目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

<参・シタイ。>

 まのまのこと木下眞子の遺体は、異様な状況に置かれていたという。

 アパートの管理人が中に入ると、すぐに異常なほどの血の臭いに気づいたそうだ。慌てて中に入ったところで彼は腰を抜かすこととなる。ベッドに上、木下眞子は死んでいた。そう、確かめるまでもなく死んでいるとわかる状態だったのだ。

 ワンルームのアパートは、水没したと思うほど床が濡れていた。それも、ドブ川の腐った水のような匂いだったという。それらはベッドから溢れだしてきたように思われた。彼女が死んでいたベッドが最も水没していたからだ。

 ベッドは汚水で茶色く汚れ、同時に彼女自身から溢れた血で赤く染まっていたとか。

 眞子は両手両足を大きく広げ、大の字になって横たわっていた。そして、腹を大きく割かれ、中身が派手に飛び出していたという。


『割腹、って警察は言ってましたけど、正確にはちょっと違うんです』


 年老いた管理人の男は、声を震わせながらインタビューに答えていた。


『ナイフで切った傷なら、もっとまっすぐになると思うんですよねえ。でもあれは、なんていうか、皮膚が破けたみたいな。まるで、大量の水がおなかの中にたまって、それで耐え切れなくなって破裂したみたいな……ええ、そんなかんじでした。だってあんな、皮膚がびらびらして、肉が……ああ、す、すみません。さすがに思い出すのはきついです……』


 つまり。

 何者かに腹を裂かれた死体というより、腹が破裂した死体のようだった、というのだ。

 どう考えても自殺ではないだろう。そもそもお腹が破裂するほど水を飲むなんて、そんなこと可能だろうか。


「……できるわけ、ないっしょ」


 そのニュースが流れた日のうちに、私は日葵と会っていた。幸い私達は家も近く、会うには支障なかったのである。

 とはいえこんな話、互いの家でしたいものではない。必然的に話す場所は近くのファミレスとなったのだった。


「確かに、水拷問ってのはあるらしいんだよ。大量の水飲ませて、苦しませて自白させる的な。中世ヨーロッパとかではやってたらしくって」

「それ、私も聞いたことある」


 YouTubeの動画で、拷問特集みたいなものをやってたのを見たことがあるのだ。怖いもの見たさで見てしまったが、なかなかグロテスクだった記憶がある。

 無論水拷問は、他の拷問と比べると血も出ないし見た目のインパクトは少ないのかもしれないが――。


「水って人間には絶対必要なものだけど、無限に飲めるわけじゃないよね。お腹パンパンになっちゃうし」


 ウェイトレスさんが持ってきてくれた水の入ったコップ。中の氷をからからと揺らしながら呟く私。

 生きるために水は必要だ。

 しかし飲み過ぎれば水中毒という症状を引き起こすこともあるという。細胞が水で溺れてしまうような状態になるとか、ワイドショーで見たことがあるような。


「あと、その……ちょっとシモい話になるけどさ。水って飲み過ぎるとトイレ行きたくなるじゃない?で、拷問されてる最中はトイレいけないわけでしょ」

「そうだな」

「ってことはトイレ我慢にも限界はあるから、最終的に全部漏らしちゃう、ってのが普通だよね。人間の尊厳もへったくれないっていうか、すっごく屈辱的な拷問だと思うけど」


 それに当たり前だが、漏らすものは小さいほうだけではないはずだ。水が冷たければ尚更、お腹も壊し易くなる。これって結構、拷問する側も臭くて大変なんじゃ、と思わなくもない。


「そうだな。飲んだ水は、最終的に我慢しきれなくて出てくのが普通……っていうか、人体の仕組みってそうなってるはずだぜ。命を守るためにな」


 過去、トイレ我慢しすぎて膀胱破裂して死んだエライ人もいたっぽいけど、と日葵。

 まあ、そういうのはレアケースだろう。どう人の意思で我慢したところで限界はあるのだから。

 ただ、こうなってくると問題は。


「大量に水飲ませたって、普通はそうなるってことだよね。人のお腹が破裂することなんかある?」


 これなのだ。

 破裂させる方法があるとすればただ一つ。排泄器を全部使えなくしてしまったパターンだろう。それこそ肛門と尿道をまとめて縫い合わせてしまうとか、接着してしまうとかで。そういえば、そういう拷問も古代中国あたりではあったと聞いたことがあるが。


「俺もそこが気になってるんだ。漏らしまくって最終的に死ぬかもしれねえけど、それでも腹が破裂する前に外に出るよな。出なかったとしたら、尿道とかが塞がってたとしか思えない。でも」


 眉間に皺を寄せる日葵。


「まのまのは、前日まで普通にお出かけしてた。取材じゃなくて、友達とカラオケしてたってやつらしい。特に変なものも食べてないし、三時間ぶっつづけで歌うくらい元気だったと。あと、特に何かの持病があったなんてこともなかったそうだ」

「尿閉を突然起こすような病気は持ってなかった、ってことだね」

「そうだ。で、人為的に縫い合わせるとかで塞いだならさ……そんなもん、解剖した時警察が気付く、よな?気づいたら、これ100パー殺人で確定できるだろ。なんで事件、事故、自殺全部で追ってんだ?」

「……だよね」


 警察が事件以外を追いたくなるのもわかるのだ。彼女の家は、ドアにも窓にも鍵がかかっていて、不審者が侵入した形跡は何もなかったのだから。

 だが、自殺にしては明らかにおかしい。

 お腹が弾けて死ぬような事故というのも考えづらい。そして。


「人に襲われたんじゃなくて、それこそ事故とか病気ならさ、彼女死ぬ前に救急車とか呼びそうなもんじゃね?部屋に携帯電話転がってたみたいだしよ」


 これだ。

 あまりにもミステリーがすぎる。つまり彼女は助けを呼ぶこともできずに死んだ、ということになってしまうではないか。

 もちろん殺人犯に襲われている最中に電話なんてできなかったかもしれない。あるいは、そんな電話かける暇もないくらい一瞬で死んだというのなら話は別だろう。

 結局のところ、密室だからといって事件以外だとは考えづらく、それで警察の捜査が行き詰っているのではないかという話である。


「……日葵」


 彼女が何を疑っているのか、段々わかってきた。私は水を一気に飲み干して、彼女に問う。


「ひょっとしてさ。オカルトな方面、疑ってる?」


 まのまの、は死ぬ十日ほど前に、尾中村とやらの祠を壊している。それで呪われて、あのような死に方をしたのではないか。日葵はそれを疑っているようだ。


「……俺だってさ、こなみ」


 ぽつり、と呟く日葵。


「オバケとか、本気で信じてるわけじゃねえよ?いたら面白いと思うって、それだけ。だって、俺らの世界って結構つまんないじゃん?異世界ファンタジーみたいな魔法とかあるわけでもないじゃん?ならさ……そういうの、ドキドキハラハラみたいなものがこの世にあったら楽しそうだなとか、そういうことは思ってたっていうか」

「うん」

「でも、だからって本当に人に死んで欲しいわけじゃなかったし……自分の命が危険に晒されるかも、みたいなそういう方向のスリルが欲しかったわけじゃないというか」

「……うん」


 なんとなく察していた。

 まのまのが、死んだ。その死には不審な点があった。それだけならば――きっと彼女もわざわざ休日に、私をファミレスに呼び出したりするようなこともなかったことだろう。

 人気ユーチューバーが死んだのは怖い事件だが、まのまのは一度動画を見ただけのまったくの赤の他人。ファンだったわけでもない。残念だと思っても、悲しむというほどではなかったはずだ。きっとそれは日葵も同じだろう。

 でも、それなのにわざわざこの話をするために呼んだ、ということは。


「……噂が、あるんだ。あくまで噂、なんだけど」


 震える声で、日葵は言った。


「あの祠を壊した動画、俺もお前も見たよな。まのまのの、あの動画にさ……今日見たら新しいコメントついてたんだ」




@kanaen_PP 一日前

 この動画見てから、同じ祠っぽいのを見かけるようになった。なんもなかった駅までの道にあれを見つけた。どゆこと?



Λ 2 件の返信



 @ぽこたん 四時間前

  私だけじゃなかったんだ。なんかそれっぽいの通りかかって見たけど


 @TaiOn 三十分前

  自分も見ました。まさか動画見ただけで呪われたとかないですよね……?




「今まで通い慣れた道に、あの祠っぽいのが現れたって。明楽間になかったはずのものがそこにあるって。……動画を見ただけで、呪われる可能性があるってことじゃないのか?」


 日葵の顔は、今まで見たことがないほど青ざめている。私は彼女の顔を見て――ははっ、と乾いた声で笑っていた。


「冗談でしょ。そんなのあるわけない」

「ないって、どうして言い切れるんだよ」

「だって、私達ただ、その……動画見ただけじゃん?祠壊したの、私達じゃないんだよ。だったら、壊した人が祟られてそれで終わりでしょ」

「本当に、そう思うか?」

「…………」


 なんとも言えなかった。

 確かに、祠を壊した本人は死んだ。でも、あれがもし何かを封印する役目をはたしていて、それが解き放たれたとかそういうパターンだったのだとしたら。果たして、呪いは壊した本人だけに向くだろうか。たまたまかかわった人間、近くにいた人間にも被害が向かうことは本当にないのだろうか。

 ホラー映画なら良くある話だ。呪われたビデオテープを見ただけの人間が、一週間とかそこらで死ぬ。本人が何一つ悪いことなどしていなかったとしても、だ。


「何かが本当に、出てきちまったのかもしれない」


 日葵は掠れた声でそう言った。


「俺、現実でその祠とやらを見たわけじゃない。でも、祠とやらを見ちゃったらもう終わり、なんだとしたら」

「や、やめようよ、そんなの」

「何か、対策打たないとダメなんじゃねえのか」


 死にたくないよ。

 彼女は、年頃の少女らしい、儚い声で告げた。


「あんな死に方、したくない。なあ、どうしたら、いいんだ?」


 何も、言えたはずはない。

 だって私は知っているからだ。――例の動画の再生回数が、いつの間にか十万を突破しているとことを。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?