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第9話

「日陰……最高……」


 ――とある暑い陽の下。からりと晴れた快晴の青空が、夏の気温と共に世界に降り注いでいる。吹く風が心地いい。

 今日は修行がない分、仕事が大詰めで朝からてんてこ舞いだ。そんな中やっと訪れたお昼休憩に、ネオは外でお弁当を食べることにしたのだ。日陰になっている木製のベンチに座り、膝の上にお弁当を広げる。ぼんやりと自分の作ったお弁当を食しながら、青い空を見上げる。蒼く、どこまでも澄んだ空。雲一つないそこに、何とも言えない寂しさと清々しさを同時に感じ、ネオはくあっと一つ欠伸を零した。すごく……眠い。やってくる睡魔を退治しようと瞬きを繰り返すが、中々どうして。眠気は過ぎ去らない。


(そういえば、さっきも怒られちゃったなぁ……)

 ここ最近、毎日のように修行と仕事を往復しているからか、疲れが中々取れずに困っている。所謂、ちょっとした夏バテ状態だった。今日も仕事中に小さく船を漕いでしまっていたらしく、気づけば目の前に少し不機嫌そうな部長が立っていたくらいには気が抜けてしまっている。……曰く、大事な会議に使う資料を取りに来たという事らしい。そこまで聞いて、ネオはハッとした。使う資料を作成したのは良いが、まだ印刷してない事に。幸い、終わっていないのが印刷だけだったからよかったものの、このままではかなり致命的なミスをしかねないという危機感が、ネオの頭の片隅にここ数日転がっていたのだ。

(そろそろ休まないと、ダメかも)

 限界に達し始める意識に、弁当の箸は進まない。アイルに一度ちゃんと相談してみようと考えていれば、ぶわりと一際大きな旋毛風が襲い掛かってきた。慌てて目を閉じる。同時に風に乗ってやってくるラズベリーのような香りに、ネオはスンと鼻を鳴らした。……甘さの強い香りの中に僅かに漂うのは、芯のある色香。まるで、女性の香水のような――――。


「貴女がこの星の人間~?」

「!?」


 不意に耳元で聞こえた声に、ネオは慌てて振り返る。反射的に腕を上げて急所である顔をガードしたのは、アイルに教わった回避術の賜物だ。


「だ、誰っ、!?」


 背中を辿る嫌な予感に、お弁当が転がるのも構わず立ち上がって身構える。後ろに数歩退いて距離を取った。目の前にいたのは――見知らぬ一人の女性。金糸の髪が夏風にふわりと揺れた。


「そう焦らないで頂戴。貴女たちと戦う意思は無いわぁ。まぁ、抵抗するなら考えちゃうけど」


 のんびりとした声で話す彼女に、ネオは眉間にしわを寄せる。ほのぼのとした声のはずなのに、嫌な予感が拭えないのだ。そんなネオの事も知らず微笑みを浮かべる彼女は、大人の女性の理想を詰め込んだワガママボディを、体にフィットした紫色のワンピースで覆っている。華奢な肩が幅広い襟から覗き、同色のレースで出来た透明感のある手袋は彼女の色気を際立させている。一際濃い色の高いピンヒールが、カツリと音を立てた。ふわりと艶のあるプラチナブロンドの髪が風に舞い、ついさっき香った匂いが再び鼻腔を撫でる。

 違和感のない、女性としての出で立ち。しかし、自然と込み上げるのは――焦燥感に混じる、緊張感以外なかった。


「私はラズティーヌ・サーガ。これでもそこそこのお偉いさんなのよぉ」

「あ、ど、どうも。ここの社員の荒木ネオと申します。えっと……もしかして、部長のお知り合い、ですか? そ、それとも、誰かとの打ち合わせ、とかですかね?」

「どっちも違うわ。けど、別にいいじゃなぁい。そんな細かいことは」


 含みのある笑みを零しながら、ばっちりメイクされた綺麗な顔でこちらを見つめる女性――ラズティーヌ・サーガ。目力で人が殺せそうな程の強いメイクに、小動物の気持ちが少しだけわかったような気がした。

(全然よくないでしょ……)

 カツンとヒールが高らかに響く。寝不足の思考回路が、一気に晴らされたような気がした。


「私はねぇ、この地球にある〝エアベース〟を貰いに来たのよ。素敵な装置なのよねぇ? 羨ましいわぁ~」


 ……まるで創られた台本でも読んでいるんじゃないかと思えるほど、滑らかに言葉を口にするサーガ。男性が好みそうな声が、いやに耳に残った。気を許してしまえば、思考の裏まで入ってきそうだ。

(……ちょっと、苦手かも)

 ネオは本能的にゆっくりと後ろへと足を下げる。それを見た彼女はゆるりと目を細めた。自身を射抜く視線に、動きが止まる。


「だからね。貴女達の〝エアベース〟――私達に下さらない?」

「――えっ」


 軽く言われた言葉に、ネオは小さく声を零すしか無かった。一瞬、聞き間違えただろうかと思ったが……どうやらそうではないらしい。「うふっ」と笑みを深めるサーガ。長い舌で自身の唇をペロリと舐めた。


「〝エアベース〟の力は強大よぉ。水も草木も、勝手に持ってきて育ててくれるわぁ~。その力がね、私達にはどうしても必要なの」


 憂い気に目を伏せる彼女に、背中の奥が悪寒を感じて震える。――慣れた人を誘惑する動きだ。寝不足な体を叱咤して、出来る限り彼女を睨みつける。伏せた視線がゆっくりとこちらを見た。


「言いたい事、わかるわよねぇ?」


 ――警鐘が、鳴る。

 堪らず後退った足が土を踏み、音を立てる。女の声を少しだけ散らしてくれた。細い舌が蛇のようにちろりと覗いたのを見て、ネオは自分のペンダントを握り締めた。ドクドクと警鐘を鳴らす心臓が、耳元まで登ってきて五月蝿く音を立てる。緊張は最高潮に達していく。――しかし、このままでは彼女にエアベースを奪われてしまうだろう。エアベースは地球にとっても人類にとっても、大切なものだ。それこそ生物が生きていくのに、必要不可欠なほど。……当然ながら渡すわけにはいかない。


「だ、駄目です!」

「……へぇ?」


 慌てて首を振れば、ピクリと上がる女の眉。口元に寄せられた長い指先が不気味なほど色っぽくて、恐ろしかった。自然とペンダントを握る手に力が篭もる。吐いた息は、浅い。

 ――しかし、もうヴァルキリーを発動する準備は出来ている。相手が普通の一般人であれば必要ないかもしれないが、目の前のサーガからはそんな平凡な雰囲気は全く感じない。それだけ、彼女の存在はこの世界では〝異質〟だったのだ。緊張に握った手が汗ばむが、ここで引くわけにはいかない。ひとつ大きく深呼吸をしてネオは問いかけた。


「……あなたもご存じのはずです。〝エアベース〟が無くなったら、この地球は滅んでしまいます」

「別に構わないわ。だって私――ここの星の人間じゃないものぉ」

「……は、」

「だからね。この星がどうなろうと、私には関係ないわぁ」


 ふふ、と上品に微笑む彼女に、ネオは一瞬何を言われたのか理解することが出来なかった。ネオの蜂蜜色の瞳が大きく、丸く見開いていく。……彼女の言葉を、ネオは一瞬理解することが出来なかった。


(この人は一体、何を言っているの……?)

 ――『この星の人間じゃない』。サーガの言葉が、ネオの脳裏を横切る。……何だ、そのファンタジー要素。アニメやおとぎ話の中だけじゃなかったのか。それとも、自分が知らないだけで本当にあるとでも言うのか。――地球以外の星に住む、人間が。


「で、でもっ! み、みんな死んじゃうんですよ!?」

「そうねぇ」

「大切な人も、身近な人も、いなくなっちゃうんですよ!?」

「どうでもいいわぁ~」


 女の全てを弄ぶような声にふつふつと込み上げるのは、とてつもない怒りだった。

(なんて、ことを……!)

 冗談でも言っていい事と悪いことがあるだろうに、彼女はそれすらも踏みにじんで愉しんでいる。そんな彼女が、ネオには理解出来なかった。握りしめた手が、ギリッと音を立てる。昨日磨いたばかりの爪が、手の平に食い込むのをどこか他人事のように感じ取った。


「あなたには……人の心がわからないんですね」

「貴女が何に怒っているのか分からないけれど――誰かが死ぬなんて事、よくある事でしょう?」

「っ、それは……そうかもしれない、けど……っ!」

「なら、別に構わないじゃない」


 ――滅んでしまっても。そう続ける彼女の思考回路は、一体どうなっているのだろう。理解できない恐怖と、心底から込み上げる腹立しさを抑え込み、ネオは足を踏みしめた。……負けたくない。絶対、彼女だけには。


「……それなら余計、渡す訳にはいきません」

「あら、そうなのぉ。思ったより強情なのね、貴女」


 愉しそうに笑みを浮かべる女。その笑みは心底今の会話を愉しんでいるようで、ネオは背中にゾッとしたものを感じる。――彼女の何もかもが理解できない。それがここまで恐怖を掻き立てるものだとは、思わなかった。


「可愛げのない女は嫌われるわよぉ~。……貴女、男いたことないでしょう?」

「そ、そそそんなこと、っ!」

「うふふふっ。そうよねぇ~」


 唐突に突かれた図星にネオは慌てて否定するが、それはどうやら逆効果だったらしい。意味深な笑みを浮かべる彼女は自身の下唇をなぞる様に撫でると、形のいい鼻を小さく鳴らした。……見下されているのが自分でもわかる。なんか悔しい。


「見た目も未熟。経験も未熟。女として、敵とは思えないわぁ」

「うっ」

「お肌も髪も、まるで手入れが行き届いていないじゃなぁい。爪も指先もボロボロねぇ。それにその子供体型……フフっ、そんなんじゃモテないわよぉ~」


 グサグサと突き刺さる言葉の数々に、ネオはぐっと言葉に詰まる。……聞いちゃいけない。心理戦だ。そうわかっていても、的確に急所に当ててくる彼女に無意識に胸を抑えた。

(こ、心に刺さる……)

 確かに悲しいことに『彼氏いない歴=年齢』だが、それでも恋した事が無いわけじゃないし、これでも自分磨きだって頑張ってる……つもりだ。それに、偶然今は好きな人がいないだけで、きっと将来は誰かのお嫁さんになって、幸せな家庭だって築けるんだから!

(ま、まだ大丈夫、まだ……!)


「まぁ、そんな事はどうでもいいわぁ」

「ど、どうでもっ、!?」


(話始めたのはそっちなのに……!?)

 頭に浮かべた理想郷が、彼女の一言で薙ぎ払われる。虚しい気持ちが込み上げてきている中、気づけば自分は巨大な影に飲み込まれていた。頭上を見上げればそこには――見たことの無い、巨大ロボットの影が差し込んでいた。微かに呟いた声は、自分でも驚くほどか細く、弱々しい。


「貰えないなら――全力で貰い受けるだけよぉ」


 地面スレスレまで降りてくる、それ。紫を基調にした体に、白と赤のラインが美しい曲線美を描いている。足の機動力が高いのだろう。足の関節部分がしっかり出来ているのが素人目に見てもわかった。鋭利な靴底はヒールのような形をしており、踵からは飛ぶためのものなのか、鉄の羽が斜め上に向かって突き出している。紫の長いマントが肩から流れ、裾を三つに分けて分けてひらりと宙を舞った。

 ネオはそんな鉄の塊を前に唖然とした。二、三歩後ろへと下がり、目の前の大きな体躯を見上げる。


「な、な……っ」

「いいでしょう? 私の自慢の子なのよぉ」


 上品な笑みを浮かべるサーガに、ネオはハクハクと口を開閉させる。返す言葉が見つからなかった。それどころか今の現状を理解することすら難しく、ネオは見上げた姿勢のまま約数十秒は動くことが出来なかった。そんなネオを余所に、女はロボットの足へと触れる。その瞬間、彼女自身の身体が透け出した。女の体から粒子のような物が浮かび、渦を巻きながら機体の中へと入っていく。しばらくすると、女の姿はどこにも見えなかった。……手品どころか、こんなのファンタジーですらそうそう見掛けない現象である。

(私は、夢でも見てるの……?)

 ――そんな思考を持ってしまっても、おかしくはないだろう。しかし、ロボットが動き出したことによる強風で、否が応でも理解する羽目になった。強風に紛れた砂や小石が、体に勢いよくバチバチと当たっていく。咄嗟に腕を持ち上げてガードするものの、細かいものは容赦なく肌を切り裂いた。切れた皮膚から血が僅かに流れ落ちる。


「それじゃあ、――死んで頂戴?」

「くッ、!」


 くぐもった声が機体の頭上から吐き出される。それと同時に、ボウッと音を立てて空気が弾丸のように流れ込んできた。――叫んだのは、ほとんど反射的だった。


「っ――〝ヴァルキリー、発動〟!」

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