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第8話

 光から目を庇うように手を上げていれば、凛としたアイルの声が鼓膜を叩く。その声に、ネオは彼女が自身のヴァルキリーを解放したのだと理解した。徐々に和らいでいく光に恐る恐る目を開けば、そこにはいつの間にか姿を変えたアイルが佇んでいた。


 黒と白のカッチリしたジャケットに走る金色の模様。そして裾から十センチほどスリットの入った、黒のAラインのスカートがひらりと風に揺れる。ヒールブーツで覆われた足は彼女の身長の高さを更に上げており、ふわりと鮮やかな紺青色の髪を靡かせたアイルは再び手慣れた様子で髪を結うと、その手に〝何か〟を出現させた。

 ――細く、長い、何か。僅か数秒して形を成したのは、綺麗な曲線を描いた一つの刀だった。アイルがそれを手にすれば、カチャリと金属音が音を立てた。……違和感は既にログアウトしている。


「はわー……」


 ――まるで、人気コスプレイヤーのようだ。

 心底込み上げる感嘆に、声を上げてしまう。目の前の彼女はモデルも真っ青なレベルの美女である。SNSに投稿したら素晴らしい反応が来るのではないかと思ってしまうくらい、浮世離れした美しさが目前に集結している。嫉妬すら沸かないくらい完璧な姿に、ネオはアイルの姿をつま先から髪の先まで、まじまじと見つめてしまう。

 そんな視線に気づいたのか、不快そうにアイルの眉間にしわが寄る。


「……何よ。何か変かしら?」

「あっ、ううん! そうじゃなくて……。綺麗すぎて、びっくりしちゃった」

「何よそれ」


 目を見開いた後、呆れたように笑いながらため息を吐くアイル。……そんな行動すらも、絵になってしまうのが凄い。思わず見惚れてしまうのを、止められそうにはなかった。……こんな美女、液晶越しでしか見たことがない。

(あの時はアイルちゃんの格好より、よく分からない敵が沢山いた事のほうが気になって仕方なかったけど……)

 ちょっとこれは……隣に立つほうが、恐れ多いのではないか。押し寄せる僅かな威圧感に、ネオは無意識に半歩後ろに下がった。嫌なわけじゃないが、凄いのだ。圧力が。


「ハイ。やり直し」

「えっ」


 ピッと携帯のストップウォッチを止めたアイルに、はっとする。裾が歪な形を成しながら消えていくのを見て、慌ててスカートを抑え込んだ。……どうやらアイルに気を取られすぎて、変身が解けかけてしまっていたらしい。別に服が消えたからと言って中が見える訳じゃないけれど、やはり気になってしまうのは女性の性なわけで。

(いやいや! 今のは仕方ないでしょっ!?)

 こんな二次元美女に、見惚れない人間なんているわけないじゃないか。もしいたとしたら、その人はきっと特殊な訓練を受けているに違いない。……まあ、気を抜いてしまった自分が悪いのだけれど。「もう一度!」とアイルの鋭い声が飛んできて、浮かんだ誰に言うわけでもない言い訳が、頭の片隅に押しやられる。ネオは慌てて気を取り直すと、変身を維持することに集中した。

 それから暫くの時間が経ち、静寂な時間だけが流れる。今のところ変身は無事に維持できている。五分が経過し、十分が経過する。それだけの時間が経っても乱れることのない自身の姿に、案外簡単なのかもしれないと思った――その時だった。

 経過時間が十五分に達しようとした時、体全体へと勢いよく圧し掛かってきた重さに、思わず膝が折れてしまう。


「ッ、!!」

「はい、もう一回」


 ピッと遠くで聞こえる、終了の音。それを気にする余裕も、今のネオにはなかった。

(な、なに今のっ、!)

 はぁっ、はぁっ、と知れずに上がっていた息を繰り返す。……一体、何が起きたのか。頭の上から鉛を落とされたような気分だ。半分以上消えかけているステッキを見つめながら、ネオは息を飲む。状況を理解できないままゆっくりと立ち上がれば、アイルが再び「スタート」と口にして携帯のストップウォッチを起動させる。

 慌てて再び身構えるが、直ぐに膝が地面にぶつかり合ってしまった。――今度は五分も持っていない。地面に手を付け、大きく息を繰り返す。いつの間にか変身は解け、服装はスーツへと姿を変えていた。どっと噴き出す汗を、拭う気力もない。ポタポタと汗が地面に染みていくのを、どこか遠い事のように感じる。


「はぁっ、はぁっ……!」

「結構維持するのだけでも大変でしょう? それとも――そんなに簡単にできると思った?」

「うっ……」


 アイルの少しからかうような声に、ネオは何も言うことができない。ここまで走ってきた時よりも、明らかに息苦しく、つらい。――図星だった。眉間にしわを寄せて僅かな力でちらりと視線を向ければ、目の前には汗一つ掻いていないアイルが立っている。同時に変身したはずなのに、どうして。汗が滴り落ちる中、ピピピと無機質に鳴ったアラームが、開始からやっと三十分経ったのを教えてくれた。

(す、ごい……)

 そんな賛辞の言葉を紡ぐことすら、厳しい。息を整えて、べしゃりと地面に座り込む。スーツがしわになってしまう、なんて事を考える余裕はもちろん、ない。


「これ……はぁっ、こ、こんなに、きついんだねっ……」

「まあ、慣れよ。慣れ」

「慣れ……るかなぁ~」


 思わず苦笑いを零せば、アイルは「何とかなるんじゃないかしら」と笑って自身の変身を解いた。終始平然とした姿で流れた髪を後ろに払う彼女に、ネオは力の差を感じて項垂れる。ついつい空に投げた視線は、とうに暗くなった星が輝く夜空を映し出した。彼女のいう『慣れ』を会得するまでの地獄を思い、ネオは遠くで輝く星たちをぼんやりと見つめた。



 そうして始まった地獄の――否、修行の日々。

 仕事との両立は思っていた以上に大変だったが、やはり徐々に成果が出てくるのは自分のモチベーションの維持に繋がっていた。休憩と変身の維持を交互に行い、変身の持続時間を三十分から一時間に増やしたのが、二週間前。一週間前からは、変身状態での簡単な能力の使い方の指導が始まっていた。……とはいえ、変身しただけでは体が驚くほど頑丈になり、身体能力が急上昇するくらいしか変化はないのだけれど。そんな中でも一番驚いたのは、この状態でいれば空も飛べるのだと教えてもらった時だった。見せてもらったときは何が起きたのか、理解するのに時間がかかってしまったくらい。……人ってその気になれば飛べるんだなあ。そんな事を考えながらも、空中でちゃんとバランスがとれるようになってきたのは、――ここ数日の事だった。


「うー……っ、もう、無理……」

「もう? 体力無いわねー」

「ご、ごめん」


 はあっと深く息を吐き、べたんと地面に倒れ伏す。荒い息もそののまま、空を見上げればいつか見上げた空とは真逆の青空が、自分たちの頭の上に広がっていた。深く呼吸を繰り返す。投げ出した四肢は、まるで鉛でも付けたかのように怠く、重たい。今日は来てからずっと体力向上のため横田不動尊の周りを走っていたのだが、直ぐにやってきた限界についにへたり込んでしまった。

(最近、走るようにしてたから大丈夫だと思ったんだけどなぁ……)

 嗚呼、情けない。そんな嫌悪感が僅かに顔を擡げる。……一緒に走っていたアイルは、未だ息一つ乱していないというのに。


「仕方ないわね。休憩しましょ」

「はぁーい」


 携帯の時間を確認したアイルがそう告げ、のんびりと返事を返す。思った以上に気の抜けていた声が出てしまったが、梅雨を超え、初夏を迎えた暑さの中では致し方がない。ぼーっと意識を飛ばすように空を見つめていれば、不意にぐぅとお腹の虫が声を上げた。小さな鳴き声だったものの、しんと静まり返ったこの場には驚くほど綺麗に響いてしまう。咄嗟にお腹を押さえるが、もう遅い。


「盛大な音ね」

「あははー……」

「まあでも、そろそろじゃないかしら」

「え?」

「ネオさーん、アイルさーん! お昼ご飯、持ってきましたよ~」


 意味深な言葉をかけるアイルに、意図を問いかけようとして聞こえてきたのは、聞き覚えのある声。振り返れば、そこにはバスケットを持った千種ちゃんが可愛らしい笑みを浮かべて、こちらに向かってきていた。見慣れたメイド姿の彼女に、ネオは首を傾げる。

(あれっ。お店の開店時間には、まだまだ時間があるはずだけど)


「千種ちゃん、どうしてここに……っていうか、何でメイド服?」

「あははは……。マスターにお店の厨房をお借りしたんですけど、エプロンがなくって、つい」

「あっ、そうなんだ。……え? 厨房?」

「はい! アイルさんからお昼ご飯の配達依頼があったので、サンドイッチと、ちょっとしたおかずを作って来たんです。……お嫌いでしたか?」

「えっ、!? き、嫌いだなんてそんな事ないよ! 寧ろお昼持って来てなかったから、凄く嬉しいけど……」

「本当ですか!? よかったぁ。実はアイルさんが『ネオさんが最近頑張ってるから、美味しいものをお願い』っておっしゃっていたので、腕によりをかけて作ったんです。お口に合うと嬉しいのですが」

「ちょっと……!」


 慌てて千種の口を止めようとするアイルだが、それよりも先に千種がバスケットを開けた。食事を膝にのせて座る彼女に、アイルも手が出せないのだろう。何か言いたげに千種を見つめる彼女に、千種は気づかないまま透明のパックに綺麗に入れられたサンドイッチを取り出した。おかずは違うパックへ綺麗に並べて詰め込まれている。完璧な彩りに、気分が一気に上昇する。流石千種だ。

(すごい……! まるで宝石箱みたい……!)


「はい、これがネオさんの分です。こっちがツナサンドで、こっちがたまごサンド。これがフルーツサンドになります」

「わあ、凄い美味しそう……! ありがとう。いただきます!」


 千種から説明を受けたネオは、渡されたお手拭きで手をしっかりと拭くと、ぱちんと両手を合わせた。パックのつまみから開けば、パカッと軽快に開く蓋。ふわりと香る匂いに、お腹の虫がくるりと音を立てた。

 高揚する気持ちを抱えつつどれから食べようかと迷った末、ネオはたまごサンドを手に取った。はむり、と齧りつけば、ほんのりパンとたまごの甘味が舌の上に広がっていく。シャキッと音を立てたレタスがアクセントになって、非常に美味しい。


「ん~!」

「ど、どうですか……?」

「美味しいよ、すっごく!」

「本当ですか?! よかったです~!」


 安堵に胸を撫でおろす彼女に、心からの笑みを浮かべる。渡されるフォークでおかずゾーンから唐揚げを突き刺して口へと運べば、驚愕に目を見開く。

 ――舌に広がる、この肉汁。柔らかい肉の触感。口の中で蕩けるようなこれは、確実に冷凍食品ではない。生のお肉からしっかりと揚げたものだ。冷凍じゃあ、こうはいかない。衣のサクサク感がもうプロ級で、揚げ物なのに重たくなくて、いくらでも食べられてしまいそうだ。

(千種ちゃん、本当に料理上手だなぁ~)

 私ならきっと、こんなに柔らかく揚げることなんてできないだろう。そもそも、自分でお弁当を作る時も冷凍ばかりだったのだ。比べる値ですらない。綺麗に焼かれた卵焼きを箸で掬い上げ、口に放り込む。卵焼きは今まで塩しか食べたことがなかったけれど、これはほんのり甘い出汁味だった。凄い。美味しい。

 もぐもぐと咀嚼するネオは、心底嬉しそうに微笑んでいる。周りに花でも飛びそうな程、幸せそうな顔をする彼女に千種が人知れず微笑んだ。その後ろではあまりの美味しさに、アイルすらも目を見開いている。


(どうせなら、千種ちゃんみたいなお嫁さんが欲しいなぁ~、なーんて)

 そんな冗談を内心で口にしつつ、地獄の後の幸せと一緒にお腹を満たしていく。隣で同じように食べるアイルも、どこか嬉しそうだ。もくもくと食事をしていれば、千種が紙コップにお茶を注いでくれる。これはもう、簡易ピクニックみたいなものだ。お茶を受け取り、こくりと飲み込む。嗚呼、冷たくて美味しい。もう美味しいしか言っていないけれど。


「凄いですよね。朝から晩まで修行だなんて。……私も、お二人の力になれればいいんですけど」

「えっ?」

「な、なんでもないです!」


 囁くように声を潜めた千種に、聞き取れなかったネオは聞き返す。しかし、千種はフルフルと首を振って、同じことを告げることはなかった。少し目を伏せた様子の彼女に、ネオは首を傾げる。再び問いかけるかどうか迷っていれば、不意に千種の視線がこちらに向けられた。――否、ネオの足をその瞳に捉えていた。


「あれっ。ネオさん、どうしたんですかその怪我!?」

「あ、本当だ。全然気づかなかった」

「わ、私、救急セット取ってきますね!」

「これくらい大丈夫、って、ちょっと……っ」


 バッと勢いよく立ち上がった千種が、その勢いのまま来た道を走りだした。咄嗟に制止しようとした手は空振り、戸惑いに満ちた声は千種の耳には届かなかった。遠ざかる背中に伸ばした手が、ぱたりと落ちる。……以前置き去りにされた時のアイルの気持ちが、何となくわかった気がした。


「……行っちゃった」

「結構慌ただしいわよね、あの子」

「た、確かに」


 アイルの言葉に頷きながら、ネオは諦めて食事を続けることにした。次のハムサンドに舌鼓を打っていれば、さっき走って行ったばかりの千種が救急箱片手に戻って来ていた。予想外の早さに、サンドイッチが喉に詰まる。慌ててお茶を流し込み、必死に飲み込んだ。いくら何でも早くないだろうか。


「お待たせしました~。大丈夫ですか?」

「ん。だ、大丈夫。早かったね」


 心配そうにしながら近くまで来てくれた千種が、心配そうにこちらを見つめてくる。その視線に笑顔を返し、早々に話を逸らせば千種がパッと花が咲くような笑みを浮かべた。


「こう見えても私、足は速い方なんですよ~」

「へえ、そうなんだ?」

「はい。この前の体力テストも上位でしたし、勉強は~……ちょっとあれですけど……」


 えへへ、と苦笑いを零しながら触れてくる千種に、大人しく足を差し出す。「失礼しま~す」と声を掛けられつつ、触れられる足の感覚が少し遠退いている気がする。彼女の指先を辿れば、どうやらどこかの草木で切ってしまったらしい。小さな切り傷が出来ていた。とはいえ、かなり浅い傷口は既に血も止まっており、手当てするほどの物でもない。舐めておけば治ると言いたくなるくらいだった。……けれど、それでも千種的にはアウトだったようで。

 自分の事のように痛そうな顔をすると、千種は救急箱から消毒液などを取り出した。『傷薬』と書かれた消毒液をシュッと吹きかけられる。僅かに痛みが走り、息を飲んだ。小さいけど、やっぱり痛いものは痛い。


「そういえば、アンタ。学校はどうしたの? 学生でしょ?」

「通信に通っているんですよ~。私の家、兄弟が多くって。日中は実家の定食屋さんを手伝っているんです」

「へぇ。そうなの」

「はい! 結構繁盛してるんですよ~。あっ、今日はお休みなので、お気になさらないでくださいね」


 大丈夫ですからと慌てて首を振る千種に、感心したように声を上げるアイル。その横で、ネオは驚きに瞬きを繰り返していた。

(千種ちゃんが、が、学生さん……!?)

 こんなにしっかり者で料理も出来る子が、まさか未だ学生だったなんて! 少なくとも高校は卒業しているものとばかり……。


「本当はすぐに働きにでも出ようと思っていたんですけど……お母さんもお父さんも『高校だけは行っておきなさい』って言ってくれて。事情を知っているマスターも、何かと気にかけてくれますし。……お母さんにテストの点数を報告するのはやめて欲しいですけど」


 すっと外された視線とかすかに聞こえる年相応な言葉に、思わず笑みが込み上げてしまう。確かに、今の言葉だけを聞くと彼女が学生であるということに、違和感はなかった。そんなほのぼのした視線が彼女にも伝わったのか、誤魔化すように微笑まれる。ぺり、と音を立てて出されたのは、少し大きめの絆創膏だった。


「すみません、絆創膏貼りますね~」

「――! アンタ!」

「えっ?」


 アイルの驚愕に溢れた声に、ネオと千種が同時に顔を上げる。見開かれたルビーのような瞳を追いかけるように自分の足を見つめれば――あら不思議。そこにあった傷口はいつの間にか完全に消えており、乾いた消毒液だけが肌に張り付いていた。瞬きを何度繰り返しても、目の前の現状は変わらない。本当に、完治しているのだ。


「傷が、」

「治ってる……!?」


(そんな事ある!?)

 まるで手品でも見たような感覚に、ネオは目を見開いて千種と顔を合わせた。あまりの予想外な出来事に訪れるのは――無言。言葉も発せず、二人は顔を見合わせ、ネオの足を見て、再び顔を見合わせる。シンクロした、一見馬鹿なやり取りだが、当の本人たちは大真面目だ。そんな奇妙な空気をバッサリと遮ったのはやはりというか、アイルだった。


「やはりそうだったのね」

「え、?」

「アンタもヴァルキリー持ちっていうことよ」


 淡々とアイルから告げられる、真実。数日前にも聞いたようなその言葉に、ネオは千種よりも二拍ほど早く思考を取り戻した。唖然とする千種を見て、その驚き様に内心同意しつつ、自身の足に触れる彼女の指先を見つめる。少し荒れている彼女の指先からは、体温とは明らかに違う、何か温かいものが微かに流れ込んできていることに気がついた。そう――以前アイルが触れた時と、同じ。


「ば、ばる、きりー……?」

「……またそこから説明しないといけないわね」


 千種の混乱した様子に、アイルが呟く。そんな彼女に、ネオは無意識に心の中で謝罪を落とした。……なんか、ごめんなさい。

 しかし、自分が説明できるとは微塵も思えないので、アイルからバレないように素知らぬ顔で黙っておくことにする。何なら今回の説明を聞いて、もう一度おさらいしようかと思っているくらい複雑なのだから、致し方がない。素知らぬふりをしたまま最後の一口を飲み込んで、両手を合わせる。「ごちそうさまでした」と小さくお辞儀をして、自分の紙コップを手に取った。少しぬるくなってしまったけれど、それでもさっぱりとしたお茶は美味しい。ホッと息をついて、二人の会話に耳を傾けた。


「まあ……簡単に言えば、超能力みたいなものよ。アンタのは見たところ増強が主みたいね」

「ぞうきょう、ですか?」

「ええ。さっきのはこの子の『回復力を増強した』結果でしょうね。五感が受け取る情報の増強。修行すればもちろん、逆も出来るわ。まあ、その系統の力だと大方サポートに回る事になるとは思うけれど」

「サポート……」


 アイルの説明を千種が復唱する。僅かに眉間にしわが寄る。眼前で話をする二人をぼんやり見つめながら、傷のあった場所を手で摩ってみれば、痕一つないそこ。アイルの言っていた事は、どうやら嘘ではなかったらしい。凄い。それにしても。

(ヴァルキリーって、一種類じゃないんだ……)

 自分とアイルの能力は似ているから、なんとなく似たような力なのかなと思っていた。だからまさか、ゲームのように〝サポート型〟なんてものがあるとは思わなかったのだ。そんな感心をしながらアイルの話を聞いていれば、ふと俯く千種を目にする。どうしたのかと覗き込めば、その顔は何処か冴えない。不安げに揺れる瞳に、ぎゅうっと彼女が自身の胸元で手を握る。ネオははっとした。

 ――そうだ。彼女はまだ学生で、未成年。急に超能力なんて現実味もない事を言われても、受け入れられるはずもない。しかも彼女は通信学校とはいえ、家で勉強しつつも昼夜関係なく働いているのだ。心のキャパシティがオーバーしてもおかしくはない。そう思えば思うほど、ネオはサァッと引いていく血の気を感じてしまう。

(な、何かかける言葉……!)

 急激に雪崩れ込んでくる焦燥感に溢れる頭の中で、ネオは必死に思考を回転させる。けれど、そう都合よく言葉が出てくるわけもなく。恥ずかしい事に開いた口が数回空気を食むと、千種が徐に顔を上げた。その瞳は変わらず不安に濡れており、心臓がドクリと嫌な音を立てた。力になれない嫌悪感が頭の中を渦巻いて、泣きたくなってくる。――次の瞬間、それは杞憂に終わったらしいことを悟る。


「お、お二人の、手助けになりますか……?」


 鼓膜に届く、千種の小さな主張。優しさの塊である声色は、まるで自分達の力になりたいと言っているようで。つい自己嫌悪の沼から、顔を勢いよく上げる。アイルの驚きに見開かれた赤い瞳に、ネオは彼女がかなり驚いている事を知った。……当然だ。能力があると聞いてすぐに戦場に出ることを考えるなんてお人好しは、そういないのだから。アイルがちらりとネオを見て、戸惑いがちに口を開く。


「ま、まあ、いてくれた方が有難いわね。私は回復、そんなに得意じゃないし」

「ほ、本当ですか!? わ、私にもっ、修行をつけてもらうことは出来ませんか……っ!?」

「えっ!?」


 ガシィ、と音が付きそうなほど勢いよく、千種がアイルの手を取る。あまりの勢いにアイルはつい一、二歩後退った。先程までの悲壮感は、一体どこへやら。グイグイ来る千種にアイルはもうタジタジだ。その様子に、ネオは不謹慎にも少しだけ嬉しくて笑ってしまった。

(こんなアイルちゃん、中々見れないだろうなぁ!)

 これはある意味、凄い事なのではないだろうか。そんな思いすら込み上げてきてしまう。


「ま、まあ。別にいいけれど」

「わあっ! 本当ですかっ!?」

「え、ええ」

「ありがとうございますっ!」


 満面の笑みを浮かべ、勢いよく頭を下げる千種。そんな反応にアイルは苦笑いを浮かべるしか無かった。繋がれた手がブンブンと千種によって振られ、アイルはますます顔を引き攣らせる。傍から見れば中々微笑ましい光景に、ネオは後輩が出来たのを内心で喜んだ。ずっと一人だと思っていたけれど、まさか仲間が出来るだなんて思ってもいなかった。


「よろしくお願いします!」


 ぺこりと頭を下げる彼女に、ネオは大きく頷いた。高揚する気持ちに思わず笑みが零れてしまう。どこか苦笑い気味だったアイルも、口元が緩んでいる。

 ――そうして千種も仲間に入れた修行は、いつの間にかひと月ふた月と過ぎていき、気がつけば夏真っ只中になっていた。青い空。白い入道雲。僅かに香る塩素の匂いにミーン、ミーンと蝉が鳴く声が木霊する。そんな夏真っ盛りの中、べしゃりと地面に崩れ落ちたのは、一体どちらが先だったか。


「はぁっ、はぁっ……つ、疲れた……」

「はぁっ、はっ……あ、アイルさん、結構っ、スパルタなんですね……っ」

「う、ん」


 隣で座り込む千種に、手と膝をつけたままネオはこくりと頷く。二人とも気合十分で、お揃いのジャージ姿をしている。先日、後輩が出来たあまりの嬉しさにネオが買ってきたものだった。ネオはピンク、千種はブルーだ。縦に入る白い二本の線は、彼女達の気合いを表すように色濃く映し出されている。――しかしそんな姿も、今は情けなくぐったりと地面とご対面していた。……思った以上にハードなスケジュールに、ネオの体は限界だ。実家の手伝いとバイトを掛け持っている千種も、今にも溶けてしまいそうである。目を合わせることすら億劫だ。


「だらしないわねぇ」


 そんな中ただ一人凛として立っているのは、言わずもがな――彼女たちの師匠である、アイルだった。最初は彼女も恥ずかしがりながらもネオに貰った紫色のジャージを着ていたが、変身した前後での代わり様を見せるため、今は変身した姿で一緒に鍛錬していた。……つまり、その足元は動きやすいスニーカーではなく、七センチもあるヒールなわけで。


「あ、アイルちゃんこそっ、そのヒールでよく、動けるね……っ!?」

「慣れよ、慣れ」

「私も会社で使ってるんだけどなぁ……」

「ぺったんこで良かったです……」


 未だ涼しい顔で凛として立つアイル。足元を見て、ネオは思わず顔が引き攣ってしまった。……三センチのローヒールでも疲れるのに、七センチで動き回るなんてとんでもない。普通なら、体力よりも先に足の筋肉が悲鳴を上げてしまうだろう。スニーカーである自分たちとそう変わらないくらい動いているのに、全く疲れた様子のない彼女は本当に人間なのだろうか。変身後の自分たちの靴を思い出して、ネオと千種は安堵に胸を撫でおろした。


「そう言えば、私のヴァルキリーの性質は増強でしたけど、アイルさんとネオさんはどんな性質なんですか?」


 へばった彼女達に、早々にアイルから休憩を言い渡され、運び込んだクーラーボックスからみんなにドリンクを配った直後。千種からの純粋な疑問に、アイルとネオは顔を合わせた。……そういえば変身は見せたけど、能力自体は見せてなかったかも。

 とはいえ、ネオ自身見た目が魔女っ子である以上、逆に魔法使い以外に想像はできないだろうけれど。……実際そうだし。


「ネオは恐らくだけど、『天災』。アタシは『斬撃』よ」

「て、『天災』と、『斬撃』、ですか……?」

「ええ。まあ、しっかりと分けられているわけじゃないから、確定ってわけじゃないけれど」


 真っ直ぐ頷くアイルに、千種が感嘆の声を上げる。そんな二人を傍目にネオは驚きに声すら上げられず、ただただ目を見開いていた。

(えっ!? わ、私の能力って〝天災〟だったの……!?)

 一体どうしてそんな過激な物になってしまったのか。完全に自分の予想外の事実に、ネオはプチパニック状態だ。けれどそんな彼女に気づくことなく、会話は進んでいく。


「アタシは基本、斬撃を操るのよ。こうして何かの形に斬ると爆発したり、燃えたりするわ」


 アイルが手を軽く振り、具現化した刀の切っ先で小さな三角形を作る。すると、斬撃がそのまま空に残り、ぼうっと炎を宿した。手のひらサイズのそれにアイルがふっと息を吹きかければ、吐息に乗って流れていく。……向かう先にあるのは、少し大きな瓦礫の欠片。前腕くらいの大きさはあるであろうそれに斬撃が触れた瞬間、パンッと小さく爆発音がし、石は木っ端微塵になった。千種の微かな悲鳴が微かに紛れ込む。パラリと砕けた欠片と共に残った火花が、微かな音を立てて地面に落ちていく。その破壊力に、二人は目を丸くして感嘆の息を零した。


「す、すごい……!」

「び……っくりしました……!」

「ま。修行すればこんなものよ」


 胸を張るアイルはどこか嬉しそうだが、残念ながらそれはネオの目には入らなかった。

(あんな小さいのに、ここまでの威力……)

 広範囲攻撃ばかりに手が回ってしまい、未だ威力不足に悩むネオには羨ましいくらいの火力だった。……きっと簡単にやって見せたコントロールすら自分は彼女の足元にも及ばないのだろうと、ネオは独りでに肩を落とす。……少しだけ、彼女が羨ましかった。そんな思いを抱えるネオを余所に、千種は目を輝かせると身を乗り出した。


「アイルさんって本当に凄いんですね! 尊敬しますっ!」

「そ、そう? あ、ありがとう」

「私も頑張らなきゃ。ね、ネオさん」

「え、あ。う、うん」


 俄然やる気が出たらしい千種の声に、ネオは慌てて笑みを浮かべて頷いた。

(……千種ちゃんの言う通り、頑張るしかないよね)

 アイルが凄いことは、かなり前からわかっていたこと。それならば、自分に出来ることを頑張ればいい。彼女と同じことをする必要は、全くないのだ。そう思えば、少しだけ気持ちが軽くなったような気がした。

(私も頑張らなきゃ……!)

 ――さあ、修行の再開だ。

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