自身の声に呼応するように、パァっと光る視界。胸元で聞こえる宝石が割れるよう音に次いで、欠片は宙を舞い始めた。
いつしか見た時と同じように、足に、腕に、体に。欠片が一つずつ当たっては、綺麗に弾けて消えていく。フリルが風に乗り、舞い上がる。帽子を飛ばされないように抑えれば、空いている手元には金色のステッキがヴァイオレットサファイアを乗せて現れた。足はヒールのある靴から安定したパンプスへと変わり、何倍も動きやすくなる。何時もよりも体が軽く感じるのは、この力のお陰だ。
浮遊感に体を任せ、二転三転と後ろへ回転しながら退いた。そのまま大きく地面を蹴り上げ、宙へと向かい、人気のない空へと飛び立つ。ついさっきまで立っていた場所には、いつの間にか大きなクレーターが出来ており、冷汗が流れる。……早く距離を取ってよかった。あと数秒遅れていたら、きっと目の間に転がる瓦礫と同じ木っ端微塵になっていただろう。空中で加速して、更に上空へと向かう。こんな真昼間に地上で戦ったりなんかしたら、完全に被害が出てしまう。それならば、未だ安定はしないものの、空で戦った方が断然いい。後ろを振り返れば、機体が空を切って追いかけてくる。今のところ作戦通りだ。
「そんなに怯えなくていいのよぉ。そもそも、貴女には関係のないこと、」
「あ、ありますっ! あるんです……私の、大切な人たちもいるので」
「ふぅん。そうなの」
まるで上辺を滑るような女の反応に、ネオは後ろを見るのをやめた。捕まえようと追いかけてくるロボットの指先を間一髪で避け、更に上空へと上昇する。
(もっと。もっと上に……!)
どんなビルよりも高く、どんなことがあっても届かないように。そんな思いで空を駆け上がるが、流石に時間がかかりすぎたのだろう。敵はそう甘くなかったらしい。
「それじゃあ、加減する必要はないわよねぇッ!」
「きゃあっ!?」
ブオンッと音を立てて、勢いよくロボットの足が頭上を通過する。その強さに思わずひくりと口元が引き攣った。
(あ、危なかったぁ……っ)
一瞬、全てを吹っ飛ばされるかと思った。咄嗟に頭を下げていなければ、完全に持っていかれていただろう。無意識に首元に触れて繋がっている事を確認し、安堵に息を吐く。それほどまでに危機的状況だった。……前回の襲撃の時とは、全く違う。自分よりも格上との一進一退の攻防に、ネオの背中には冷や汗が流れた。こんな緊張感は、アイルと手合わせした時以来だ。つまり、それだけ相手は強いという事で。けれどそれに気づいたのは、どうやら少し遅かったらしい。
「うぐッ、!」
勢いよく脇腹に襲い掛かってきた衝撃に、息が詰まる。当たったのが腕なのか足なのかわからないが、凄い威力で体が別の方向へと飛ばされるのを感じる。咄嗟に嚙み締めた歯が、僅かに擦れた。
(打撃が、重いっ、!)
痛みに体が震える中、少しでも着地時の衝撃を殺そうと体を捻るが、その度に新しい攻撃が当たるスレスレに繰り出されていく。僅かに掠った髪が、数本宙を舞う。それでも出来るだけ逃げようと体の軌道を変えるが、相手の攻撃範囲からはそう簡単に逃げられそうにはなかった。
「くぅ、ッ!」
殴り、蹴り、また殴り。次々に振り下ろされる怒涛の攻撃に、ネオは防御する暇もない。
(つ、強い……っ!)
アイルの修業が無ければ、きっとここまで耐え切れなかっただろう。……今もそんなに耐えているとは言えないけれど。
防御のために手足を使いすぎたのか、ジンジンと痺れる四肢に歯噛みする。魔法を詠唱する暇もなく宙を縦横無尽に吹き飛ばされ、視界が定まらない。か細い息が喉を突いて込み上げてくる。まさか、初めての戦闘でこんな巨大なロボットを相手にするだなんて思わなかった手前、受ける衝撃が大きい。ガンッと硬い壁に叩きつけられ、詰まった呼吸を吐き出す。肺が焼けそうな程、痛い。
うっすらと開く目で見えるのは、見覚えのある空との距離。――いつの間にか地上に近いところにまで落ちてしまったらしい。これじゃあ、上空へと飛んだ意味がない。
「あらぁ? どうしたのかしらぁ、そんなに怯えちゃった顔して」
「ゲホゲホっ! はぁっ、はぁっ……」
心底愉しそうな女の声を遠くに聞きながらも、出るのは咳ばかり。そんな咳をネオは口元を拭うことで無理矢理飲み込んだ。ここで弱みを見せてはいけない。ならばどうするか。――もちろん、悟られないようにするしかない。飲み込んだ息を細く吐き出し、ネオはゆるりと口角を上げた。少し不格好になってしまったが、それすらも内心の奥へと押し殺す。
「き、気のせい、じゃないですか……っ?」
これが虚勢である事は自分でもわかっている。しかし、それ以外ネオにはどうしようもなかった。痛みに震える心臓を抱えながら必死に笑って見せ、ゆっくりと立ち上がる。そんなネオの反応に、女の目がゆるりと細められた。射貫くような視線が、ぞわりとネオの肌を撫でる。立ち上がった足が震えるが、構っている余裕はなかった。
「そうなのぉ。それなら――もう少し、本気出しちゃおうかしらぁ」
間延びした声に乗る、不穏な言葉。……どうやら自身の反応は、彼女のお気に召さなかったらしい。ビュンッと空を切る音がどこからともなく聞こえ、ネオは体を固くした。
一際スピードを上げて足を振り抜く敵に、ネオは顔を青褪めながらもステッキを掲げた。――こうなったらもう、やるしかない。
「さっさとおねんねしちゃいなさぁいっ!」
「は、――『花吹雪』っ!」
咄嗟に技を口にした瞬間、ぶわっと広がった花弁がステッキの先から渦を巻いてロボットへと向かっていく。繰り出される蹴りと燃える花弁が衝突し、バチバチと音を立てた。纏う電流がロボットの体を包んでいくが――如何せん、火力が足りない。バチンッ! と電流が弾かれる音が高らかに響く。敵の体躯を包みかけていた雷は一瞬にして霧散し――――自身の身体が、吹っ飛んだ。
「ッ――!!」
脇腹に綺麗にハマった攻撃が、右から左にかけて衝撃を突き抜けていく。簡単に飛んだ自身の体は、次の瞬間地面に叩きつけられた。受け身を取る間もなく、体が何度もバウンドを繰り返す。木々がへし折れるのを、痛む体のどこかで感じた。意識が、思考が、視界が、全て混濁する。上下左右、全ての方向が分からなくなり、ネオはギュッと目を閉じた。五感の全てがシェイクされ、吐き気が込み上げてくる。痛みと苦しさが全身を圧迫して息すら出てこない。
(もう、ダメ……)
朦朧とする意識の中、僅かに顔を覗かせた絶望の色に、ネオは込み上げてくる弱音を内心で小さく零した。――刹那。ボスンと何か地面とは違う衝撃が走り、身体の回転が止まる。突然止まった衝撃に詰めていた息を吐き出す。ヒュっと、か細い音が息を何度も繰り返した。
(いま、なんか変なものに当たった気が……)
……もしかして、通行人だろうか。そうだとしたら凄い勢いで当たった人が、無事でいられるはずがない。そんな最悪の予想が頭を過ぎり、ネオははっとして飛び上がっった。振り向いた際に痛みが走るが、そんなの気にしている暇はない。どうか違うものであってくれ、と願った思いは……残念ながら現実にはならなかった。
「……ぇ」
目の前に広がる、灰色の能面。一瞬仮面であることを気づくのに、時間がかかった。急なホラー光景に、ひゅっと息を飲んだ。こちらを見下ろすように向けられる視線は、小さな覗き穴から見える目は捉えどころがなく、短い桃色の髪が風に靡いた。
受け止められた体をゆっくりと下され、足が地面につく。二、三歩下がれば、その人物がどこかで見た事のある少女だという事に気が付いた。青と紫のチェックのスカートに、白いワイシャツ。その上からスカートと同じニットベストを羽織っており、白いニーソックスが彼女の足を隠している。その恰好が――この近所にある、新学校の制服であることを悟った。少女は徐ろにネオの全身を見ると、ロボットを見上げる。洗練されたとも思える動きに、ネオは焦りが込み上げてくる。
「え、ええっと、!」
「……」
「あらぁ? 貴女もこの子の仲間ぁ?」
無言で佇む少女に小さく声をかけるが、反応はない。聞こえていないのか、それとも無視をされているのか。ネオにはわからなかったが、このままでは少女が被害にあってしまうのは確実だ。せめて、被害のない場所まで逃げてくれればいいが……少女が逃げる様子は全くない。降下してくるロボットがゆっくりと近づいてくるのを感じるのと同時に、焦燥感が込み上げてくる。上空に影が差し、巨大な体躯が目の前に降りてくる。見上げるほどの機体が、威圧感を含んで優雅に足を踏み出した。サーガの歩き方をそのまま投影したようなそれに、ネオは体に鞭を打って立ち上がった。
(守らなきゃ……っ!)
反射的に少女の前に手を出し、身を滑り込ませる。全身がじんじんと痛むが、それに構っている余裕は、今はない。
「あ、危ないからっ、下がって、……!」
「……」
今にも力を失ってしまいそうな足を張り詰めさせ、息を整える。キッと見上げた機体が、愉しそうに体を揺らしたように見えた。他人を巻き込んでしまっているこの状況になっても、相手の行動に揺らぎはない。それがさっき言っていた言葉へと、更に現実味を足していく。伸びてくる、機械の指先。自分よりも遥かに大きいそれに、恐怖よりも守らなくてはいけないという気持ちが先立ったネオは、視線を外すことなく後ろの少女へと声を荒げた。
「早くっ! 出来るだけ遠くにっ、!」
「……大丈夫」
「えっ」
淡々と、予備動作さえ見せずに立った少女。まるで『立ち向かうことには慣れている』と言わんばかりの彼女の背中に、ネオは唖然とする事しか出来なかった。――気圧されたのだ。自身よりも年下である少女に。彼女から放たれる、澄んだ空気に。
(こ、れは……)
アイルと似通った――否、それよりも少し粗削りだが透き通った気配が、少女が『ただの一般人ではない』事を如実に表していた。少女が静かに目を閉じる。それに気づいたネオが、無意識に二歩分距離を取った。完全に自身が邪魔をしてしまうと判断したからだ。
すぅ、と大きく息を吸い込む少女。その意識が集中したかと思えば、研ぎ澄まされた空気を更に切るように――手を振るった。目で追うのもやっとな早さの手刀に、伸びてきていた機体の腕が触れた。バキィッと鈍い音が響き、腕がひしゃげる。華奢な身体からは想像もつかない力強さに、時が止まった。
(今っ、素手で……!?)
目の前で起きた現実が、信じられない。自分たちよりも遥かに大きく、太い腕をあんなに簡単にへし折るなんて。――正直、人間業とは思えなかった。アイルと同じエアベースの中の人間だろうか。……それにしては、変身している様子は全くなかったけれど、きっと生身でも強い人は強い。……のかもしれない。そう考えないと、目の前の現象に納得出来ない。
「私の大切な子に何するのよぉッ!!」
――止まった時を戻したのは、悲鳴にも似た甲高いサーガの声だった。怒りに溢れた声がその場に響き渡る。次いで怒りに任せて勢いよく振られた足が、頭上を掠めた。咄嗟に頭を下げたからよかったものの、自身の後ろで倒れていく木々に冷汗が流れた。
「う、噓でしょ……、っ!?」
「……」
「上等じゃないの。私は売られた喧嘩は三十倍にして返す主義なのよぉ」
どうやら少女の行動は、見事に彼女の怒髪天を突いてしまったらしい。声色すら怒りに染まる女は、怒涛の攻撃を繰り出してくる。……ここまでくると、少しだけ同情してしまいそうだ。とはいえ、怒りに任せた攻撃は穴だらけもいいところで。
少女と一緒に横へと飛び出せば、数コンマ遅れて地面をロボットの足が突く。大きな振動が地面越しに伝わり、木々が倒される中、ネオは敵から距離を取ると数輪の花を生み出した。ばちりと雷が弾ける。技も何もない、単なる弾丸のようなものだ。しかし、今のサーガには、少なくとも多少のダメージを与えられるはず。単騎突撃の要領で、それらをロボットへと放つ。狙うのはもちろん、ひしゃげて剝き出しになっている関節部分だ。
「あ゛あッ――!!」
バチッと雷の華が触れた瞬間、弾ける電流。案の定、傷口に塩を塗る様に剥き出しの電線から雷が流れ、機体から小さな細い煙を生み出した。外部からの電圧に、反射的に足を止めたロボットがわなわなと震える。それが怒りからなのか、機体の限界からなのかはわからないが、どちらにしろこれ以上は追撃はないだろう。ネオと少女は距離を取りつつも振り返り、同時に足を止めた。
「よくも……よくもこの私をコケにしてくれたわね……!」
低く、全てを絡めとらんとする声に、息を飲む。さっきまでの誘惑するような声とは真逆の声色に、追撃がないと思っていたのが一瞬にして霧散する。危機感が再び駆け上がってくるのを感じ、ネオはステッキを構えて、いつでも反撃が出来るように力を整えた。しかし、少女は不意に無言で機体を指した。煙を追いかけるように少女の視線が動き、ロボットの顔部分と目を合わせた。
「それ。早くしないと、爆発する」
「ッ!」
淡々とした少女の言葉に、女が息を飲んだような気がした。まるで図星でも突かれたような反応だ。僅かに唸った女は逡巡すると、大きなため息を落とした。――それが本当の戦いの終わりだと気づくのに、時間はかからなかった。
「はぁ……。面倒なことになったわねぇ。またあの辛気臭い顔を見なくちゃいけないじゃなぁい」
気の抜けた声に、女は既に戦闘態勢を解除していた。機体は彼女の感情を表すように気怠げに立つロボットは何か対策でもしているのか、キュイーンと甲高い音を立て始めた。ファンでも回して煙が体に溜らないようにしているのだろうか。
「まあいいわぁ。アンタたちみたいな芋っ子ちゃんと遊んでいたら、こっちまで同類になっちゃうわぁ」
「い、いもっ、!?」
「でも――許したわけじゃないわ。精々怯えながら過ごしなさいな」
ロボットがこちらを指し、ゆっくりと微笑んだ。……ような気がした。
気づいた時には無機質な表情をした機体がブーストを掛け、凄い勢いで襲い掛かってきた。ボウッと勢いよく空へと向かう機体に風に煽られるスカートと帽子を慌てて抑え、その巨体を見送る。青い空に吸い込まれるようにどんどんと遠くなっていくのを見て、ネオはやっと訪れた平和に胸を撫でおろした。その瞬間気が抜けたのか、かくりと折れた膝が地面に打ち付けられた。気が付けば変身は解け、いつもと変わらないスーツに戻っている。
天を見上げ、大きく息を吐きだす。まるで夢でも見ていたんじゃないかと思うほど呆気ない終わりに、緊張が途切れた。
「何が、したかったんだろう……」
「……」
ぽつりと呟いた言葉は、誰に拾われることもなく空に吸い込まれ、静かに空気に解けていく。結局、なんで自分が狙われたのかはわからないが……とりあえずこれで現状の脅威は去ったらしい。
そう思うと、奮い立たせていた心が一気に安心感に包まれる。同時に、思い出したように体の節々が痛み、ネオは小さく呻き声を上げた。アイルに体術を教わっていたからどうにかなったけれど、やはりまだまだ足りないみたい。思い出す戦いの中でいくつもの反省点を上げていれば、不意に後ろの気配が遠ざかるのを感じる。慌てて振り向けば、先ほど助けてくれた少女がこちらに背を向けて歩き始めていた。何事もなかったかのように去って行こうとする彼女に、ネオは咄嗟に声をかける。
「ちょ、ちょっと待って!」
高らかに響く、自身の声。その声に少女は足を止める。振り返った際、短い桃色の髪が風に靡いた。その顔からはいつの間にか先程の仮面が付けられておらず、健康的な瑞々しい肌が露わになっていた。瑠璃色の瞳は思ったよりも大きく、こちらを真っすぐ見抜いていた。
「……」
「あ、あの、」
「……部活」
「あっ、ご、ごめんね! 助けてくれてありがとう!」
振り返った少女の呟きに手短にお礼を述べれば、少女はこくりと頷いた。再び背を向けた彼女が、なぎ倒された木々の間を真っすぐと伸ばした背で歩いていく。……綺麗な姿勢だなあ。何か習い事でもやっているのだろうか。華奢なのに、どこかしっかりとしている背中にスポーツでもやっているのかと首を傾げる。学生であの力……何か特別な体術でもやっていたんじゃないかと思うのは、当然だろう。っていうか、素手でアレって。
「……プロの人、とか?」
――……なーんて。そんな事あるわけないよね。あはは~、と誰に向けるでもない笑みを一人零す。もしかしたら本当にアイルと同じエアベースの人間かもしれないし、何か護身術でも習っていただけなのかもしれない。……それはそれで、ちょっと教えてもらいたい気がするけれど。
――Prrrr。ぼんやりとそんなことを考えていれば、不意に聞き慣れた着信音が響いた。ポケットを弄り(まさぐり)、出てきたスマホを見て――ネオは顔から血の気が引いていくのを感じた。
(や、やばい……!)
お昼休みだったの、忘れてた……!!