§3 cocolo
完全なクローンだった。幹細胞を培養し、基の個体と同じものを作り上げた。それも本体と全く同じモノをである。皮膚から組織を採取しiPS細胞 (induced pluripotent stem cells、人工多能性幹細胞)を作成する。
培養したiPS細胞に各種酵素を加え、神経幹細胞や腎幹細胞、骨幹細胞、心幹細胞など各種身体部品の基
となるものを作っていく。さらに各幹細胞を培養し、一つの組織にし、さらに培養を進め器官を、つまり臓器を作っていく。出来上がった各臓器はもとの検体の所有者と全く同じ遺伝情報をもつものになる。私はそれをくみ上げたのである。
クローン技術の発達は、科学者の倫理観(否、恐怖感と言うべきであろうか)を刺激し、開発スピードの遅延を生じさせた。当然である。クローン人間の実用化は、人が神をもしのぐ存在になることを意味していた。先進諸国では法律により開発の制限を行った。クローン規制法のない国では、技術が追いついていないためクローンの培養はできなかった。
しかし、現在言われているクローン技術は完全なものではない。現在の技術では、ある個体の細胞の核を未受精卵に移植し、新しい胚を作り、その胚を個体にしていく。こうして作られたクローンは基の個体と全く同じ遺伝的性質を備えた「赤ん坊」である。私が求めていたのは赤ん坊ではなかった。私が求めていたのは今現在の特性を備えた、成長した個体だった。
バイオテクノロジーの発展は再生医療という分野を作り出し、生体部品を生産することが可能となった。そこに目をつけたバイオケミカルベンチャー企業の立ち上げたに協力したのは、3年前のことであった。大学の研究室にいた頃『幹細胞の培養スピードのコントロール』についての論文を発表した私に、連日のように企業からの技術提携を依頼する電話がかかってきた。
あの電話もそんな電話の一つに過ぎないと思いながら私は受話器をとった。
「はい、篠原です。」
うんざりしながらそう答えた私に
「こちらは、みおつくし病院ですが。篠原さん、篠原憲一さんですか?」
と事務的に尋ねてきた。今までの媚びる様な電話と異なり、事務的でありながらどこか陰鬱な響きをもつ声の主は続けた。
「篠原真帆さんをご存知ですか?」
「ええ私の妻ですが、何か?」
「交通事故で先程お亡くなりになられました。」
声の主はさらに事務的にひき逃げであったこと。死因は頭部打撲による脳内出血であることを告げ、来院を要請した。
私が病院に着くと、担当の医者と警察官が型どおりの悔やみの言葉を述べ、検死に回すこと、犯人逮捕に全力を尽くすことを述べた。そのいずれもが事務的であり、彼らの話を聞いていた私の心までが事務的に彼らの話を理解した。
病院の帰りに私は研究室に寄った。メールを開くと、電話同様多くの企業が技術提携を申し込んできていた。私は3つの条件を提示し、メールを送ってきた企業全てに返事を送った。
1・大学を退官するにあたって、新しい研究施設を用意すること。
2・研究は私ひとりで行い、私の行なう研究に一切口出ししないこと。
3・5年間は予算に上限をつけないこと。
であった。
メールを出し終えると備品棚の中からアイスボックスと注射器を取り出し、アイスボッ
クスの中に液体窒素をいれ家路についた。
真帆が帰ってきたのはその夜のことだった。私は担当の警察官との応対を早々に済ませ、真帆を布団に寝かせた。頭部以外に目立った外傷のない真帆は、まるで眠っているようであり、美しかった。
私はしばらく真帆の顔を眺めていたが、自分が行なわなければいけないことを思い出した。服を脱がせ、真帆をうつ伏せに寝かせる。研究室から持って帰ってきたメスを使い背中の表皮をはいでいく。できるだけ多くのサンプルがほしかったからだ。
「ごめんね。痛いだろ。でもすぐに終わるからね。」
そう話し掛けながら皮膚を採取した。採取した皮膚は処理をして、クーラーボックスにし
まいこんだ。
真帆の葬儀を済ませると私は翌日から大学に復帰した。「もっと休めばいいのに」同僚たちは私を気遣ってそう言ってくれた。しかし私にはすぐにでもやらなければならないことがあった。真帆の細胞を安定した状態で保存し、メールをチェックすることであった。私の提示した無茶な条件に同意した企業を調べたところ、二社のみであった。その二社と面接を行いさらに条件をつめ、私のわがままを飲んでくれた企業に行くことにした。
真帆のiPS細胞を培養するのと平行し、マウスを使った実験を行なった。マウスで得られたデータをレポートし親会社に提出、予算を得る。企業は私のデータを基にさらに実験行い、実験結果を私に報告する。私はその結果をもとにさらに実験を進める。
商売のことは全く興味はないが、私の行なった実験は多岐にわたり、親会社には多くの特許と利益をもたらしたはずである。今まで生物を扱う科学者なら誰もが憧れながら、タブー視してきた領域に踏み込んだのだ。実験からえられるデータは全てが未知の物、あるいは理論上のものでしかなかったものである。
私に対する非難はかなりのものだった。しかし、私との契約により企業は何も口出しをしなかったし、私が提出するデータが魅力的だったに違いない。
回りの非難を無視して実験を続けた私は成体のマウスをくみ上げることに成功した。そして平行して培養を続けてきた真帆も、今培養槽のなかに浮かんでいる。不随意反射、瞳孔反射等の身体的反応や脳波など脳の働きを示すものは全てが正常であった。
私は人口子宮の培養液を抜き取り真帆の身体を丁寧に拭いてやった。私の手が彼女の身体を拭くたびに指先が動く。それが私にクローンの完成、否、妻の復活を実感させた。
「真帆・・・」
呟く様に妻の名前を呼ぶ。そして再び目をあけてくれることを待った。僕はただ真帆を見つめていた。もう彼女が目を覚ますはずだ。そう思い待ち続けた。そして不意に真帆が何も着ていない事に気づき急いで毛布をかけた。
人工子宮から出したときの胸の高まりは今や不安の鼓動に変わっていた。真帆が目を覚まさないのである。身体を揺さぶり、声をかける。彼女が何事もなかったように私に笑いかけることを期待しながら・・・しかし彼女は黙ったままであった。
私は、他の培養槽からマウスを取り出した。何匹も何匹も。しかしいずれのマウスも目を覚まさなかった。実験は失敗していたのだろうか。しかし真帆をはじめマウスも不随意反射や瞳孔反射等の脳の機能が正常に働いていることを示していた。
私は一匹のマウスを解剖した。開頭したマウスの脳は異常のないように思えた。培養槽から出した全てのマウスを開頭した。いずれのマウスにも異常は認められなかった。おそらく真帆の脳にしても同じであろう。何の異常も認められないはずである。
私はある結論にたどり着いていた。「まさか」と思い「非科学的だ」と思いながらも否定することができなかった。
私はマウスを全て処理し、コンピューターから研究データを全て消去した。そして真帆に服を着せた。3年ぶりに真帆が着る服だった。3年前と同じように私が服を着せた。そして彼女に化粧をした。化粧の仕方など知らず、したこともない私にしては上出来だった。
「僕がまた君と話をできる日をどんなに待っていたか分かるかい?いつも帰りの遅い僕を待っててれくれた君に謝りたかったんだ。もう一度君の笑顔を見たかったんだよ、真帆」
私には分かっていた。なぜ彼女が目を覚ましてくれないのかを。私は入れ物を創ったに過ぎないと言うことを。真帆には、魂が、心が無いのだろう。母親の子宮の中で育てられたクローンとは違い、私の創ったものは部品の寄せ集めに過ぎなかった。
しかし科学者の端くれであるという意識からか、私はそれを受け入れることができなかった。
全ての片付けを終えた私は真帆を車に乗せた。
「君には苦労かけたね。でも僕はまた君に苦労をかけさせようとしていたよ。ごめん・・・」
真帆は黙ったままだった。
「じゃあ、いこうか。」
私は穏やかに眠る真帆に笑いかけてエンジンを回した。