「総官。一体、何万人の人を犠牲にするおつもりだったんですか」
「必要な犠牲だ。君が気にする事では無い」
――人工的な明かりが照らす真っ白い廊下で、声の主達は向かい合っていた。軍から支給された服に身を包んだアイルと対峙するのは――白い軍服を着た一人の男だった。
男は厳つい顔を緩めることなく、紅色の瞳でアイルを見つめる。後ろへと流されたバターブロンドの髪は、光に当たり白く透けていた。かっちりと着込んだ白い軍服は彼を強く引き立たせており、王者たる風格が目に見えて読み取れる。――が、アイルはそんな彼に怯むことなく、凛として向かい立っていた。そんな彼女は不快そうに眉を少し下げると、声に唇を震わせた。
「ですが、あの時間、あの場所に人が大勢集まる事は分かっていたはずです。その場に奇襲が来ることも、我々のテクノロジーを使えば、事前に予測し、警戒をする事も出来たでしょう」
「君も知っている通り、我々の軍は万年人手不足だ。故に、優先順位は付けてしかるべきだろう。それを最小限に抑えるためにも、君には優秀な人材を回収させているのだが、そちらの方は進んでいるのかい?」
「っ……、」
「これは君の責任でもあるのだよ。噛み締めたまえ」
淡々と、地を這うような声がアイルに降り掛かる。生命に序列はあるのだと。順位があるのだと。――そしてその順位を付けざるを得ない状況下にしているのは、紛れもない自分自身であるのだと。……そう告げる彼からは、憂いや思いやりなどは一欠片すらも見えない。つまり彼自身、自分の言葉に嘘偽りがない事は明らかだった。
それに気が付いたアイルは、ぐっと拳を握りしめる。爪が手の平にくい込むが、アイルは気にした様子はなく、ただただ上官である彼を鋭い目で見つめ返していた。――『伝わらない』。……わかっていたはずなのに、やはり実際に受けるとショックは大きい。
「……その為に、どれだけの人が犠牲になっても、ですか」
「君も分かっているだろう。理想だけではこの地球(ほし)は救えまい。いい加減、駄々を捏ねるのは辞めたまえ」
「っ……!」
ギリッと音を発したのは彼女の手か、それとも噛み締められた唇か。しかし、そんな彼女の葛藤も知られることなく、男は背を向けた。切り裂くようなマントが彼女の飲んだ息すらも薙ぎ払い、見えない壁を二人の間に作った。
「話は終わりだ。さっさと持ち場に戻れ」
「……失礼致します」
既にこちらへと向けられなくなった意識に、アイルは形だけの敬礼をすると踵を返した。……元々、話す前から望みは薄かったのだ。彼は〝そういう人〟だと、アイルは幼い頃から知っていたのだから。
出入り口のセンサーへと手を翳す。手の認証をする機械が波紋を広げるように素早く手の持ち主を特定し、扉のキーを解除した。自動で扉が上へと開いていく。アイルは部屋の外へと足を踏み出した。
「――03番。荒木ネオを逃がすなよ」
「!」
閉まっていく扉の中、アイルの背にひと際冷たい声が届く。告げられた言葉にハッとして振り返った時には、既に閉じかかっていた扉は無常にも閉まり、アイルを遮断した。は、と吐いた息が切羽詰まったように空気に紛れていく。無機質な白い扉を見上げ、アイルはいつの間にか上昇していた心音を感じる。胸元に手を当てて、ゆっくりと深呼吸をした。……ここで取り乱しては、あの上官の思うツボだ。
アイルは視線を戻すと、そのまま歩き出した。ドクドクと早鐘を打つ心音が徐々に落ち着いてくるのを感じながら、アイルは先ほどの言葉を反芻した。
(……それにしても、いつの間に情報が漏れていたのかしら)
〝荒木ネオ〟のヴァルキリー開花の話は、まだ本部に報告はしていないはずだ。彼女は未だ荒削りで、とてもじゃないが戦場に立てるようなラインまで達していない。下手に戦場に出せば、死ぬことは目に見えている。だからこそ変に手を出されないよう、彼女がしっかり戦えるようになるまで言わないようにしていたのに。
(……千種の件も、バレていると考えた方がいいかもしれないわね)
密告者は定期的に遣いに出している部下か、それとも偵察に来た奴らにでも見られたか。どちらにしろ、注意をした方が良さそうだ。でないと何をされるかわからない。――特に、ヴァルキリーを持つ者は彼らにとって甘い蜜なのだから。
「……本当」
(くだらな過ぎるわ)
はあ、とため息が零れる。蘇る言葉の数々に、嫌悪感が先立って胸元を騒ぎ立てる。……こんな事なら上官への報告など後回しにして、例のバーへと向かった方が断然有意義だったろうに。そんな思いを抱えながら廊下を闊歩していれば、アイルは曲がり角で唐突な衝撃を受けた。ドンッと体が跳ね返され、よろりと一、二後ろへと後ずさってしまう。どうやら誰かとぶつかってしまったらしい。視線を上げれば、ぶつかった相手と目が合う。自身よりも高い位置にある黒い瞳をした男は、驚いた顔をして自身を見下ろしていた。向こうもぶつかったのは予想外だったのだろう。
――黒い瞳に黒い髪。日本人らしい彫りが浅い顔は、こちらの軍によく顔を出している男だったはず。名前は確か……和倉とか言っただろうか。上司とよく話しているが、気が合っているというよりは腹の探り合いに近いけれど。
「申し訳ない、アイル殿。お怪我はありませんか?」
「え、ええ。大丈夫です。ご心配いただき、ありがとうございます」
「それは良かった。では私は用事があるのでこれで。アーヴィング総司令官にもよろしくお伝えください」
「は、はい。承知致しました」
紳士さながら、完璧で綺麗な微笑みを携えた彼は、そのまま颯爽と歩き去ってしまった。向かう先には、彼の部下らしき人が待っており、こちらへと鋭い視線を向けていた。その警戒心の高さに、思わず内心で悪態をついてしまう。
(……失礼ね。ぶつかっただけで、何もしてないじゃない)
自分が来たばかりの方向へと向かう二つの背中を見送り、アイルは衝撃で前に流れてきた髪を後ろへと払った。……何となく、居心地が悪かったのだ。歩き出した鋭いヒールの音が、先ほどよりも更に耳につく。
(……気晴らしにでも行こうかしら)
アイルは何度目になるかもわからないため息を吐いて、向かう先を変更して出入口へと向かう事にした。部屋に行って本でも読もうかと思っていたが、予定は変更だ。向かう先は――『アニソンバーHERO』。外に出れば、少しでもこの気分が晴らせるかもしれないと思ったからだ。……別に、彼女達の顔が見たいなんて話ではない。決して。
千種とお店の新商品やお互いの近状報告などの話に花を咲かせた後、ネオは予想外の出来事に出くわしていた。目の前にいるのは、先ほど話に出た少女――我孫子。その前に、ネオは千種に手を引かれた状態で立っていた。
「あ、えっと……」
「……」
視線がうろつく。久しぶりの人見知りが全力で発揮されている現状は、手を引く千種によって作り出されたものだった。……というのも、昼間の話を聞いた千種が「それならお友達になっちゃいましょう!」と言ってネオの手を取ったのだ。千種に行ってもらって警戒心を少しでも解いてもらおうと思って気を抜いていたネオは、当然の事ながら不意を突かれたわけで。心の準備をまともに出来ていない中、ほぼ初対面の人と――しかも自分よりも年下の子に話すことなんて、パッと思いつくわけもなく。ネオはここ最大の困惑を喫していた。
「あ、え、えぇぇっと……お昼の時は、助けてくれてありがとうございました! あの時、ちゃんと言えなくてごめんなさい……!」
悩みに悩んだ末、口から飛び出したのは自分がずっともやもやしていた事だった。ガバリと頭を下げれば驚く二人の気配が感じられるが、ネオは気づかないまま顔を上げるとへらりと笑みを浮かべた。まるで言いたいことを言えてうれしい、と言わんばかりの笑みに千種は微笑み、我孫子は瞬きを繰り返した。そして、イヤフォンを外すとゆっくりと口を開いた。
「……別に。大したことじゃない」
「ううん、助かったのは本当だから、言わせて。本当に、ありがとう」
「……」
ふわりと。愛情たっぷりの栄養を受けて花が咲くように笑うネオに、見開かれた瑠璃色の瞳。その色に、ネオは彼女があの時の少女であることを確信した。……ここまで言っておいて別人だったら、それは凄く恥ずかしすぎるけれど。じっとその瞳を真っ直ぐ見返せば、僅かに狼狽えた後、ゆっくりと伏せられた。
「……どう、いたしまして」
静かで小さな声は、意外と透き通って耳に届く。少し低めの声は落ち着いていて、鈴のような声音を持つ千種とは真逆の印象を与えてくる。大人っぽい、というにはたどたどしいのが、存外可愛らしい。
「ふふっ、我孫子さん、照れてますね」
「……千種」
「すみません。ふふっ」
口元を緩める千種に、窘めるような声が聞こえる。二人の慣れたようなやり取りに、どうやら彼女たちは学年、学科は違えど、仲がいいのだろう。何となく漂う親し気な雰囲気が少しだけ羨ましく感じながら、ネオは学生二人のやり取りを見つめる。我孫子の携帯画面を覗き見ようとした千種に、彼女はひょいと画面を隠す。それを避けて更に見ようとした千種に、我孫子は再び対抗する。その繰り返し。二人の小さな攻防戦に、くすりと笑みを零した。
(和むなぁ~)
若いって素晴らしい。
「あ、よろしければ、ネオさんもこちらにいらっしゃいませんか?」
「えっ」
「アイルさんもいらっしゃるかもしれませんし、ボックス席の方が都合がいいかなと思いまして。どうでしょうか?」
攻防戦を中止して不意に向けられる視線に、ネオは笑うのをやめた。そして言われた言葉を理解して――ネオは首を傾げた。ちらりと盗み見た我孫子の無表情に、僅かな申し訳なさが込み上げてくる。
「わ、私は大丈夫だけど、その……」
「……僕も、別に」
「大丈夫そうなので、お席移動しますね!」
よかった! と嬉しそうに両手を合わせる千種に、ネオはぽかんと口を開けた。……まさか同席の話が出るなんて、思わなかった。正直、我孫子ともっと話したかった思いはあったのでよかったが、知り合ったばかりの人間と同席なんて、我孫子が居心地悪くなったりしないだろうか。そんな気持ちが込み上げてくる中、早々に行動に移したのは千種だった。我孫子の椅子へと乗り上げていた千種はネオの元の席へと向かうと、グラスやコースターを手に取った。慌てて追いかけて自身の荷物を持つと、案内されるがまま我孫子の前にお邪魔する。
荷物を置いて、ふと視線を上げれば我孫子は片耳にイヤフォンを差したまま、ゲームを再開していた。そんな彼女に遠慮なく千種が話しかけ、それに我孫子は淡々と、しかし正確に答える。……彼女にとってゲームは、会話を含めた日常生活に支障をきたすようなものではないらしい。器用だなあ、と感心しながらその様子を眺めていれば、彼女の鞄から僅かに覗き見える物があることに気が付いた。どこかで見覚えのある白灰色の、のっぺりとした仮面。芸者さんや劇団の人が使っていそうなその仮面は、どこからどう見ても昼間に見たものと同じ物だった。学生が持ち歩くにしては少々独特なそれに――ネオの好奇心が、否応なしに擽られる。
「ねぇ、そのお面って何かのおまじないだったりする?」
「……どうして?」
「え、あ、ほらっ! お昼の時は付けていたけど、今は付けてないでしょ? だから、何かのおまじないなのかなあ……って、……」
ゲームから目を離さないまま聞き返してくる我孫子に、ネオは咄嗟に言い訳を口にする。咄嗟に身振り手振りが出てしまったが、こちらを見ていない彼女の眼には映ることもない。その事に安堵しつつ、それから一向に開かれない口にネオはだんだんと不安を増していった。冷や汗が一筋、頬を伝う。
(き、聞いちゃまずかったかな……)
どうしよう。何か触れちゃいけないことだったら。不安と焦燥が混じり、心臓に痛みが走っていく。しかし、すでに口に出してしまったものは戻せはしない。……そう思えば思うほど絶望しか感じられず、ネオは後悔に思考を巡らせた。
「ご、ごめんねっ、! 話したくないなら全然っ、!」
(謝って許してくれるだろうか)
そんな淡い期待に、自分の口が我先にと先走る。会って数分で嫌われるなんて、きっと耐えられない。が、ここまで食い気味に言ってしまってもよかったのだろうか。僅かに震える手をぎゅっと握って、ネオは小さく息を止めた。固唾を飲んで彼女の反応を待つ心持ちは、処刑寸前のようで気が気じゃない。
「……僕の、宝物」
「……え」
「宝物。僕の、大切なものなんだ」
ぽつり。ぽつり。たっぷり間を置いて聞こえた答えは、ネオの予想の斜め上を流れて行く。嫌われると確信にも近かった気持ちを、彼女の言葉は一瞬にして霧散させた。先ほどの言葉を脳裏で何度も反芻し、飲み込む。
(……たからもの。宝物かぁ)
我孫子の言葉を、自身の心の内で繰り返す。それは思ったよりもキラキラしていて、――思った以上に年相応の答えだった。
「……ふふっ。なんかいいね、宝物。羨ましいなぁ~」
「……」
顔をほんのりと赤らめる我孫子に、ネオは込み上げる微笑ましさを抑えきれなかった。くすくすと笑みを零して、再び件(くだん)の仮面を見つめる。彼女の触れる指先が優し気で、本当に大切にしているのだとわかる。そんな光景を見つめていれば、新しいドリンクを我孫子の前に置いた千種が不思議そうに首を傾げた。
「ネオさんはないんですか? 大切にしている物」
「わ、私っ?」
「はい。あ、もちろん嫌じゃなければ、ですけど……気になっちゃったので」
えへへ、と声を零す千種にネオは少し考えた後、ゆっくりと自分の胸元へと手を伸ばした。ワイシャツの下から抜き出すようにして見せたそれは、小指の爪ほどのヴァイオレットサファイアが乗ったペンダント。外に出され、光を受けた宝石がキラリと光を反射し、その美しさを存分に世界に知らしめていた。失われない輝きに背を押されるようにして、ネオはそれを彼女たちの眼前に差し出した。
「宝物って程じゃないんだけどね。――これ、お母さんの形見なんだ」
「えっ」
「大丈夫だよ、もうだいぶ昔の話だもの」
息を飲む千種に、ネオはゆるりと首を振る。大丈夫だと言い聞かせるように微笑めば、千種は苦々しくも笑みを浮かべた。その様子に千種の優しさを感じていれば、その横でじっと我孫子がペンダントを見つめている事に気が付いた。……そういえば、我孫子の目にも、少し紫がかかっている。
「……綺麗」
「ふふっ。でしょう?」
「うん。すごい」
「そう? ちょっと恥ずかしいなぁ~」
我孫子から素直に言われる褒め言葉に、思わず頬が緩んでしまう。やはり自分の大切にしているものが褒められるというのは、嬉しい事だ。しかもそれが母の形見であれば、尚の事。〝宝物〟という響きの特別感にくすぐったさを感じながらも、ネオは二人を見つめた。自分を含め、三人中二人の宝物がわかったのだ。――もう一人に話を聞きたくなるのは、自然だろう。
「千種ちゃんは宝物とか、大切にしてる物とかあるの?」
「えっ、わ、私ですか?」
「うん。もしあったら教えてほしいなぁって。ダメかな……?」
今まで聞く役に回っていた千種にそう問いかければ、千種は少し迷った後ゆるりと笑みを浮かべた。まるで何か隠し事を話すかのように身を屈めるものだから、ネオも我孫子もつられて前のめりになってしまう。そんな二人を見ながら、千種は自分の唇の前で人差し指を立てる。
「……秘密ですよ?」
「う、うん」
小さく潜められた声に、ネオは戸惑いつつゆっくりと頷く。秘密を共有する時というのは、どうしてこうもドキドキするのだろうか。身を更に乗り出せば、千種は辺りを見回すとそっと自分の首元に触れた。キラリと鮮やかに揺れるのは、青よりも薄い碧をした――――。