ミドリの尻尾が消えた先は、忘れ去られた土蔵やった。蔦に絡まれた扉の隙間から、猫は器用に滑り込んでいく。
「待って……」
深冬も壊れかけた窓から這うように侵入した。埃と黴の匂いが鼻を突く。
ミドリはすでに土蔵の奥に進み、ある一点をじっと見つめていた。その視線の先には、壁に乱れた文字。血で書かれている。
ミドリは深冬がそれに気づくまで、辛抱強く待っているかのようだった。
懐中電灯の光が壁を這う。
「……!」
奥の壁に、乱れた文字。血で書かれてる。
『シラヌイ…進化スル…喰ラウ…祠堂ノ一族…血ノ契約…『花嫁』ヲ捧ゲル…ツギノ…器ハ……娘……』
震える筆跡。見覚えがある。
「教授……」
血文字の下に、古い和綴じの書物が転がってた。『祠堂家秘伝之書』。
震える指でページをめくる。
そこには、祠堂家の恐ろしい記録があった。シラヌイ様に選ばれた「花嫁」は神主と交わり、子を成す。
しかしその子は人間の姿で生まれない。異形として。そして母親は産後間もなく衰弱し、若くして死ぬ。
代々、繰り返されてきた血の宿命。
「なんて……おぞましい……」
吐き気がこみ上げる。
「それを、見てしまいましたか」
振り返ると、祠堂耀が立ってた。いつもの冷たい仮面はない。深い悲しみを湛えた瞳が、じっと深冬を見つめてる。
「これが、あんたの家のほんまもんの姿なんやな!教授は、この真実を知ったから……だから!」
「……」
耀は何も答えず、血文字の前に膝をついた。震える指先で、血の痕をそっとなぞる。美しい瞳から、一筋の涙が流れ落ちた。
「私の母もまた、『シラヌイ様の愛しき花嫁』でございました」
か細い声。心の奥底から絞り出すような。
「私もまた、この呪われた血を受け継いだ。教授は……この村の異常性に気付き、外部に伝えようとした。私は彼を止めることができなかった。いや、心のどこかで……この忌まわしい因習を、白日の下に晒してほしかった……」
深冬は息を呑んだ。祠堂耀という男の中に、初めて人間的な弱さを見た気がした。
「この村を、この呪いを終わらせたい。心の底から願っている。だが、私一人では……もう、どうすることも……」
耀の瞳に光はない。ただ、底なしの絶望だけが刻まれていた。
でも、その絶望の奥に、深冬への何か複雑な感情があるような気がした。救いたいのか、利用したいのか、自分でも分からへんような……。