その夜。深冬は教授の資料をランプの灯りで調べていた。外は漆黒の闇。時折、梟か何かの鳴き声が夜の静寂を切り裂く。
「コーヒー……飲みたい……」
こんな極限状況でもカフェイン渇望は消えへんらしい。我ながら呆れる。
破り取られたノートのページが気になって仕方ない。教授が最後に調べてたのは何やったんやろ。
ふと、遠くから奇妙な音が聞こえてきた。人間の声とも獣の咆哮ともつかない、低く物悲しい旋律。まるで地の底から何か巨大な存在が呻くような不気味な「歌」。
「何の音?村の……祭り?」
音は村の禁域とされる北側の森の奥から聞こえてくる。好奇心と教授の手がかりを求める焦りが、深冬の理性を麻痺させた。
「あかん、これは危険や」
頭では分かってる。でも、足は勝手に懐中電灯を握りしめて、音のする方へ向かってる。
森は夜になると深さと不気味さを何倍にも増してた。月明かりすら届かへん。頼りは懐中電灯の心許ない光と、遠くから聞こえる不気味な歌声だけ。
足音がやけに大きく聞こえる。まるで自分の心臓の音が足音になって響いてるみたい。
やがて切り立った崖に突き当たった。中腹に巨大な獣の顎のような洞窟がぽっかりと口を開けてる。歌声は間違いなくその中から響いてくる。洞窟の入り口からは青白い燐光が不気味に明滅してた。
「入るしかないわね。教授の手がかりが……この中に」
深冬は意を決し、暗い洞窟へ足を踏み入れた。内部はひんやりと湿ってて、壁から粘つく水滴が滴り落ちる。
そして洞窟の壁一面に、おぞましい壁画がびっしりと描かれてた。
「これは……」
考古学者としての眼が、すぐに異常を察知した。
「この岩絵の技法……明らかに縄文時代のものやない。もっと古い。旧石器時代後期?でも、この地域でこんな高度な岩絵が発見された例は……」
触手のような異形の存在と、それを崇め奉る古代の村人たち。そして周期的に『捧げ物』を差し出す図。その捧げ物は苦悶の表情を浮かべた若い娘の姿をしてた。
「なんて……おぞましい」
洞窟の奥はドーム状の広間になってた。中央に鎮座してたのは……巨大な乳白色の『繭』。
「何なの……これ」
直径数メートルはあろうかという大きさで、表面は滑らかで、まるで生きてるかのようにドクン、ドクンと脈動してる。青白い燐光はこの繭から発せられてるようやった。
「生きてる?そんなはずは……」
深冬は恐怖と好奇心で、脈打つ繭に近づいた。表面に手を触れようとした瞬間—
「っつう!」
頭蓋骨を内側から締め付けられるような激痛が脳を襲った。目の前に鮮明な幻覚が浮かぶ。血にまみれ、虚ろな目をした妹・小春が手を伸ばしてる。
『お姉ちゃん……ここだよ。やっと助けに来てくれたんだね?私、ずっと待ってたんだよ……』
「小春!小春なん?」
パニックに陥った深冬は叫び声を上げ、懐中電灯を繭の上に落としてしまった。懐中電灯は繭の表面にカツンと当たり、暗がりへ転がり落ちる。
「あかん!」
とんでもないことをしてしまった。深冬は本能的恐怖に駆られ、悲鳴を上げながら洞窟を飛び出した。背後で繭がこれまでより激しく脈動を始めたような気配を感じながら。