かべた。
「お目にかかれて光栄です。至らぬ点がございましたらどうぞお許しくださいませ。」
その優雅な態度に、相手は一瞬言葉を詰まらせたが、結局彼女に興味を持つことはなく、その日のうちに破談の申し出があった。
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面会の後、エリオットは激怒したが、アリシアはその様子を冷静に眺めていた。
「このまま次の候補者も同じ手で……」
彼女の頭の中では、既に次の行動計画が動き出していた。
どれだけ厳しい状況でも、アリシアは自らの意志で未来を選び取ると心に決めていた。
「私はシンデレラにはならないわ。」
その言葉は、彼女の胸に秘めた決意そのものだった。誰かの操り人形ではなく、自分の物語を紡ぐために、彼女の戦いは始まったばかりだった。
セクション4: 婚約候補との面会と叔父の焦り
最初の婚約候補との面会が破談に終わってから数日が経過した。エリオットは表面上、冷静を保っていたが、アリシアにはその苛立ちが明らかに伝わっていた。婚約候補者に「魅力を感じない」と断られたことは、彼にとって計画が狂い始めた証拠だった。しかし、それを認めるわけにはいかないのか、エリオットは次々と新たな候補者との面会を計画し始めた。
「次の相手はもっとまともだぞ。しっかりと振る舞うんだ。」
エリオットはあくまで命令口調でアリシアに指示を出した。しかし、彼女は何も反論せずに静かに頷くのみだった。
「はい、伯父様。期待を裏切らないようにいたします。」
その言葉の裏に込められた皮肉にエリオットは気づかない。むしろ、従順な態度を取るアリシアに満足しているかのようだった。
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その日の午後、次の婚約候補者との面会が執り行われた。今回の相手は伯爵家の次男で、エリオットが「地位も収入も安定している」と太鼓判を押した人物だった。しかし、アリシアはその名を聞いて内心ため息をついた。彼は以前から浪費癖があり、社交界では借金まみれだという噂の人物だったからだ。
面会は邸内の客間で行われた。アリシアはそばかすのメイクを施し、分厚い眼鏡をかけた地味な姿で部屋に入った。扉を開けると、そこには豪奢な衣装に身を包んだ男性が座っており、アリシアを見るなり表情を曇らせた。
「……これがアリシア・ローレンス嬢?」
彼の声には、期待外れだという感情が露骨に込められていた。それでもアリシアは冷静さを保ち、礼儀正しくお辞儀をした。
「お目にかかれて光栄です。どうぞよろしくお願いいたします。」
男性は彼女の外見をじろじろと見つめながら、いくつかの形式的な質問を投げかけた。好きな音楽や趣味、得意なことなど、どれも社交界でよく使われる話題だった。しかし、アリシアは意図的に退屈そうな返答をし、彼の興味をさらに失わせるよう心掛けた。
「趣味ですか?特にこれといったものはございませんが、読書は少々……ただ、あまり難しい本は苦手です。」
「そうですか……」
相手の声には明らかに失望の色が混じっていた。
会話が進むにつれて、男性は次第にそわそわし始め、やがて耐えられなくなったのか早々に話を切り上げた。
「では、またお会いしましょう。」
そう言い残して部屋を出ていく彼の背中を見送りながら、アリシアは小さくため息をついた。
「二人目も、これで終わりね。」
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面会後、エリオットは再び怒りを露わにした。
「どうしてこうも上手くいかないんだ!君がもっと魅力的に振る舞えば、こんなことにはならない!」
彼の声には苛立ちと焦りが混ざっていた。計画が次々と失敗に終わる中で、彼は自分の立場が危うくなっていることを感じ取っていたのだろう。
しかし、アリシアはその怒りを受け流しながら冷静に微笑んだ。
「申し訳ありません、伯父様。精一杯努力しているのですが……」
その態度がさらに彼を苛立たせたが、彼女の冷静な顔つきに圧倒されたのか、それ以上は何も言えなかった。
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その夜、アリシアは自室で一人、次の戦略を考えていた。エリオットが新たな候補者を用意するのは時間の問題だ。しかし、彼女にとって重要なのは時間を稼ぎながら、自らの自由を勝ち取る方法を見つけることだった。
「次の相手がどんな人物でも、私は負けない。」
彼女は鏡に映る自分のそばかすメイクの顔を見つめ、決意を新たにした。この変装は彼女を守るための盾であり、エリオットの計画を崩すための武器でもある。
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数日後、三人目の婚約候補者との面会が設定された。今回は子爵家の三男で、比較的若い相手だったが、社交界では「能無し」と評されることが多かった。彼が選ばれた理由も、エリオットが婚約を強行しやすいと踏んだからだろう。
面会の場で、アリシアはこれまでと同じように地味な外見を保ちつつ、適切な礼儀で対応した。
しかし、相手は彼女の外見を一瞥すると、最初から興味を持たなかったようで、形式的な挨拶だけで終わらせた。
「彼女を婚約者にするのは難しいな。」
その言葉をエリオットに伝えた瞬間、三人目の婚約話も破談となった。
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この結果にエリオットはついに激怒し、アリシアを部屋に呼びつけた。
「これ以上、私の計画を邪魔するな!」
怒りに震える彼を前に、アリシアは静かに答えた。
「邪魔をしているつもりはございません。ただ、私にはまだ未熟なところが多いようですので、どうかお許しください。」
その言葉にエリオットは完全に言葉を失った。表面上は従順な態度を見せながらも、彼女が全く意図を読ませていないことに気づいたのだ。
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その夜、アリシアは冷たい夜風を感じながら、自室の窓辺に立っていた。
「これで三人目。あと何人用意してくるのかしら。」
彼女は冷たい笑みを浮かべながら、次の試練に備えて心を落ち着けていった。
「私は誰かに操られるために生きているわけじゃない。私の運命は私自身の手で切り開く。」
エリオットが焦りを募らせる中、アリシアの静かな戦いはまだ始まったばかりだった。