古民家の一室。今度は完全な密室やった。
窓も戸も木の板で封じられ、光は一筋も差し込まへん。粗末な藁布団、濁った水、そして日に一度の味気ない食事。
夜になると、それが始まる。
壁の向こうから聞こえる、何かが蠢く音。ざらり、ざらり。あるいは、じゅるり、じゅるり。甘ったるく腐った匂いが部屋に漂う。
まるで中学の時、理科室で腐った解剖用の蛙を嗅いだ時の匂い。あの時も吐き気がしたっけ。
「シラヌイ様……」
あの繭の主が、すぐ近くまで迫ってる。品定めするように、自分を観察してる。
昼間は村人たちの監視。板の隙間から覗く狂信者の目。
「シラヌイ様のために、おとなしくしてるんだよ」
「もうすぐ永遠の喜びを得られるからねえ」
「やめて……近づかないで……!」
ある時、食事に黒い粉末を混ぜようとする女を見つけた。
「『お清めの薬』ですよ。もっと従順な良い子になれるから」
聖母のような、しかし歪んだ笑顔。
それ以来、深冬は村人の食事には手をつけなくなった。空腹で頭がくらくらする。
そんな中、祠堂耀が現れる。他の村人とは違う、奇妙で掴みどころのない態度で。
「コーヒー……コーヒーが飲みたい……」
ある日、深冬は憔悴しきった顔で呟いていた。
「ありませんね、そんなもの」
いつの間にか部屋にいた耀が冷ややかに答える。
「インスタントでもええんです。缶コーヒーでも……」
「この村に文明の利器は存在しないと、何度言えば分かるのですか」
「ほな、お茶は?」
「……番茶なら、ありますが」
深冬の肩が、がくりと落ちた。
「何か文句でも?それなら飲まなくても結構ですよ」
「……今、何て……?」
「聞こえませんでしたか?耳まで悪くなられたとは」
「確信犯ですね。ほんまに性格悪い」
「左様でございます。それが何か問題でも?」
「開き直りまで完璧とは……」
「お褒めいただき光栄です」
「(褒めてへんわ!)…結構です」
「……ふっ」
一瞬、耀の口元が緩んだような気がした。
「今……笑いました?」
「気のせいでしょう。あなたは疲れている」
そして耀は、深冬の最も痛いところを突いてきた。
「……そのペンダント。妹君の形見でしたか。強い想いが込められているようですね」
耀はふと、深冬の首元のペンダントに目を留めた。
「人知を超えた力というものは、時に純粋な魂に惹かれます。あなたの妹君がそうであったように。そして、シラヌイ様は……そういった魂の輝きを、決して見逃さない。あるいは、そのペンダントに宿る妹君の想いの欠片が、あなたをこの村へ導き、そして、シラヌイ様を呼び覚ます一助となったのかもしれませんね。……もっとも、それは科学では説明できぬ話でしょうが」
胸の奥がキリキリと痛む。まるで胃に穴が空いたみたいに。
「うるさい!私は絶対に諦めへん……!必ずここから生きて出て、教授の行方も、この村の秘密も、全て白日の下に晒したるわ……!」
虚勢やと分かってても、それしか言えなかった。
耀は深冬を観察対象のように見つめ、ふと呟いた。
「あるいは、あなた自身が、あなたの心の奥底に潜む『何か』を、この村に呼び寄せたのかもしれませんね……」
その謎めいた言葉を残し、耀は音もなく立ち去った。
でも、最後に振り返った時の表情に、ほんの一瞬だけ何か複雑なものが過ぎ去ったような気がした。